なつかしきよに

 狐の面を付けているのかと思っていたが、よく見るとそうではない。

 お面ではなく狐の顔をしているのだ。

 もしあれが本当の顔ではないとしたら相当上手い特殊メイクという事になる。

 狐面――面ではないが――が一度も口をいた事がないのは機会が無かったからではなく話せないからなのか――。


 いや、そんなわけないか……。


 顔は狐でも体付きは人間に近い。

 現に二足歩行していて手に武器を持っているから恐らく特殊メイクだろう。


 祥顕はそんな事を考えながら狐を眺めていると、眼帯の男の前で銀光がきらめいた。

 真っ二つになった狐は声もなくちりとなって消える。


「他の連中が来る前にここから離れて下さい」

 男にそう促された祥顕は辺りを見回した。

「あの娘ならいません。今日の狙いはあなたです」

「あいつら無差別に人を襲ってるのか?」

「あなたはあの娘を助けたために目を付けられたのです」


 なるほど……。


 筋が通っている。


「あの娘に関わるとろくな事はありません。関わり合いになるのはおやめ下さい」


 関わるも何も見ず知らずの少女だから二度ともただの成り行きだったのだが……。


 知らない男に教える筋合いはない。

 眼帯の男は祥顕に危害を加える気はないようだったので黙ってその場を離れた。



 男と別れた祥顕が都庁の前の陸橋を通っている時、例の如く鳥の鳴き声がした。

 祥顕が身構えて辺りを見回すと遠くに少女が見えた。

 一つ向こうの陸橋だ――。


 狐面達に取り囲まれている。

 あそこまで行くには一旦下の道路に降りて向こうの陸橋まで行ってまた登るか、ビルを迂回するか、どちらにしても駆け付ける頃には手遅れになっているだろう。

 警察署は近くだが通報してすぐに来てくれる保証はない。

 下手したら祥顕の方が警察より先に到着する可能性もある。


 迷っている暇はない――!


 祥顕が駆け出そうとした時、誰かの声が聞こえた気がして足を止めると目の前に和弓が現れた。

 腰に重みを感じて目を落とすと矢の入った筒の付いたベルト(みたいな物)があった。

 急いで弓を手に取ると柵から離れて弓を構える。


 かなり遠い。

 この距離で人間の胴体という小さな的に当たるだろうか。

 それ以前に矢が届くだろうか。


 考えている暇はない――。


 祥顕は弦を限界まで引き絞って狙いを定めた。


「よの風に 揺れし柳葉やなぎば てらす月 きぬ光で つらぬきとめん」

 その言葉と共を放った。


 矢が狐の胸を貫く。

 狐は矢と共に消えた。


 すぐに二の矢をつがえて別の狐に狙いを付ける。

 立て続けに矢を放つ。

 矢が吸い込まれるように次々と狐を貫いていく。

 一矢も外れなかった。

 皆中かいちゅうして全ての狐が消える。


 他にはいないか辺りに視線を走らせていると少女と目が合った。

 祥顕は少女の元に行こうとして足を止めた。

 ビルを迂回するにしろ一度下の通りに降りて登るにしろ、少女が視界から消える時間が出来る。


 弓は遠くから狙撃出来る代わりに間に障害物があったら打てない。

 下に降りてしまったら柵や橋などが邪魔になる。

 その間に彼女が襲われたら助けられないのだ。

 となるとこちらから行くのは得策ではない。


 祥顕は少女にこちらに来るように合図した。

 少女は合図の意味が分かったらしく陸橋脇の階段を降り始めた。

 祥顕は少女が襲撃された時に備えて弓を構えたままこちらに来るのを見守った。

 少女がこちらの陸橋の階段を上り始めたのを見て構えを解く。

 それから弓と足下の矢筒を見下ろした。


 これはどうすればいいのだろうか。


 弓や矢をき出しで持ち歩いてはいけなかったはずだが……。


 そう思った時、弓と矢筒が消えた。


 ほっとして胸を撫で下ろしたのと、

「ありがとうございました!」

 駆け寄ってきた少女が頭を下げたのは同時だった。


「大丈夫か?」

「はい」

「行き先がこの前と同じか? 送るよ」

「お手間を掛けてすみません」

「方角が同じだから」

 祥顕はそう答えると歩き出した。

 少女がいてくる。


「えっと、この先?」

 祥顕が曲がり角で立ち止まって訊ねた。

 ここは大通りだが住宅街は角を曲がって細い道に入っていくことになる。

「はい、すぐそこです」

 花籠は曖昧あいまいに住宅の方を指した。


「それじゃ」

 祥顕はそう言うと踵を返した。

 花籠が家を知られたくないと察してくれたのだ。


「あ、ありがとうございました!」

 花籠がそう言って頭を下げると祥顕は背を向けたまま軽く手を振った。

 家を教えなかったのは警戒しているのではなく古くて小さな家だから恥ずかしかったからなのだが――。


 小学生の頃、クラスの男子に家をバカにされて以来、なるべく人に教えないようにしているのだ。

 同じ小学校に通っている子達の大半が新しい高層マンションに住んでいた。

 綺麗な高層マンションに住んでいるクラスメイト達をいつも羨ましいと思っていた。


 祥顕に家を見られたら笑われるかもしれない。

 香夜が祥顕を家に連れてきたことはないから、祥顕は家を知らないはずだ。


 香夜ちゃんも先輩に見られたくないのかもしれないし……。

 けど……。

 また先輩と一緒に歩けちゃった……。


 祥顕のことを考えると胸がどきどきして温かくなる。


 また助けてもらっちゃったし……。


 そう思ってから襲われたことを思い出して慌てて家に向かって駆け出した。


―― 春風や 浪立つばかり 吹かざらん 片寄りもせぬ 池の浮き草 ――


 祥顕が職員室から廊下に出ると、

「あ……」

 と言う声がして顔を上げると眼帯男や狐面に狙われていた少女がいた。

 この高校の標準服を着ている。


「ああ、ここの生徒だったのか」

 そういえば祥顕が『中学生』と言ったら『高校生』だと訂正していた。

 どうやら同じ高校だったらしい。


 祥顕と少女は何となく一緒に歩き出した。

 彼女も教室に帰るところなのだろう。


「俺は弓弦祥顕だ。君の名前、教えてもらっても……?」

「え……!?」

 少女が驚いたように顔を上げた。


 唐突だったか……?

 まさか聞かれたくなかったとかじゃないよな……?


 それとも――。


「もしかして前にも聞いた事あったか?」


 これだけ可愛い子の名前を聞いていたら忘れないと思うのだが……。


「い、いえ、ありません!」

 花籠は慌てて手を振った。


 やっぱり、私のことなんか知らないよね……。

 ていうか、香夜ちゃん、私の名前教えてないんだ……。

 双子ってこと隠してるのかな……?

 中学生だと思われてたし……。


 年子の妹だと思わせておきたいのだろうか?

 同じ学校に通っているのだから双子だという事を隠すのは無理だと思うが。


 もし香夜ちゃんが私のこと教えたくないなら名乗らない方がいいのかな……?


 しかし香夜は人気者だし、その香夜と瓜二つの顔をしているのだから花籠が黙っていてもいつかは知られてしまうはずだ。


 花籠が考えを巡らせていると、

「じゃあ、有名人とか?」

 と祥顕が訊ねた。

 祥顕はアイドルや動画には興味が無いので有名人にはうとい。


「まさか」

 花籠は苦笑して、

「私は都紀島つきしま……」

 そこまで言ってから言いよどむ。


「あ、別に無理に聞く気は……」

「いえ! そうじゃなくて……花籠です」

 花籠は慌てて答えた。


『かごめ』と名乗ると必ずと言っていいほど笑われるから恥ずかしかったのである。

 憧れの先輩に笑われたくなくて、つい口籠くちごもってしまったのだ。


「……おかしいですよね、花籠って。キラキラネームっていうか……」

 花籠は先回りして言った。

「全然キラキラじゃないだろ」

「そ、そうですか? 古臭くないですか?」

「古いって事は昔からあるって事だろ。昔からあるなら尚更キラキラじゃないだろ」

「それは……」


 流行はやすたりがあるから古いからキラキラではないという事にはならないと思ったが、それはそれで、そのとき流行っている名前をキラキラネームというのはおかしいという事になる。

『かごめ』は流行りの名前というわけではないが。


「キラキラって言いたいだけだろ。俺からしたらよくある名前の方が嫌なんだが」

「え、そうなんですか?」


 花籠としては羨ましいのだが――祥顕という名前が、ではなく良くある名前の事だ。唯とか由香とか。


「『ただあき』の変換候補がいくつあるか知ってるか?」

 祥顕の質問に花籠が首を振る。


「九十近いんだ。そのうえ俺の名前は無いし」


 名前に使える漢字であってもその組み合わせが辞書に入っていなければ変換候補として出てこない。

 だから新しいスマホやパソコンを使う時は毎回一字ずつ変換して辞書登録しているのだ。


 もっとも、それをぼやいたら酒井から『のりあき』の変換候補は三百以上だ、二桁で文句言うなと怒られてしまったが。

 酒井の名前は紀明のりあきである。

 それだけ沢山あると変換候補はあっても無くても関係ない。

 変換候補を探すより一字ずつ変換した方が早い。

 百近く、場合によっては三百以上の変換候補の中から探した挙げ句、無かったことが判明して時間の浪費に腹を立てながら一字ずつ変換しなければならない〝ありきたり〟な名前より、無いと分かっているから最初から一字ずつ変換する〝キラキラネーム〟の方が遥かにマシだ。

 仮に変換候補があったとしても数が少ないからすぐに見付かる。

 そんな話をしているうちに教室に着いた。

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