漏れいづる香に

〝あの方が夜の闇を払う朝日なら、私は夜の闇を照らす月になろう〟


 西新宿の超高層ビルの窓が反射した朝日の光が目に映った時、そんな言葉が祥顕の脳裏に浮かんだ。


 アニメか何かの台詞か……?


 祥顕は首を傾げながら学校に向かった。



 花籠は歩きながら夢を思い出していた。

 もう一人の自分が香夜を助けるために身代わりになろうと言った。


 死にたいと思ってるわけじゃないと思ってたけど……。


 あんな夢を見たのは本当は死を望んでいるのからだろうか。

 

 放課後――


 花籠は家に向かって歩いていた。

 今日も一人だ。

 というか、もう二度と祥顕と一緒に歩くことはないだろう。


 家の前で立ち止まり辺りを見回す。

 だ明るいので人通りはあるが早太も狐もいない。


 なんで決心した途端に……。


 肩透かしのような安心したような――。

 このまま何事も無い毎日が過ぎていくのだろうか。


 先輩に会えないまま……。



 今日も香夜はリビングにいた。


 外出出来ないんだから退屈だよね……。


 香夜はタブレットで動画をていた。

 花籠が肩越しに覗き込んでみるとアニメだった。


「香夜ちゃんがアニメって珍しいね」

「これ、クラスで評判なんだって」

「面白い?」

「うん。花籠ちゃんもなよ」

 香夜がそう言って画面を花籠の方に傾けたので隣に座って一緒に始める。


 画面では主人公達が敵と戦っていた。

 不意にヒロインの目が光ると太い声に変わり、主人公達を攻撃し始めた。

 主人公達が防戦しながらヒロインに「自分を取り戻せ」などと呼び掛ける。


「こういうの、気持ちの問題だよね。私なら絶対乗っ取られたりしないな」

 香夜が画面を観ながら言った。

「そうだよね。香夜ちゃんなら負けないよね」

「もちろん」


 その時、画面の中のヒロインが苦しみ始めたかと思うと声が元に戻った。

 主人公達は敵を倒してヒロインも助かりハッピーエンドで終わった。


「ほらね。こんなの気を強く持ってればなんてことないよ」

「そうだね」


 私には無理だけど……。


 花籠は心の中でそう付け加えた。


 でも、香夜ちゃんなら大丈夫……。

 私と違って強いから……。


 花籠が死ねば早太や狐は諦めるはずだし、そうすれば祥顕は危険な目に遭わなくなる。


 先輩は何度も助けてくれた。

 だから私も先輩を助けたい。

 私はいつ死んでもおかしくない作られた人間だから……。


 祥顕はただ一人、花籠の話を真面目に聞いてくれた。

 それで十分だ。


 花籠は覚悟を決めた。

 明日、あの男の人に会おう。


 会って、それで……。


――木の葉散る 山路の石は 見えねども なおあらはるる 駒の爪おと――


謀反むほん? 私が!?」

 知らせを受けた主は心底驚いたようだった。


 芝居には見えない。

 当然だ。乱を起こす気などつゆほども無かったのだから。

 自分もそんな話は聞いていないし挙兵の準備もしていない。

 誰の仕業か知らないが主はめられたのだ。


「鎮圧の兵がこちらに向かっていると……」

「そうか」

如何いかがなさいますか?」

いたし方あるまい。兵をげる」

「本気ですか!?」

 郎党の一人が声を上げた。


「嫌な者は付いてこなくて良い。今ならまだ間に合う。邸を出ろ」

「それでしたら殿も……」

「釈明すればなんとか……」

 郎党達が口々に言ったが主は首を振った。


「兵達に告げよ。今より挙兵する。来たい者だけ付いてこい」

 主はそう言うと目顔で合図してきた。


 側に行くと、

「頼んだ」

 と言って側室がいる部屋の方角に目を向けた。

「出ていく者達に紛れれば目立たぬはずだ」

 主が言った。


 郎党達に来なくてもいいと言ったのは単にはかられたから巻き込まないためというだけではなかったのだ。

 夫婦で仕えていた使用人の中には家族連れで出ていく者もいるから女子供を連れて出ていっても怪しまれない。


「しかし……」

 ここで一緒に行かなければ臆病風に吹かれた腰抜けというそしりはまぬがれない。

 武士としてこれ以上の不面目はない。


「せめて釈明をなさってからでも……」

 その言葉に主は首を振った。

「お前も分かっているだろう。私はおとしいれられたのだ。今回なんとかなったところでまた同じようにはかられる」

「それはそうかもしれませんが……」


 躊躇ためらっていると、

「生涯ただ一度の頼みだ」

 主が言った。

「それは何度も聞きました」

 思わずそう口答えすると主が破顔はがんした。


 八十歳近くなった今でもまだ子供みたいな人だ。

 自分を含め、皆この人柄にいてきたのだ。


「ならば最期の頼みだ」

 主が真剣な表情で言った。

 そう言われては断れない。


 主の年では勝っても負けても次は無い。

 七十五を過ぎてもまだ賊を取り押さえていたくらい元気だから絶対とは言えないないが。


 しかし最近は寝込みがちだった。

 それを考えたら今回のことがなくても最後だったかもしれない。

 真剣な眼差しで頼まれたら嫌とは言えない。


「……ご武運を」

「案ずるな。この私に喧嘩を売ったことを後悔させてやる」

 主はそう言って不敵に笑った。


 急いで身支度をすると主の側室と幼い子供達を連れて邸を出た。


 郎党にともなわれ使用人のような身形みなりをした側室が、同じく粗末な形をした子供二人を連れて出て行くのを陰から見送りながら主は胸の中で別れを告げた。


「散る花の 岩でわかるる 涙川 あふれて流せ 次のせにまで」


 叶うことなら次の世でもう一度……。


――思へただ 岩にわかるる 山水も 又ほどもなく 逢はぬものかは――


 朝――


 花籠は学校へ行く支度をした。

 登校はしないが家は出なければ親に怪しまれる。


 勇気を出す為にスマホを開いてから写真が隠し撮りだったことを思い出した。

 もし遺品のスマホを見られて隠し撮りしていたことがバレたら嫌われるだろう。


 好かれるのは無理でも、せめて嫌われたくはない……。


 たとえそれが死んだ後だとしても。

 花籠は写真を消そうとして躊躇ためらった。


 今は、まだいいよね……。

 もしも迷った時、この写真があった方が勇気が出るはずだし……。


 直接会って別れを告げることは出来ないのだから、せめて写真の中の祥顕に想いを伝えたい。


 殺される直前に消せるようにスマホを開いたらすぐに写真が表示されるようにしてポケットにしまうと家を出た。


 人気ひとけのない路地で花籠は足を止めた。

 辺りを見回したが誰もいない。

 常に見張られているものだと思っていた。


 だから誰もいないところに行けばすぐに現れるのだと。

 しかし考えてみたら見張っているのなら登下校の途中で何度も機会はあったのだからその時に殺すことが出来たのだ。


 立ち止まって辺りを見回していると近くの家の人が窓を開けようとして花籠に目を留め不審げな表情を浮かべた。


 見張られてないなら学校に行った方がいいのかな……。


 住宅街にしろ繁華街にしろ、ただ突っ立っていたら警察に補導されかねない。

 そんな事になってそれが祥顕の耳に入ったりしたら印象が悪くなるだろう。


 花籠が学校に足を向けた時、早太が目の前に現れた。


「今日こそ引導を渡す」

 早太が言った。

 花籠は立ち止まって覚悟を決めた。

 しかし、ふとある事に気付いた。


「あの、私だって言う証拠はありますか?」

「あの方の入れ知恵か」

 早太が険しくなる。

『あの方』というのは祥顕の事だろう。


「えと、そうじゃなくて……具体的な根拠って言うか……」


 これではますます祥顕から言われたように思われてしまいそうだが他の言葉が出てこない。

 しかし、なんらかの兆候があり、花籠が死んでもそれが収まらなければ次の人間を狙うだろう――香夜を。


 双子なのだ。

 真っ先に疑われるのは間違いない。

 人違いだとバレれたら今度は香夜が狙われるし、そうなれば祥顕も危険な目にい続ける。


 もし守り切ることが出来ずに香夜が死んでしまったら祥顕は悲しむだろう。

 ましてや祥顕にもしものことがあったら花籠が身代わりになった意味がなくなる。

 だからそれを確かめておきたい。


「…………」

 早太は黙って花籠を睨んでいる。

 具体的に見せられる証拠が無いのか、そんな物を提示する必要など無いと思っているのか。


 どうしよう……。


 死ぬ覚悟はした。

 生きていたところで、この先祥顕と香夜が仲良くしている姿を見たらきっと死にたくなる。

 死ねばそれを見なくてすむのだ。


 ただ、花籠が死ねば祥顕や香夜が安全になるという確証が欲しい。

 対策を講じられるなら花籠が死んだ後、それをしてくれるように伝えられれば、そしてそれを実行してもらえれば、祥顕達は平穏無事な生活を送れるはずだ。


 困ったな……。


 花籠は地面に目を落として考え込んだ。

 香夜のことを秘密にしたまま聞き出すにはどうしたらいいのだろうか。

 花籠が顔を上げた時、通りの先に狐が見えた。


 狐の人達は世界を滅ぼそうとしてるって……。


 花籠――というか花籠ではないとバレた後に香夜が彼らに捕まってしまったら悪いことが起きて祥顕に巻き添えになるかもしれないのだ。


 急がないと……。


「場所、どこでもいいんですよね? ここでも……」

「え?」

「なら……」

 花籠が言い掛けた時、狐が早太の背後から飛び掛かった。

「危ない!」

 その声に早太が振り返りざま狐を斬り上げた。

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