はるのよあけの

 朝――


 花籠は病室で着替えると最後のチョコレートをまんだ。

 何の異常もないので退院することになったと連絡すると、祥顕から迎えに来てくれるという返事があったのだ。


 祥顕から貰ったチョコレートを口に入れるとほのかな甘みが広がった。

 イチゴのいい匂いもする。


 花籠は包み紙を丁寧に折って仕舞った。

 アイスコーンの紙は無くなっていた。


 だからこのチョコレートの包み紙は無くさないように取っておくのだ。

 嬉しくて思わずニヤけてしまいそうになってから急いで表情を引き締める。


 香夜が無事かどうかはだ分かってないのだ。

 もしかしたら香夜は本当に存在しなかったのかもしれないという疑念は湧いているものの、それが狐達の目論見もくろみではないとも言いきれない。


 香夜は実在するのに花籠がいなかったと思ってしまったら本当に戻ってこられなくなるかもしれない。

 そう思うと安易にいなかったと考えることは出来なかった。



 祥顕が家を出ると早太が待っていた。

 早太が祥顕と並んで歩き出す。


「写真を医師に見せました」

 早太が言った。

「それで?」


「一人で間違いないだろうと」

「だろう?」

「あれは断面図ですから角度によっては片方しか写ってなかった可能性もなくはないそうです」


 ただ、多胎児たたいじ――つまり双子や三つ子などではないかどうかは必ず調べるものらしい。

 病院によっては多胎児の出産は引き受けられないことがあるからだ。


 それを聞いた早太は再度病院を調べてみた。

 花籠が生まれた病院では多胎児の場合、他の病院を紹介することになっていた。


 そして花籠が生まれた頃、その病院で双子が生まれたという記録はなかった。

 多胎児の出産を扱えない病院で生まれたのだし例外的に扱ったという記録もないのなら花籠の母親が産んだのは一人で間違いはないのだろうということだった。


「わざわざ病院の記録まで調べてくれたのか。手間を掛けたな」

 祥顕が礼を言うと、

「首魁の〝魂の器〟を調べるためです」

 早太が答えた。


 祥顕は病院の前で早太と別れた。


「先輩」

 祥顕が病院のエントランスに入ると声を掛けられた。

 振り向くと花籠がいた。


「ああ、花籠かご……」

 祥顕は返事をしようとして違和感に気付いた。

 いつもと雰囲気が違う。


「先輩? どうしたんですか?」

 花籠が小首を傾げて訊ねてくる。


 祥顕と視線が合う。

 花籠は視線をらさなかった。


 花籠じゃない……?

 ということは……。


「君が香夜さんか」

「え……」

 香夜が目を見開く。


「ホントに瓜二つなんだな」

 祥顕が感心したように言った。


「先輩、私は……」

「双子が入れ替わるってマンガとかで良くあるヤツだろ。ホントにやるもんなんだな」

 祥顕が笑いながら言った。


「けど、それなら花籠が言ってたことはやっぱホントだったって事だな……」

 祥顕が考え込むように言った。


 そうなると花籠の言っていたことが正しくて他の人間達が騙されていることになる。

 母親も含めて――。


 香夜が姿を消してから数日つ。

 祥顕は香夜に鋭い視線を向けた。


「君、今までどこにいたんだ? 家じゃないだろ。お母さん達は花籠を一人っ子だと思って……」

 祥顕が最後まで言い切る前に香夜は身をひるがえすと駆け出した。

「え、おい……!」

 慌てて追い掛けたがトイレの前で見失ってしまった。


 まさか女子トイレに入るわけにいかないし、入口の前で待つわけにもいかない。


 こんなところにいるのを花籠に見られたら大変だ。

 変態だと思われてしまう。

 これ以上非モテに拍車を掛けるような行動はしたくない。


 花籠の話が正しかったと分かったのだから、とりあえずは良しとしよう。

 祥顕は急いで待合室に引き返した。


 もしかしたら花籠と一緒かもしれないし……。


 楽観的すぎる見方だとは思うが――。

 早太にこのことを伝えて香夜を助け出す算段をした方がいいだろう。


 それに花籠も記憶が改竄されたのは自分の方じゃないと知って安心するはずだ。

 とはいえ、やはり色々と問題は山積みなのだが――。


 祥顕は待合室にやってきた花籠を見て思わず目をいた。

 花籠はたった今会った香夜と同じ服を着ている。


「先輩、わざわざ迎えに来てもらってしまってすみません……あの、どうしたんですか?」

 花籠が戸惑った様子で訊ねた。


 彼女も香夜なのか……?

 再チャレンジしてるとか……?


 いや、同じ服で騙せるほどバカだとは思われてはいない……と思いたい……。

 もしかして花籠が影から覗いてるのか? あるいは香夜が。


 そう思って辺りを見回したが、それらしき視線は感じない。


「先輩?」

 困惑した様子の声に振り返る。

 祥顕と視線が合いそうになると花籠は急いで俯いた。


 花籠は祥顕が見舞いに持っていった菓子店のショッパーを大事そうに胸に抱えている。

 ここにいるのは花籠で間違いないだろう。


「お母さんは?」

 祥顕がそう聞くと、

「あ、そっちで手続きしてます」

 花籠が会計窓口を指差す。


「……今お姉さんに会った」

「え……、お姉さんって……香夜ちゃんですか!?」

 その様子を見て、やはりさっき会ったのが香夜で、ここにいるのは花籠だと確信した。


 だが……。

 双子なのに同じ服を持っているのか……?

 まぁ二人して同じ服を着たいのなら片方に我慢させるのも可哀想か……。


「お姉さんから連絡は?」

 祥顕が聞いた。

「ありません」

 花籠が首を振る。

 つまり香夜は行方不明のままなのだ。


「お母さんは思い出してないんだよな?」

「はい。あの……」

「ん?」

「香夜ちゃんのこと……その、やっぱり知り合いじゃありませんでしたか? それとも思い出し……」


「いや、あれだけそっくりなんだぞ。花籠より前に知り合ってたら初めて花籠と会った時にお姉さんと間違ってたはずだ」

「そ、そうですか……」

 花籠は祥顕の返事を訊いて肩を落とした。


 やはり花籠と香夜の見分けが付くから間違えなかったわけではなく、本当に知り合いではなかったのだ。


 そっか、やっぱり先輩も間違えるんだ……。


 花籠は祥顕に気取られないようにしながらも気落ちしていた。

 とはいえ、間違えるというのなら花籠と会ったとき気付かなかったのは本当に面識がなかったと言うことになる。


「花籠の言う通り双子だったってことは事実だったな」

「え……あ、そうですね」

 自分の言っていることが証明されたと分かったのは良かったのだが、今度は香夜の事が心配になった。


 皆が香夜のことを忘れている状態では学校に行くどころか家にすら帰ってこられないのではないだろうか。


 香夜ちゃん、どこにいるんだろ……。

 今、どうしてるのかな……。


「とりあえず帰ろう」

 祥顕の言葉に花籠は歩き出した。



「あ……」

 祥顕が足を止めたので花籠が視線を追い掛けるとクレープ屋があった。

 その隣にアイスのワゴンも出ている。


「クレープとアイス、どっちがいい?」

 祥顕が嬉しそうに言った。

「え、えっと……」

 花籠が店の方に目を向ける。


 どっちがいいかな……。

 先輩はどっちがいいんだろ……。

 この様子だとクレープも好きかもしれない……。


 それなら今日はクレープの方がいいのだろうか。


 花籠が考えていると、

「じゃ、両方」

 と言って祥顕が歩き出した。


「え!? あ、じゃあ、割り勘で!」

 花籠は慌てて言った。

 祥顕は大学受験を控えているのだ。

 奢りの金を稼ぐためのバイトなどさせるわけにはいかない。


「いや、俺が誘ったんだし……」

「いえ、その方が遠慮なく食べたいの注文出来ますから……」

「そうか」

 祥顕はなんとも言えない表情で頷くとクレープの店に向かった。


 もしかして、おごってもらっている間は早まらないと思われてるのかな……。


 おごってもらうのが好きな女の子だとは思われたくないのだが――。


 夜――


 図書館から出た祥顕が道端の街灯にもたれると程なく早太がやってきた。


「連絡先をお教えしますので御用の時はそちらに」

 早太はスマホを出しながら言った。

「花籠のこと、調べてるか? あるいは香夜のこと」

 祥顕は早太と連絡先を交換しながら言った。


「何かございましたか?」

 早太がスマホを仕舞いながら訊ねた。

「香夜に会った」

 祥顕が答えた。


「本当ですか!? どちらで……」

「花籠が入院してる病院だ。間違いなく花籠とは別人だった。それに瓜二つなのもホントだ」

 祥顕が言った。


「では今はどこにいるのですか?」

 と早太が問う。


 早太も同じ事を考えたのだ。

 親が覚えていないのなら家にいるはずはない、と。


 祥顕は溜息をいた。


 そう、一番の問題がそれなのである。

 母親は祥顕の前で花籠は一人っ子だと言った。


 祥顕に隠そうとしていた風ではなく、本気で一人だと思っていたようだから香夜が自宅にいるとは考えにくい。

 かといって高校生の小遣いではネットカフェなどに何泊も出来るわけがない。


 清潔な身形をしていたから野宿をしているとは思えないし、そうなると誰かの家に転がり込んでいると考えるのが妥当だ。――例えば白浪きつねのアジトとか。

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