におどりの声 ――

 祥顕が病院の待合室で辺りを見回していると、

「先輩」

 花籠の声に振り返った。


花籠かご……」

 言い掛けて花籠の隣に母親らしき女性がいるのに気付く。

「花籠ちゃ、さ……都紀島さん」

『ちゃん』や名前に『さん』も馴れ馴れしいと思われるかと言い直した。


「花籠でいいですよ」

 と花籠が苦笑しながら言った。

「わざわざ来て下さったんですね。ありがとうございます」

 花籠の母親が言った。

「お母さんは手続きがあるから先に帰ってて」

 花籠の母親は祥顕に会釈して行ってしまった。


「花籠、大丈夫か。ケガは……」

「私は大丈夫です。それより香夜ちゃんが……」

「何かあったのか!?」

 祥顕が心配そうに訊ねた。


 やっぱり、香夜ちゃんのこと心配してるんだ……。

 でも、それなら尚更早く香夜ちゃんが危ないこと知らせなきゃ……。


「私じゃないってバレちゃったので次は香夜ちゃんが狙われると思います」

「バレた?」

 祥顕の問いに花籠は頷いた。


「私は違うそうです」

 花籠が言った。

「じゃあ、儀式をしたのか?」

 祥顕が訊ねた。


「それはよく分からないんですが……」

 花籠が心許なさそうな表情で答えた。

「分からない?」


 ドラマやアニメで観るような、いかにもそれっぽい事はしなかったという事だろうか?


「私、気を失ってて……目が覚めたら違うって……」

 花籠が答えた。


 おそらく花籠が意識を失っている時に覚醒の儀式とやらをしたのだろう。

 儀式の最中に気を失って記憶が飛んでいるのかもしれない。

 そして、違うと言われたと言う事は覚醒しなかったのだ。

 だとすれば花籠ではないのは間違いないだろう。


「違うって分かったので私を供物くもつにして本物の居場所を占えって……」

「供物!?」

 祥顕が驚いて聞き返すと花籠が頷いた。

 どう考えてもそんな不穏なものに使われたら命はないだろう。


「そういえば前にお姉さんと間違われてるって言ってたよな。その時はなんでそれが分かったんだ?」

さらいに来た時、私を香夜って呼んだんです。多分、双子で瓜二つだから間違えたんだと思います」

「花籠には敵の首魁だって言う心当たりはなくて、お姉さんは狙われたことないんだな?」

 祥顕が念を押す。


「はい。香夜ちゃんが襲われたのは一度だけだと思います」

「一度? 一度は狙われたのか?」

「私を『香夜』って呼んでさらおうとしました」


 どちらにしろ襲われたのは花籠なのだ。


 祥顕は口を開き掛けて花籠の視線に気付いた。

 振り返ると早太がいた。

 祥顕が花籠を庇うように前に立つ。


「花籠は連中からはっきり違うって言われたそうだ。供物とやらにして本物を占おうとした。だよな?」

 祥顕が確かめるようにそう言うと、花籠が頷いて、

「多分、車に乗せられたのは占う場所に連れていくためだったんだと思います」

 と補足した。


「まさか……そんなはずは……」

 早太が信じられないという表情で呟いた。


 そこまで驚くことか……?

 狐と鳥だろ。――それとアザラシ。


 早太は動揺した様子で病院から出ていった。


「先輩、私が間違いだってことを教えちゃったら他の人が襲われるんじゃ……」

 香夜が――。


「そうだが、もしかしたら占わなくても見付け出せるかもしれないし、そうなったら狐達はそっちを襲うようになるだろ」

 そうなれば早太達も花籠は違うという事に気付いて別の標的そちらを狙うはずだ。


「でもそうなったら香夜ちゃんが……」

「姉妹だと知ってたら占う必要ないんじゃないか?」


 普通、未成年者は家族と同居しているものだ。

 当然双子の姉も同じ家に住んでいるはずだから占うまでもない。

 祥顕はそう言った。


 だが花籠の不安は拭えなかった。

 祥顕にも香夜が違うと言えるだけの確証はないはずだ。


 ホントに香夜ちゃんは大丈夫なのかな……。


「送るから帰ろう」

 花籠は祥顕に促されて帰途にいた。


―― 中々に いひははなたで 信濃なる 木曽路の橋の かけたるやなぞ ――


 女性が歌を呟いた。


 それを聞いて怪訝そうな表情をしたのを見た女性は、

「殿のご先祖様が詠まれた歌よ。女性に贈られたらしいの」

 と言った。


 先祖という事は歌集のどれかに残っている歌なのだろうが、何しろ主は代々歌人の家系である。

 一族の者は男女を問わず数多くの歌を残している。

 歌が残っていない者を探した方が早いくらいだからよほど有名な歌でもない限りいちいち覚えてられないので誰の歌なのかは分からなかった。


「架け渡す 木曽路の橋の 絶え間より 危ぶみながら 桜をぞ見る」

 続けて女性が歌をながめた。

 これは主がんだ歌だ。


「この歌もどなたかに贈られた歌なのかしら」

「いえ、山中の橋を渡られた時に詠まれた歌です。昔東国に行った時に」


 橋桁はしげたの間に隙間が空いていて危険だったから一人ずつ慎重に渡ったのだ。

 そのとき主が途中で立ち止まったから足が竦んだのかと思って助けに行こうとしたら歩き出した。


 そして渡りきった後、

「もう少し見やすいところに咲いていてくれればゆっくり眺められるものを」

 と言いながら持っていた紙に書いたのが今の歌なのだ。


 こちらは主の身を案じていたのに、当の本人は花を眺めて歌を詠んでいたのだから随分と余裕だったのだな、と半ば呆れたからよく覚えている。


「そう、女性に贈られた歌ではないのね」

 彼女は安心したように言った。


 彼女を側室に迎えた後も大勢の女の元に通っていたから疑っていたらしい。

 その点に関しては擁護のしようがなかった。

 主が木曽路を詠んだ恋の歌もあるが知らないようなので黙っていた。


―― 妹をいかで 木曽路の橋に 待ちかけん 避くかたもなき 道とこそ聞け ――


 授業中――


 花籠は今までと同じように学校に通っていた。

 間違いだと分かったせいか花籠が狙われることはなくなった。

 けれど香夜も間違いなのかどうかは分かっていない。


 実際、祥顕も心配しているようで香夜はまだ登校しないように言われているらしく学校を休んでいる。

 しかし、もし香夜が家に一人でいる時に狐達に襲われたら捕まってしまうだろう。

 花籠は気が気ではなかった。


 不意に花籠の目に、険しい顔をした祥顕が香夜を守るように立ちはだかっている姿が映った。

 香夜が祥顕の背後に怯えた表情で立っている。

 周りを狐達が取り囲んでいた。


 え……。

 いつの間に……。


「香夜を渡せ!」

「断る!」

 祥顕が即答すると狐達が襲い掛かった。


 早太さん達は……。


 花籠は慌てて辺りを見回した。

 だが、いつもはすぐに駆け付けてくる早太達がいつまで待っても来ない。

 祥顕は健闘しているが多勢に無勢だ。


「ぐっ!」

 目の前で血飛沫を上げて祥顕が倒れた。

「弓弦先輩!」

 香夜が悲鳴を上げる。

 花籠も叫びたかったが声が出ない。


 狐達が立ちすくんでいる香夜の腕を掴む。

 香夜が再び悲鳴を上げた。


「花籠ちゃん! 助けて!」

 香夜が叫ぶ。


 助けなきゃ……!


 だが体が動かない。


 どうしよう……。

 助けなきゃいけないのに……。

 私と区別が付かなかったはずなのにどうして……。


 私を香夜ちゃんだと思ってたらこんなことにはならなかったのに……。

 私だったら……。


「代わりたいか?」

 突如、背後から誰かの声がした。

 花籠が即座に頷く。

 身体が動かないので振り返れないから誰だか分からないが、誰でもいい。

 祥顕と香夜を助けられるなら――。


「なら、これを」

 そう言って目の前に紙が突き出される。

「それを持って願えばお前が代わりになれる」

「それで助けられるの!?」


 花籠は自分の声で目が覚めた。

 教室中の視線が集まっている。

 周りからくすくす笑う声が聞こえてきた。


「都紀島、後で職員室に来なさい」

 教師は怖い顔でそう言うと授業の続きを始めた。

 花籠は赤くなって俯いた。


 夢で良かった……。

 でも……。


 早く身代わりにならないと夢が現実になってしまう。

 けど――。


 あの紙に書いてあった文字、どこかで見たような気が……。


 放課後――


 祥顕が教室に迎えに来たのであれが本当に夢だったと確認出来てホッとした。


 自宅に戻った花籠が部屋に入ると机の上に何かが載っていた。

 小さな紙切れだ。


 授業中に夢で見たのと似ている。

 何か文字のようなものが書いてあるが日本の字では――。


 そこまで考えてハッとした。

 狐に連れていかれた場所の床に書いてあったのと同じ文字だ。


 どうしてここに……。


 狐がここに入ってきたと言う事だろうか。


 まさか……!?

 あの夢……ホントに香夜ちゃんがさらわれたんじゃ……。


〝花籠ちゃん!〟


 香夜の叫び声が聞こえた気がして花籠は慌てて部屋から駆け出した。


「お母さん、香夜ちゃんは!?」

 花籠は台所に飛び込むとそこにいた母に訊ねた。

「はぁ?」

 怪訝そうな母の答えに不安が募って他の部屋も見て回ったが家の中にはいない。


 花籠は部屋に駆け戻ると紙に手を伸ばした。


 もし攫われたなら香夜ちゃんだって気付かれる前に入れ替わらなきゃ……。


 紙を掴んだ瞬間、花籠の意識が暗転した。


―― まどろまば おどろかすなよ 逢ふと見る 夢にも中を 割くと思はん ――

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