流るるなみと

「車を止めさせます。見えなくなる前にお撃ち下さい」

 早太が言った。

「撃てって……花籠に何かあったらどうする! 花籠だけじゃない! 他の人だって巻き添えに……」

「この先の植え込みは幅があります」

 早太はそう言って前方に視線を向けた。まだ距離があるから見えてはいないが。


 幹線道路の中央分離帯は大抵中央に金属製の柵があるのだが、早太が言ったところは幅一メートル半ほどの植え込みに低木が密集している。

 そこならかなり衝撃が緩和されるはずだ。

 問題は――。


「真ん中に突っ込むとは限らないだろ」


 歩道側も道路との境に植え込みが続いているが幅は大して広くないし太い並木が植わっている。

 歩道の方に行ってしまったら樹や道路標識にぶつかる。


 街路樹などに衝突して止まれば巻き添えになる人はいないかもしれないが花籠は確実にケガをするだろう。

 下手をしたら命を落としてしまう。


「併走している車を運転している者に命じて中央に向かうように仕向けさせます」

 言われて前方に目を向けると確かに花籠の車の少し後ろを走っている車がいる。

「そんなことをするまでもなくあの娘は傷一つ負わないと思いますが」

 早太の言葉に心を決めたものの狭い車内で弓を射るのは無理だ。


 早太が車を止めるように命じる前に祥顕は窓を開けると屋根ルーフによじ登った。


 だが走っている上に狭い。そのうえ平ではないから足場が悪い。


 その時、後ろから走ってくるトラックが目に映った。

 荷台に屋根が無いし荷物も少なくおおいも掛けられていない。


 あれなら……。


「おい! スピードを落とせ!」

 祥顕は運転手に声を掛けた。

 車のスピードが落ち、トラックが追い付いてくる。


 ルーフに乗っている祥顕を見たトラックの運転手が驚いたような表情を浮かべながら通過していく。

 祥顕は姿勢を低くしてトラックが隣を通り過ぎる瞬間を待った。


 トラックが横を通過する一瞬のタイミングでルーフを蹴り荷台に飛び移る。

 積まれている荷物の上に立つと運転席のルーフ越しに花籠の乗せられている車が見えた。


 早太の言った車なのか、花籠の車と併走しているのが一台見えた。

 その車が内側車線から花籠の乗せられている車を追い越し、徐々に間を狭めていく。


 それにつれて花籠の車が中央に寄っていく。

 祥顕は目の前に現れた弓を掴んだ。


 花籠は左側の窓際に座っていたはずだ。

 止まってはいないから場所は移動していないと思うが――。


 中央分離帯が終わる前に撃つ必要があるが、もし花籠に当たったらケガをさせてしまうか下手をしたら命を落とす。

 狙いを付けかねて迷う。


夕星ゆうつづの 星のたよりの なき夜の 弓はり月に とふひいずこと」 

 そう呟いた時、車の屋根ルーフが一瞬光った。

 あそこか――!


 花籠に当たるなよ……。


 祥顕は祈るような気持ちで狙いを定める。

 ルーフを貫通させる為に限界まで弦を引き絞り、あと少しで中央分離帯が途切れる、と言うところで矢を放った。


 ルーフを貫通した矢が運転手も射貫いたのだろう。

 車がコントロールを失ったようにふらついた時、隣を走っていた車が車体を中央へ寄せるようにぶつかった。


 花籠の車が中央の植え込みに突っ込み、低木を薙ぎ倒しながら数メートル進んで止まった。

 助手席と後部座席のドアから狐が二人――二匹というべきなのか?――出てくる。


 祥顕はその二匹も撃ち貫く。


 事故を見たからだろう、トラックの運転手がブレーキを掛けた。


 祥顕は不意を突かれて荷台から転げ落ちそうになって慌てて近くの荷物にしがみ付く。

 そのまま身体を起こすと荷台から飛び降りて花籠の乗っている車に駆け寄った。


「花籠!」

 ドアを開けようとしたがロックされている。

 そこへ早太が駆け付けてきて運転席の窓を割り、中に手を入れてドアのロックを解除した。

 祥顕がドアを開ける。


 花籠は後部座席の床で気を失っていた。

 祥顕は急いで抱き起こそうとして、頭を打っている可能性がある時は動かしてはいけないという事を思い出した。


「花籠!」

 祥顕が声を掛けても花籠の意識は戻らなかった。

 救急車を、と言おうとした時、サイレンの音が近付いてきた。

 トラックの運転手が通報したらしい。



 花籠を乗せた救急車を見送りながら祥顕は悔やんでいた。

 早太の言葉を間に受けてしまったものの考えてみたら〝大丈夫〟なのは香夜であって花籠ではない。


 連れ去られてしまったとしても花籠から到着した場所を聞けば良かったのだ。

 スマホを取り上げられなければ、の話だが――。


 それを考えれば見失う前に取り戻した方が良かったのかもしれないが、花籠にもしものことがあったら本気で後悔することになるだろう。

 祥顕は花籠を心配しながら家路にいた。


―― 思ふ事 下に揉まるる 丸数珠の 露ばかりだに かなはましかば ――


「殿がどなたに数珠を贈られたのかご存じ?」

 女性にそう訊ねられて、

「え?」

 驚いて彼女を凝視した。

 どなたも何も彼女への贈り物ではないか。


 何年も文を贈り続けても無視されていたのにある日突然その歌で数珠をねだられたのだ。

 それで主は喜んで歌と共に数珠を贈ったのである。


 その後、彼女との逢引がバレて側室として引き取ることになったのだが、切っ掛けが数珠を贈ったことなのだからよく覚えている。


 大勢の男達から贈り物をされていたから贈り主など一々覚えていないのかもしれない。


 あるいは年で物忘れしたのか……。


 主も昔もらった文をどこに置いたか忘れてしまったと嘆いていた。


 そして「年は取りたくないものだ」と言いながら歌を詠んでいたのである。

 歌人は物忘れをするようになっても歌を詠むことだけは忘れないのだな、と感心したものだ。


―― いづこぞや いも玉章たまづさ かくしおきて 覚えぬほどに 老いけにけり ――


 朝――


 祥顕はスマホの着信音で目が覚めた。

 時計を見るといつもより遅い時間だ。


 夕辺は花籠が心配で中々眠れなかったので寝坊してしまったらしい。

 スマホを見ると花籠からだった。

 無事だという事と助けてもらった礼が書いてある。


 胸を撫で下ろしたいところだが花籠の性格だと本当は大ケガをしていても心配を掛けないように大丈夫だといいそうな気もするが、月曜から登校すると書いてある。

 医者が学校に行っていいと言ったのなら大丈夫だろう。


 祥顕が家から出ると早太がいた。祥顕を待っていたのだろう。


「お話があります」

 早太がそう声を掛けてきた。

「なんだ。花籠の病院なら知らないぞ。知ってても教える気はないが」

 祥顕がぶっきらぼうに返す。


「昨日、私が申し上げたことを覚えてらっしゃいますか? あの娘はケガをしないはずだと」

 早太が言った。

 その言葉を間に受けてしまったせいで花籠がケガをしたのだから忘れるわけがない。


「あの娘には能力ちからがあるのでケガをするはずがないのです」

「覚醒しなかったからだろ。花籠は覚醒を拒んだから身を守ることが出来なくてケガを……」

「それはあり得ません」

 早太が祥顕の言葉を遮る。


 あっさり否定されてしまったが、説明の仕方を変えればなんとか誤魔化ごまかせないだろうか――。


「なら勘違いで〝魂の器〟とやらはまだ生まれてきてないんじゃないか?」

 祥顕は切り口を変えてみた。

「それもありません。白浪の封印の一つが壊れたという報告があったのです」

 早太が答える。


「生まれ変わりが誰なのかって事まで分かるものなのか?」

「いえ、ですが以前申し上げたように白浪が覚醒させる為に狙ってくるので」

 この期に及んでも狐を信じているらしい。


「根拠は狐が狙ってるってことだけなのか?」

「それと白浪の封印が破られたことです」

「破られたのは一つだけなんだな。つまり一人だけ、と」

「一人なのは確かです」

 おそらく狐が間違えることはないと確信しているのだろう。


 敵をそこまで盲信しなくても良いだろうに……。


 早太は近くの病院の名前を挙げた。


「あの娘が入院している病院です」


 そうか、あのあと車で救急車を追い掛けて行き先を突き止めたのか……。

 まさか……!?


 祥顕は慌てて病院に向かって駆け出した。


「お待ち下さ……」

 早太が声を掛けてきたが無視して病院に走る。


 病院の敷地に入ったところで病室を知らないことに気付いた。

 特に騒ぎは起きていないようだから早太達は乗り込んできていないのだろう。


 受付で聞いたら病室を教えてもらえるだろうか。

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