にこぐさ多き

「手こずらせるな! さっさと……」

 早太が手を伸ばしてきた時、肩から脇腹に掛けて銀閃が光ったかと思うと早太が消えた。

 その背後に立っていたのは――早太だった。


 やっぱり偽物だったんだ……。


 早太が花籠に刀を向けようとした。

 花籠は思わず後退り掛けて早太に殺されようとしていた事を思い出した。


 逃げるわけにはいかない……。


 花籠はなんとか踏み留まった。

 と、そのとき狐達が飛び出してきて花籠と早太を取り囲んだ。


 早太は舌打ちすると近くにいた狐を斬り上げた。

 その隙に別の狐が花籠に飛び掛かろうとしたが、それを別の男が斬った。


此奴こやつの始末を……!」

 男の一人が言った。

手隙てすきの者がやれ! 白浪に奪われないようにするのが先だ!」

 早太が狐を斬りながら答えた。


 他の男達も狐との戦いに忙しくて花籠にまで手が回らないようだ。


 不意に目の隅で何かが反射した光が視界をよぎった。

 そちらを向くと狐が早太に振り下ろそうとした刀だった。


「あ、危な……!」

 花籠が声を上げるのと、狐に矢が突き立つのは同時だった。


 振り返ると通りの先で祥顕が弓を構えていた。

 既に二の矢をつがえている。

 祥顕が矢を放すと別の狐が射貫かれた。


 狐達が次々と祥顕の放つ矢に貫かれていく。

 やがて狐がいなくなると祥顕がこちらに向かって駆けてくるのが見えた。



 早太の仲間の一人が花籠に刀を向けた。


「待て!」

 早太が男を止める。


 え……?

 先輩が見てるから……?


「どうして止めるのですか!?」

「あの方を敵に回すのは不味マズい」

「何故です」

「あの方は……の持ち主だ」

 早太は言葉を濁したが男達の表情を見るとそれが何かは理解したらしい。


 ? なんの事?


 花籠は首を傾げた。

 男達は早太に促されて引き上げていった。

 早太も立ち去ろうとして踵を返してから花籠の方を振り返った。


「諦めたわけではない」

 早太はそう言うと姿を消した。


 入れ違いで祥顕が花籠の側に到着した。


「無事か!?」

「はい。ありがとうございました。でも、どうしてここに……」

「いや、昨日のことがあったからもしかしたら朝も危ないかもしれないと思って……来て正解だったようだな。行こう」

 祥顕は花籠を促すと学校に向かって歩き出した。


 放課後――


 以前と同じように花籠は祥顕に送られて帰ってきた。

 いつもの分かれ道のところで祥顕と別れた花籠は家の前で今来た道を振り返った。


 これからどうしよう……。


 今朝のように狐が早太に化けていても花籠には区別が付かない。

 このままなし崩し的に祥顕と一緒に登下校をするようになったら祥顕はいつまでも危険な目に遭うし、香夜も登校出来ないままだ。


 でも……。


 やはり花籠としては祥顕と少しでも一緒にいたい。

 その思いを断ち切るのは難しかった。


 深夜――


 花籠が道を歩いている時、ショーウィンドウに写っている自分が目に映った。

 その身体は腐ってウジ虫が湧いている。

 見る間に身体がばらばらになっていく。


 花籠の背後に祥顕が立っていた。

 驚愕したような表情で花籠を見ている。

 最後に見たのは口を押さえながら目を背けた祥顕の顔だった。


―― くれないに 染めたる袖の 同じ色の 涙見分かぬ 恋心かな ――


 朝――


「――――!」

 花籠は思わず飛び起きた。

 自分の醜く崩れていく身体が脳裏に焼き付いている。

 あんな姿だけは見られたくない。

 それ以上に、祥顕のあんな表情は見たくない。


 それだけは……。


 花籠はキツく目を瞑った。


 花籠は登校の支度をして家を出た。


 登校はしないが親に怪しまれないように学校へ行く振りをしようと思ったのだ。

 だが通りの先を見ると、迎えに来てくれたのだろう、祥顕が待っていた。

 祥顕が花籠に気付いて手を上げたので、花籠も答えるように手を上げて祥顕の元へ向かった。


 支度してきて良かった……。


 花籠は内心冷や汗をかいていた。

 もし花籠が狐達に捕まるつもりだからと登校の支度をしていなかったら祥顕を遅刻させてしまうところだった。


 放課後――


 花籠は祥顕と一緒に歩いていた。

 また祥顕が送ると言ってくれたのだ。


 もし祥顕の側にいる時に、あの夢のように肉体が崩れて、それを見られてしまったりしたら――。

 それだけは嫌だ。


 でも今日は折角先輩が誘ってくれたんだし、これを最後の思い出にしよう……。

 先輩と一緒に話したり下校したり、アイス食べて、連絡先の交換まで……。


 これだけ良いことがあったのだし、最後に良い思い出をくれた先輩に恩を返せるのだと思えばきっと未練は残らないだろう。

 花籠が標準服で登校しているという事は知られているだろうし、一度家に帰って香夜の服に着替えてからの方がより本物らしく見えるはずだ。


 だから今日だけ……。

 どうか先輩から見られないところに行くまでは崩れないで……。


「そういえば、この前のアイス、上手かったか?」

「はい! もちろん」

 祥顕と一緒に食べられたと言うことを抜きにしても美味しいアイスだった。


 祥顕が一人では食べづらいと言っていたように、友達のいない花籠もああいう店でアイスを食べたことがなかったし憧れてもいた。

 だから祥顕と食べることが出来てすごく嬉しかったのだ。


「じゃあ、今日も食べていかないか?」

 祥顕が水を向けた。


 その言葉に花籠は躊躇ためらう。

 ホントならすぐにでも頷きたい。


 でも……。


 いつ身体が崩れるか分からない。

 アイスを食べている最中に祥顕の目の前で肉塊になってしまったりしたら――。


 そう思うと不安が募って一刻も早く帰りたくなる。


 本当は一秒でも長く側にいたいのに……。


「すみません、今日は……その……」

「そうか、じゃあ、また今度」

 祥顕は気分を害した様子もなく頷いた。


 今度はない。

 けれど、それは祥顕には言えなかった。


 いつもの分かれ道のところで花籠は祥顕と別れた。

 祥顕が花籠を見守っているのは振り返るまでもなく分かっていたので真っ直ぐに家に向かった。

 祥顕は受験生なのだから花籠のことでこれ以上時間を使わせるわけにはいかない。


 早く図書館に向かえるように急いで家に入らなければ。

 国立にしろ公立にしろ難易度は高いのだ。

 どこも難易度が高いのは事実だし、勉強が大変だと言っていた。

 祥顕は成績優秀という話だが、だからといってなまけるわけにはいかないだろう。


 夕食後――


 部屋に戻った花籠は香夜の服を借りて着替えた。

 袖なしのパーカーを着てからフードを被るか迷った。

 香夜と花籠では髪の長さが違う。


 だが雨が降っているわけでもないのにフードを被っていたら不審者と間違われて通報されかねない。

 被ってなくても下ろしたフードで髪の長さは誤魔化せるだろう。

 花籠はパーカーの内側に髪を入れて分かりづらくした。


 花籠は鞄からアイスのコーンに巻かれていた紙を取り出してポケットにしまうと写真を削除した。


 写真は隠し撮りだがアイスは祥顕と一緒に食べたものだし、祥顕も嬉しそうだった。

 今日も誘ってくれるくらいには喜んでくれたのだ。

 アイスの紙なら捨て忘れと思われるだけで持っていたからといって気持ち悪いとは思われないだろう。


 もう十分すぎるくらい良いことがあった。

 こんな幸せな思い出を貰えたんだからもう思い残すことはない。

 だから――。


 どうか先輩が大学に合格しますように……。


 心の中でそう祈るとスマホをポケットにしまう。

 花籠は背筋を伸ばすとドアを開けた。


 この時間、住宅街は人通りが絶える。


 早太さんが来たら「ここでお願いします」って言ってスマホ渡せばいいよね……。


 本物の早太なら意味を理解してその場で写真を削除してくれるはずだ。

 花籠は大通りとは反対の方向に歩き出した。


 いつも大通りの曲がり角で別れているから祥顕の家は知らないが、小学校や中学校が違ったから学区が別ということだ。

 それならこの住宅街には住んでいないということになる。

 大通りの方に行ったら祥顕とばったり出会してしまうかもしれないので住宅街の狭い道を選んで歩くことにした。


 数メートルほど歩いた所で突然背後から口を塞がれたかと思うと意識を失った。



 祥顕が家に帰る途中、早太達が走り回っているのが目に止まった。


「いたか!」

「こっちにはいません!」


 花籠が追われてるのか……!?


 祥顕は辺りを回して早太を見付けると駆け寄った。


「おい! また花籠を……」

「違います」

「もしかして花籠以外にも女の子を狙ってるのか?」

 花籠は双子だ。

 それを知った早太達が姉の香夜も狙っているのかもしれない。


「いいえ、あの娘が白浪に連れていかれたのです」

 早太が苦々しい顔で答えた。

「え!?……あの娘って花籠のことだよな!?」


「ええ、まだ遠くへは行ってないはずなので探しているところです。なんとしても覚醒だけは阻止しなければ……」

 祥顕は早太の言葉を最後まで聞く前にその場を離れた。


 近くの路地に入り、周りに早太やその仲間達がいないのを確認してからスマホを取り出した。

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