のに隠れしか

 祥顕は山の中に立っていた。


「我が宿の 花はねたくや 思ふらん よその梢に 分くる心を」

 そう呟きながら辺りを見回す。


 確かこの辺だったはずだが……。


 毎年ここに山桜を見に来ているのだから迷うはずがない。

 ふと振り返ると今来た道も見えなくなっている。

 供の郎党の姿も見えない。


 不意に、香の甘い香りが漂ってきた。

 人里離れた山中で香の匂いがするはずがない。


化生けしょうの仕業か……」

 祥顕は背負っていた弓を取ると矢をつがえた。


「相坂の 関を閉ざすか 春霞 かすかの山の 道はいずくや」

 そう呟くと限界まで引き絞った弓を放つ。


 真っ直ぐに飛んでいった矢が何かに当たったような音がした。

 と、同時に辺りの景色がガラスのように砕け散り、目の前に花籠がこちらに背を向けて立っていた。


「花籠!」


 花籠の背後で矢が飛んでくるような音がしたかと思うと、何かが壊れた音がして後ろから光が差し込んできた。


 と同時に後ろから声が聞こえて花籠は驚いて振り返ると祥顕が立っていた。

 花籠が目を見開く。


「先輩……どうしてここに……」


 ここに祥顕がいるはずがない。

 ならばこれは夢だ。


 それでも折角会えたんだから今度こそお別れを言おう……。

 それとお礼も……。

 たとえ本物の先輩には伝わらなくても……。


 それでも――。

 花籠は祥顕に向き直った。


「先輩……今までありがとうございました。さようなら」

 花籠はそう言って深く頭を下げた。

「どこに行くつもりだ」

 夢なのだから教えても引き止められないはずだ。


 これは花籠の夢で、祥顕のあずかり知らぬ事なのだ。

 だから教えても現実の祥顕が罪悪感にさいなまれる心配はない。


「香夜ちゃんが捕まってるところに……私が行けば香夜ちゃんは帰ってこられるんです」

「それ、お前は帰ってこられるのか?」


「それは……香夜ちゃんか私のどっちかだから……」

「だったら行くな」

 祥顕がきっぱりと言った。


 夢なのに……。

 夢だから……。


 先輩は私が言って欲しいことを言うんだ……。

 私がこうやって引き止めてほしいと望んでるから……。


 香夜ちゃんより私を選んでほしいから……。

 でも……。


 現実の世界では先輩は香夜ちゃんを……。


 花籠は未練を断ち切るように強く首を振った。


「ホントにそれでいいのか? 花籠は後悔しないのか?」

 祥顕が食い下がる。


 夢の中なのに先輩はやっぱり先輩だ……。


 花籠は顔を上げると万感の思いを込めて祥顕の顔を見詰みつめた。

 普段なら目を合わせて顔を見るなんて絶対に出来ないが、これは夢だ。

 だから――。


 最後の最後でいい夢を見て終わることが――。


 そう思った瞬間、目の前が涙で霞んだ。


 終わるなんて嫌だ……。

 二度と会えなくなるなんて……。


「ホントは……嫌です。行きたくない」


 先輩のこと、ずっと好きで、必死に勉強して同じ高校に入って、やっと知り合えた今になって……。


「先輩と一緒にアイス食べれて、すごく嬉しかった。ホントはもっとアイス食べたかった。もっと、もっと沢山――」


 ――先輩と話がしたかった、という言葉は嗚咽おえつで消えた。


 もっと先輩の側にいたい……。

 もっともっと……。

 一秒でも長く……。


「アイスくらいいくらでもおごってやる! 小遣いが無くなったらバイトしてでも食わせてやるから行くな!」

 祥顕が強い口調で言う。


 なんで……。


 私が止めてほしいと思ってるから夢なのに止めてくれるの……?


 先輩を言い訳に利用するなんてダメなのに……。

 きっと軽蔑されて嫌われちゃうのに……。


「私か香夜ちゃんかのどっちかなんです。先輩だって私を止めたらきっと後悔……」

「それは仕方ない」

 祥顕が花籠の言葉を遮って言った。


「え?」

「もし選択を迫られて選ぶしかなかったのなら、それは一生背負って生きていく」

 祥顕がきっぱりと言い切る。


「……後悔、しませんか?」

「するから背負うことになるんだろ」

 祥顕が当然のように答える。


「なら……」

「一生罪の意識に苛まれることと引き替えにしてでも守りたかったのなら引き受ける」

 祥顕が花籠を真っ直ぐに見て言った。


「でも、私は人間じゃないし、いつ死ぬか分からないんだから、それなら長生き出来る香夜ちゃんの方が……」

「いつ死ぬか分からないのは誰だって同じだ。俺だって明日交通事故で死ぬかもしれない。だからって諦める気はない」

 祥顕が再び花籠の言葉を遮る。


「先輩……」

「同じ後悔するなら、やらなかったことより、やったことを悔やむ方がいい」

 祥顕がそう言って花籠の方に手を差し出す。


 こうやって祥顕が伸ばしてくれた腕に何度救われただろうか。


 けど……。


「香夜ちゃんが帰ってこられなくなるのに私を選んでいいんですか?」

「当然だ」

 祥顕は迷いのない瞳で答えた。


「私、先輩を逃げる言い訳に利用してる……」

「俺が理由になるならいくらでも利用しろ。それで好きな女の子を守れるなら安いもんだ」

 祥顕が力強い笑顔を浮かべて言う。


「やっぱり、これ夢だ……」

 花籠も泣きながら微笑わらった。


 だって先輩が好きなのはホントは香夜ちゃんなんだから……。


「だが――」

 祥顕が花籠を真っ直ぐ見詰みつめる。

「――お前のお姉さんも助ける」

「え……」

 花籠は祥顕の顔を見上げた。


「後悔するのは本当に助けられなかった時だ。その前に出来る限りの手はくす。これは第三の手が禁じられてる思考実験とは違うんだからな」

 と言って不敵な笑みを浮かべた。

「先輩……」


 どこまでも先輩は先輩だ……。


 闇夜を優しく、それでいて真っ直ぐ強く照らす月の光のよう。


 いつか後悔する日が来るかもしれない。

 これは香夜を見捨てる選択だ。


 いつか祥顕の見てる前で身体が醜く崩れてしまうかもしれない。

 その時は確実にこの選択を悔やむだろう。


 でも……。


 花籠の目から溢れた涙が頬を伝う。


 それでも先輩の側にいたい……。

 たとえわずかな間だったとしても。


 たとえ死ぬ時に後悔しても……。


 それでも――。


 花籠はキツく目を閉じて脳裏に浮かんでいる身体が崩れていく映像を振り払うと、躊躇ためらいながらも祥顕の手のひらに自分の手を乗せた。

 祥顕がその手を強く握り締める。


 香夜ちゃん、ごめんなさい……。


―― 君恋ふと ながめ暮らせる 夜の雨は 袖にし漏るる 心地こそすれ ――


 朝――


 祥顕が花籠のスマホに連絡するとだ入院しているという答えが返ってきた。

 花籠に聞くと面会出来るというので祥顕は病院に見舞いに向かった。


 途中で有名な菓子店でチョコレートを買う。

 花籠があまりにも恐縮するようならバレンタインに返してくれと言うつもりだ。


 気を使わせないための方便なのだから下心で、ということにはならないだろう――多分。内心ではバレンタインに期待した上でとはいえ。


 こういう考えが痛くてモテないのだろうか……。


 気を使わせないためというなら「貰い物だから」と言ったら――贈っても他の人にあげられるだけだからとバレンタインに貰えなくなるかもしれない。


 手ぶらでは来づらかったから――って、それなら花束の方がいいだろう。一階に花屋があるし……。


 祥顕は色々と思いわずらいながら花籠の病室に向かった。


 花籠の母親もいたのでどちらにともなく、

「下らないものですが……」

 と言ってチョコレートの入った紙袋ショッパーを渡す。


 工場は上方ではなかったはずだから「下らないもの」で間違ってはいないはずだ。

 江戸時代、上方で作られた物の方は上等品だった。

 関東近辺で作られた物は上方から〝下ってきていない〟物だから〝下らない物〟、つまり上方で作られた物ではない=上等品ではないと言う意味で〝下らない物〟と言っていた。

 だから上方で作られた物は〝下らない物〟ではないのだ。


「先輩……すみません」

 予想通り花籠が過度に恐縮したので当初の予定通り冗談めかして、

「バレンタインに返してくれ」

 と言うと、

「え……」

 花籠が困ったような表情を浮かべた。


 マズい……。

 あからさますぎたか……。


 モテないことを知られているのにそんなこと言ったらねだっていると思われて当然だろう。


「あ、冗談だから間に受けないでくれ」

 祥顕が慌てて手を振った。

「い、いえ、私で良ければ……その……」

 花籠が戸惑いながら答える。


 よし……!


 祥顕は内心でガッツポーズをした。

 これで来年は一個は貰えるはずだ。

 たとえ百円の義理チョコだとしても。


 半年以上先だから花籠が忘れなければだが……。


 花籠は、チョコレートを渡す約束などしていいのか迷ったが、期待している様子の祥顕を見るとはっきりと断ることは出来なかった。

 だが、来年二月まで生きていられるか分からない。


 でも、香夜ちゃんが助かれば香夜ちゃんが渡すはずだから私が渡せなくても大丈夫だよね……。

 私じゃなくてもチョコレートを貰えればそれでいいだろうし……。


 でも……。

 ホントに貰ったことないのかな……。


 花籠は首を傾げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る