ちぎりし妹は ――

 休み時間――


 酒井は相変わらず表情が暗かった。

 勉強が思うようにいっていないのかもしれない。

 安易に「頑張れ」とは言うのは無責任だし、その言葉がかえって追い込んでしまうかもしれない。

 かといって他になんと言えばいいのかも分からない。

 祥顕が考えあぐねていると酒井は教室から出ていった。


 放課後――


「花籠、ちょっとお醤油買ってきて」

 母が台所から声を掛けてきた。


 え、また……?


 数日前にも買いに行ったばかりだ。


 料理中にこぼしちゃったのかな……?


 花籠は首を傾げた。

 特に醤油の匂いはしないが――。


 買い物を終えた花籠は店を出た。

 夜の道路を街灯と自動車のヘッドライトが照らしている。


 その時、鳥が鳴いた――。


 祥顕は鳥の声に顔を上げた。

 少し遠いし、狐達も出てこない。


 なら誰かが襲われている……!


 祥顕は声がした方に駆け出した。


 走っていると向こうから人を肩に担いでいる狐が掛けてくるのが見えた。

 その向こうでは早太達と狐達が戦っている。


 やはり……。


 祥顕はそのまま駆け寄った。

 右手が重くなる。

 いつの間にか太刀が手の中に現れたのだ。


 そのまま走り寄って狐の脇腹をく。

 狐が塵になって消え、担がれていた人が放り出される。

 祥顕は右腕を伸ばして受け止めた。


「きゃ……!?」

「花籠!」

 抱き留めた相手の顔を見た祥顕は声を上げた。

 その声に花籠が顔を上げる。


「先輩」

 花籠が安心したような表情を浮かべる。


 祥顕は花籠を右腕で抱えたまま、飛び掛かってきた狐を左腕の太刀で斬った。


 別の方向から飛び掛かってくる狐が視界の隅に映る。

 祥顕は花籠を下ろすと身体を反転させてその狐を斬り上げた。


 背後の花籠に気を配りながら太刀を構え直したが大勢は決していた。


 とはいえ早太達も花籠を狙っているのだし、命を奪おうとしている分白浪きつねより危険なのだ――花籠にとっては。


 祥顕は早太達と対峙した。


「いい加減に諦めろ」

 祥顕が早太達を睨む。

「邪魔するのはやめていただきたい」

 早太が言い返す。


「人が殺されるのをむざむざ見過ごす気はない」

「だったら尚のこと引いて下さい。其奴そやつが覚醒したら大勢の人が死ぬのです」

「その覚醒とやらが本当かどうかも分からないだろ」

「本当です。本当に大勢の人が死んできたのです」

「だからそれは花籠じゃないだろ」


 何より花籠によると人違いをしているという事だから尚更引くわけにはいかない。

 間違えて殺されたりしたらシャレにならない。


「証拠は白浪が狙っていることだけで十分だ」

 早太の仲間が言った。

「だったら尚更信じられんな。人を殺したら間違いじゃまないんだぞ。生き返らせられないんだからな」

 祥顕が答えた。


 祥顕と早太達が睨み合う。


「我々はずっと首魁のたま……」

「おい!」

 仲間の言葉を早太が遮る。


「まさか……」

 祥顕が目を見張る。

 早太が「しまった!」という表情で唇を噛んだ。


「敵の首魁はアザラシなのか?」

「違います。もしそうなら多摩川で退治していました」

 早太が呆れ顔で否定した。


 なら〝たま〟ってのは「珠」か「魂」辺りか……。

 そういえば〝魂の器〟とかなんとかって言ってたな……。


「そもそも、あれが出たのはあなたが生まれる前でしょう」

「そうだが、母さんがキーホルダー持ってるんだ」

「…………」

 早太は呆れたような表情を浮かべてから仲間達に身振りで引き上げるよう指示した。


「今日のところは失礼致します」

「いや、二度と来んな」

 祥顕の言葉にチラッと振り返って笑みを見せると仲間達を促して帰っていった。


「ホントに訳の分からん奴らだな」

 祥顕はそう呟くと花籠の方を振り返った。

「花籠は外にいたのか?」


 もしかして白浪きつね拉致らちするために家に乗り込んできたのではないかと思ったが、それなら香夜の方をさらっているはずだ。

 香夜だというのも間違いではなければ、だが。

 花籠が勘違いだというのなら姉の方だというのも間違いの可能性が高い。


「お母さんに買い物頼まれたんです」

 そう言われてみればエコバッグを持っている。

「買い物は? 済んだか?」

 祥顕の問いに花籠が頷いたので一緒に家の方に向かって歩き出した。


「あの……何度もすみません」

「いや、謝る必要はない。外出しないわけにはいかないだろ」


 それより今は考えなければならないことがある。

 狐の狙いが花籠ではないとは判明したが香夜ではないとは未だ断定されていない。

 なんとかして本当に香夜が狙いなのか調べる方法は無いだろうか。


 しかしさらいに来るヤツには誰がホントの標的か分からないものなのか……?


 謎の勘違いで襲ってきている可能性がありそうだ。

 もし普通の人間には理解不能な理由で花籠や祥顕を襲っているのだとしたら手の打ちようがないだろう。

 早太は道理が通じそうだが問題は狐だ。


 参ったな……。


 早太は忠告にくるくらいだし話してみれば殺す以外の解決策が見付かるかもしれない。

 説得してみる価値はあるはずだ。


 今度早太に相談してみるか……。


 上手くいけば花籠達を殺さない手段をってくれるかもしれない。


「あの、先輩」

「ん?」

「先輩はどう思いますか? もし本当に世界を滅ぼされそうになったら……」

「トロッコ問題か」

 祥顕が言った。

「え?」

 花籠が首を傾げると祥顕が説明してくれた。


 トロッコが直進したら五人が死ぬが分岐を切り替えたら一人が犠牲になる代わりに五人は助かると言う時、分岐を切り替えるかどうかを問う問題だ。


 思考実験であり実際に起きているわけではないから頓智とんちを効かせて脱線させるなど第三の解決策は取れない。

 二者択一を迫る問題なのである。


「先輩ならどうしますか?」


 本当に世界が滅びるとしたら香夜を白浪に渡すだろうか。


 先輩はきっと……。


「少なくともこの件に関しては分岐を切り替える気は無いな」


 やっぱり……。


 祥顕ならそう答えると思っていた。


「大勢が死ぬことになっても?」

 花籠は躊躇ためらいながら訊ねた。

「はっきり因果関係が分かってるならまだしも、確証がないんじゃな」

 祥顕は香夜がどうと言うよりは話が信用出来ないからという感じだ。


 どれだけの犠牲が出たところでそれが花籠――というか香夜のせいだという保証はない。

 確信出来るのは実際に銃の引き金を引くとかナイフで斬り付けたりしたところを目撃した時くらいだ。


 だが、もし香夜を早太達に渡して殺されれば自分が見殺しにしたせいなのは間違いない。

 そもそも第三の手を禁じている思考実験と違い、現実に起きていることなら対策を講じられるかもしれないのに拙速せっそくに殺してなんとかしようというのはどうかしている。


 現実の鉄道で同じ事が起きたら人が少ない方に分岐を切り替えるのではなく、遠隔操作で停止を試みたり線路上にいる人を避難させたりするはずだ。

 対策を考えることもせずに犠牲を出す手段を選択するなどと言うことはあり得ない。


 花籠は祥顕の話を黙って聞いていた。


 祥顕と別れて自宅へ帰ると母に醤油を渡した。

 部屋に戻ろうとすると香夜が部屋から出てきた。


「花籠ちゃん、私、しばらく学校休むから」

 と香夜が言った。

「え、どうして?」

「弓弦先輩に、誰かが私のこと狙ってるからしばらく学校に来ない方がいいって言われたの」

「そう……」


 先輩、やっぱり香夜ちゃんのこと心配してたんだ……。

 香夜ちゃんには学校来ない方がいいって忠告まで……。

 当たり前だよね……。


 それに――。


 香夜ちゃんは先輩と連絡先交換してもらってるんだ……。


 花籠は部屋に入るとスマホを取り出してシークレットフォルダに入れてある祥顕の写真を開いた。

 以前、公園の近くで祥顕を見掛けた時に花の写真を撮る振りをして隠し撮りしたものだ。


 私のスマホに入ってる先輩はこれだけ……。


『先輩が学校に来ない方がいいって』

 香夜の声が蘇る。


 先輩は香夜ちゃんの方がいいんだから……。


 いつものこととは言え初めて好きになった人まで香夜を選んだという事実は花籠の胸をえぐった。


 闇の中――


「また邪魔されただと!?」

 幼い声が手下を怒鳴り付けた。

「申し訳ありません!」

 手下が平伏する。

「報告によると邪魔したのは連中とは別の人間のようです」

 幼い声の後ろの闇の奥で控えていた男が言った。


「新しい仲間ではないのか」

「はっきりとは……ただ、その人間が使っているのは影を払う力とのことです」

「では早々に其奴そやつを排除せよ。ようやく見付けたのだ。今度こそ逃げられる前に捕まえろ」

 声の主がそう言うと影に控えていた者の気配が消えた。


―― 桜開く 梢は空か 白雲に まがひし花の 雪と降りぬる ――

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