みかくれてしや

 休み時間――


 顔を上げると酒井が溜息をいたところだった。


「どうかしたのか?」

 祥顕が酒井に声を掛けた。

「この前の模試の結果が悪くて……」

「そうか。大変だな」

「あいつは成績悪いのに推薦で歯学部だもんなぁ」

 酒井が宮田を見ながら腹立たしげに言った。

 宮田はサッカー部のキャプテンをしていて、それで推薦を受けられるらしい。


 祥顕も、運動関係の学部ならともかく、スポーツばかりで勉強をしていない生徒を歯学部に誘うのはどうかと思っていた。

 スポーツで有名な大学だから入学後も運動部へ、と言うことかと思ったが医学部や歯学部は進級するのも大変だから部活などしている暇はないという話だった。

 それなら尚のこと運動しかしていない生徒を推薦で取るより成績で選んだ方が良いと思うのだが。

 そんな話をしているうちに予鈴が鳴ったので祥顕は席に戻った。


 放課後――


「都紀島さん」

 クラスメイトに呼び掛けられた花籠が振り返った。


 クラスメイトが廊下に視線を送る。

 見ると廊下に祥顕がいた。

 花籠は急いで廊下に出た。


「先輩、どうしたんですか?」

「いや、さすがにこう頻繁ひんぱんだと心配だから送っていこうかと……」

 祥顕が言った。


 嬉しいけど……香夜ちゃんとじゃなくていいのかな……。


 そう思った時、香夜がクラスメイトと楽しそうに話しながら帰っていく姿が目に入った。


 あ、香夜ちゃんに先約があったからなんだ……。


 たとえ香夜の代わりでも祥顕と一緒に帰れるのは嬉しい。

 けど――。


「先輩とはいつも遅くに会いますけど、予備校か何かじゃ……」


 大学受験を控えているのだから予備校の授業に遅刻したら迷惑を掛けることになる。

 花籠のせいで受験に失敗したなどと言う事になったら目も当てられない。

 確実に嫌われてしまうだろう。

 それはけたい。


「図書館だから時間は関係ない」

「その図書館ってどこですか?」

「うちの近くだから心配いらない」

 祥顕は花籠がすぐに承諾しなかった理由を察してくれたらしい。


 祥顕とはいつも帰宅途中に会っているから家が近いのは間違いなさそうだ。

 近所には何カ所か図書館があるからそのどこかだろう。


 どこの図書館でもそれほど遠くないから勉強する時間をいてしまうのは短時間ですむはずだ。

 何事も無ければ。――例えば襲撃とか。


「先輩ならどこでも大丈夫そうですけど」

 祥顕は成績上位だと聞いている。

「東京の国立ってどこも偏差値高いから……」

 祥顕はげんなりした表情で言った。


「志望校は……」

「特にない。ただ、親に国立って言われてる」

「東京ならどこでもいいんですか?」

「私立じゃなければな」

「公立はダメなんですか?」

「え……あ、そうか……」


 公立の大学は数が少ないから失念していた。

 祥顕が考え込むような表情になる。


 二人は黙ったまま歩いて曲がり角のところまで来た。

 祥顕は別れを告げると引き返していった。


 先輩とまた一緒に帰れた……!


 香夜の代わりだったとしてもやはり嬉しい。

 花籠は浮かれながら家に入った。


 夜――


 図書館からの帰り道、祥顕が人通りの絶えた超高層ビルの谷間を歩いていると鳥の鳴き声が聞こえた。

 すぐ近くだ。


 辺りに視線を走らせたが誰もいない。花籠も。

 となると――。


 足下に太刀が突き立つ。


 狙いは俺か――!


 祥顕が太刀を抜くのと背後で羽ばたく音が聞こえるのは同時だった。


 振り返りざま太刀を振り抜く。

 真っ二つになった黒い影が消える。

 複数の足音がして狐達に取り囲まれた。


 少し遅れて足音がしたかと思うと早太達が駆け付けてきて狐――白浪と戦い始めた。

 祥顕は太刀を構え直すと近くの狐に向かっていった。


 狐が上から斬り掛かってくる。

 祥顕は太刀を狐に向かって突き出した。

 太刀が狐を貫く。


 祥顕は横に払うと脇から突っ込んできた狐を薙いだ。

 真っ二つになった狐が塵になる。


 祥顕はそのまま袈裟に斬り下ろした。

 また別の狐が塵になって消えた。


 祥顕が最後の狐を切り伏せると敵はいなくなった。

 それを見て取った早太の仲間達が立ち去る。

 早太が何も言わなかったのに大人しく引き上げたと言うことは狙いはやはり花籠ではなく祥顕なのだ。


「どういう事だ」

 祥顕はそう言ってから、ある考えが浮かんだ。


 まさか……。


「俺が本当の〝魂の器〟だったのか?」

「違います」

 早太が間髪を入れずに答える。


「あの娘を助けたせいで連中に目を付けられたようです。お気を付け下さい」

 早太はそう言うと踵を返した。

 その姿を見送ってから祥顕も歩き出した。


―― 常よりも 花の梢の ひまなきは 立ちやならべる みねの白雲 ――


 休み時間――


「酒井、何してるんだ?」

 祥顕はさっきから盛んにスマホをいじっている酒井に声を掛けた。


「館山までの行き方とか時間とか……」

 酒井が答えた。

「館山? 何しに?」

「日食だよ、ニュース見てないのか?」

 酒井の言葉に祥顕は首を傾げた。


 ニュースで言ってたか……?


「う~ん、まぁ、日本じゃ部分日食だから言わないかぁ」

 酒井自身は天文雑誌で知ったからニュースは見ていないらしい。


「わざわざ学校休んでまで行くほど珍しいのか?」

 祥顕の問いに、

「日本だと次は十年後だからちょっと珍しいかな」

 酒井が答えた。


 日食自体は世界で三、四回は起きるのだが人間が観測に行ける場所で起きるとは限らないから行きやすい場所で見られることは少ないらしい。


「館山じゃほんのちょっと欠けるだけなんだけどな」

 酒井はそう言って苦笑いした。

「お前が太陽が好きなんだな。前にも幻日げんじつの写真とか見てたし」

 祥顕がそう言うと、

「いや太陽じゃなくて天文だよ」

 酒井が苦笑して言った。


「幻日は気象現象って言ってなかったか?」

「そうだけど、太陽の光で起きる現象だから」

 酒井が答える。


 どうやら太陽も恒星の一つだから興味があるということらしい。


 放課後――


 祥顕が花籠の教室を覗き込むと、花籠も同時に気付いたようだったので合図するように軽く手を上げると祥顕の方へやってきた。


「先輩……」

「当分送っていった方がいいかと思って。またあんなのが襲ってきたら大変だから」

「でも本当の狙いは私じゃ……」

 花籠の戸惑ったような表情に、


 もしかして俺と一緒に帰るのはイヤとか……?


 と不安になった。

 以前にも送ると言ったとき躊躇ためらう素振りを見せていた。

 とはいえ、こう頻繁ひんぱんに襲われているとなると危険だし、それを知っていて見過ごすわけにもいかない。

 どうしてもイヤならごり押しする気はないが――。


「お姉さんは襲われたことあるのか?」

「そう言う話は聞いてませんけど……」

「向こうが花籠だと思ってるなら狙われるのは花籠の方だろ」

 それはそうだ。

 花籠は納得した。


 香夜ちゃんが先輩と付き合い始めたら二人で帰るなんて出来なくなるし……。


 今のうちだけだからと、花籠は祥顕の誘いを承諾した。

 祥顕と花籠は並んで学校を後にした。


「昨日、図書館で公立の大学調べてみた」

 祥顕が花籠に言った。

「えっ……!」

「どうした?」

「い、いえ……」

 花籠は慌てて首を振った。


 まさか先輩が私の言ったこと真剣に受け止めてくれるなんて……。


 今までそんな人はいなかった。

 アドバイスを求められて何か言っても聞き流されてしまうので、いつしか相鎚を打つだけで答えることはしなくなっていたのだ。

 聞く方も期待してないのか花籠が返事をしなくても特に文句も言わない。


 少しでも先輩の役に立てたなら良かった……。


 他ならぬ祥顕が花籠の言ったことを真面目に考えてくれたのが嬉しかった。


―― なでしこを 我が身の末に なるままに 露のみおかん 事をこそ思へ ――


 自分は年老いていてこのこと一緒にいられる時間は長くない。

 きっと自分が先だった後、残されたこの子は涙にくれることだろう。


 生まれたばかりで泣いている我が子を撫でながら呟いた。


 庭で撫子が風に揺れている。

 自分はもう長くないだろう。

 子供が成長するのを見届けるのは無理だ。


 どれだけ一緒にいてやれるか……。


 不意に誰かの気配を感じて振り返り、思わず目を見張った。

 庭に公達が立っていた。

 彼はとうの昔にってしまった左大臣だ。

 だから姿も若い頃のままだった。

 当時と同じく上等な唐衣からぎぬまとっている。


「これは夢ですかな」

 そう訊ねると、

「そう思って良い」

 左大臣が答える。


「何か心残りでも?」

「先日、狐を退治しただろう」

「まずかったでしょうか?」

 と言っても宮中に出たものを退治しないわけにいかないのだが。


「二十年前の妖狐を覚えているか?」

「大騒ぎになりましたから」

 退治したのは自分ではないが。


「あれが復活しようとしている。あの狐はその先触さきぶれだ。此度こたび、二度もお前の郎党が邪魔をした。おそらく連中はお前を先に排除しようと狙ってくるだろう」


 気を付けよ――。


 左大臣はそう警告して消えた。


 視線が庭に出てきた年老いた女性に引き寄せられる。


 若い頃、恋焦がれ、ようやく一緒になって何十年も連れ添った側室だ。

 それでも彼女への想いは薄れるどころか増していく一方だった。


 残りわずかな人生が終わっても、次の世で再び一緒になりたいと強く願うほど。


 自分はどうなっても構わない。

 だが彼女だけは守りたい。

 自分の命と引き替えにしても――。


―― 月影を こおりへだつる 池水の 玉藻が下や 曇りなるらん ――

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