なごの浦

 祥顕は朝日の眩しさで目を覚ました。


 夕辺カーテン引き忘れたのか……。


 窓から強い日差しが差し込んでいる。

 あまりにも眩しいのでカーテンを引きたくなったがこれから起きる時にそうするわけにもいかない。


 ふと、夢の中の声をどこかで聞いたことがあるような気がした。

 しかし思い出せない。


 気のせいか……。


 祥顕は首を振ると目の前に垂れてきた前髪かき上げながら顔を洗う為に部屋を出た。


 リビングからTVのニュースが聞こえて来る。

 どこかで大きな事故があったらしい。

 その音声を背に洗面所に入った。


 体育の時間――


「体育でタイムなんか計らなくても良いと思うけどな」

 祥顕がぼやくようにタイムを記入する紙をひらひらさせながら言うと、

「運動神経ないやつらは可哀想だよな~、女子にモテないし」

 宮田が聞こえよがしに言った。バカにしたような顔でこちらを見ている。


『やつ』ということは祥顕だけではないという事だ。

 祥顕は思わず宮田の方を睨んだ。


 授業中「弓弦先輩」という囁き声が聞こえてきて花籠は思わずそちらに視線を向けた。

 見ると校庭で三年の男子が体育の授業をしているところだった。


 あ、先輩がはし……。


 そう思った時にはゴールしていた。


 速い……。


 同時に走った男子を大きく引き離していた。


 一緒に走った人、運動苦手だったのかな……。


『信じられない』という顔をしている宮田を尻目に祥顕は紙にタイムを書き込んだ。


「お前さぁ……」

 酒井が声を掛けてくる。

「なんだ」

 祥顕が涼しい顔で答えた。


「いや、別にいいけど……何もムキにならなくていいだろ」

 酒井が呆れたように言った。

「ケンカ売ってきたのは向こうだろ」

 祥顕はそう答えるとチャイムが鳴るのを待って教室に向かった。


 放課後――


「せんぱ~い、一緒に帰りませんか?」

 廊下のあちこちでこういう声が聞こえている。

 祥顕が一年の教室に向かおうとすると、

「女子が見に来たことはないって?」

 先に廊下に出ていた酒井が恨めしそうに言った。


「俺を見てる女子なんていないだろ」

 辺りを見回したが、祥顕を見ている女子は見当たらない。

 女子はみんな顔を背けている。


 呆れ顔の酒井を置いて祥顕はそのまま歩き出す。

 酒井が近くにいた下級生の女の子に声を掛けた。


 なんだ、自分も女子と一緒に帰るんじゃないか……。


 祥顕は玄関に向かった。


 夜――


 図書館を出た祥顕は家に向かって歩き始めた。

 花籠は無事に帰れただろうか。


 せめて連絡先を交換しておけば良かった……。

 機会があったらダメ元で聞いてみよう……。


 花籠が明日以降も無事に登校してくれば、の話だが。

 やはり早めに早太に会って解決策がないか聞いてみよう。


 そう思った時、鳥の鳴き声が聞こえた気がした。

 かすかすぎて方角は分からない。


 その時、目の前に弓が現れた。

 祥顕は弓を掴んだ。


 空に向かって弦を引く。


呉竹くれたけの よの闇にす しきもの ありせばこの矢 そのみつらぬけ」


 充分に引き絞ったところで、

「もし悪しき者がいるなら貫け。いなければどこにも当たるな」

 そう言ってから手を放した。


 矢が夜空に吸い込まれるように消えていく。


 悪いヤツでも人間には当たるなよ……。


 一拍おいて鳥(と思われるもの)の絶叫が聞こえてきた。

 祥顕は声の方に向かって駆け出した。


 走っていくと花籠を肩に担いだ狐がこちらに向かってくるのが見えた。

 祥顕はそのまま駆け寄りながら手の中に太刀を握っているのを想像した。


 手の中に刀が現れる。

 祥顕は花籠に当たらないように注意しながら太刀を振り下ろした。

 けきれなかった狐が真っ二つになり塵になって消えた。


 花籠が放り出される。

 祥顕は急いで右手を伸ばして花籠を受け止めた。


「無事か!?」

 花籠を地面に降ろして訊ねながら駆け寄ってくる狐達と花籠の間に立ち塞がるように割り込む。


 太刀を構えている祥顕を見て狐達が立ち止まった。

 その後ろから追い付いてきた早太達が狐と乱闘を始める。


 祥顕も狐達と闘い始めた。

 不意に早太達と戦っていない狐達が祥顕に躍り掛かってきた。


「危ない!」

 早太の声に振り返ると祥顕の死角から別の狐が飛び掛かってくるところだった。


「先輩!」

 花籠が叫んだ。


 間に合わない!

 くそ……!


 祥顕が舌打ちした瞬間、狐が真っ二つになって消えた。

 誰かが攻撃したわけではないし、狙撃でもなさそうだった。

 見ていた早太が険しい表情をしている。


 その様子からすると今のは早太達でもなかったようだ。

 突然消えたのは謎だが考えている暇はない。

 祥顕は目の前の狐に意識を戻した。


 先頭の狐に刀を振り下ろし、別の狐を斬り上げる。

 二匹の狐が同時に消えた。


 別の狐が飛び掛かってくる。

 そこに向けて太刀を突き出す。

 串刺しになった狐が塵になって消える。


 周囲を見回すとその狐が最後だった。


 狐がいなくなったところで祥顕は刀を構え直した。

 まだ早太とその仲間達がいる。

 彼らと戦ったことはないから祥顕の腕で勝てるかどうか分からない。


 だが幸い狭い道だから祥顕が塞いでしまえば通れない。

 祥顕が足止めしている間に逃げるようにと花籠に言おうとしたが、その前に早太が仲間達を制止した。


「ここはいい。お前達は狐のねぐらを探せ」

 早太の言葉に男達が立ち去る。


「あなたと戦う気はありません」

 早太の言葉に祥顕が構えを解くより先に手の中の太刀が消えた。

 断言は出来ないもののおそらく早太は敵ではないのだろう。


「送ってくよ。帰ろう」

 祥顕が花籠にそう声を掛けると、

「あの……」

 花籠が躊躇ためらいがちに早太に声を掛けた。

 踵を返そうとしていた早太が僅かに花籠の方に顔を向ける。


「命を……狙ってるんですよね……私の」

「そうだ」

 早太が迷うことなく答える。


「死ぬ場所が関係あるんですか?」

 花籠の質問の意味が分からなかったらしく、早太は眉を寄せた。


「大きい鳥とか狐の人とか、私をどこかへ連れていこうとしてるみたいなので」

「奴らにはお前を殺す気は無い。お前は連中の首魁しゅかいだからな」

 早太が答える。


「しゅかい?」

「ボスとかリーダーとかって意味だ」

 首を傾げた花籠に祥顕が説明した。

 花籠は祥顕に感心したような視線を向けて頷いてから早太を見た。


「私はそんなのじゃ……」

「今はまだ思い出してないだけだ。いずれ生まれる前の記憶を取り戻す。その時、この国が滅ぶ」

「生まれ変わりってことは今は花籠なんだろ。だったら花籠が望まなければ……」


「かつて、そう主張した者がおりました。ですが無駄でした。その娘は覚醒と同時にこの世を滅ぼそうと……」

「待て。試したことがあったってことは滅びなかったって事だろ」

 祥顕は早太を遮った。


「そう主張した者が責任を取って其奴そやつを倒したから未然に防ぐことが出来たのです」

「一度ダメだったとしても今度は……」

「試す度に大勢の人間が死にます。それでも試みるのですか? 人々の犠牲と引き替えにして」


 事実かどうかも分からないのにそんなこと言われてもな……。

 立証出来るならともかく証拠も無いのに……。

 証拠か……。


「場所は?」

 祥顕がそう聞くと、

「は?」

 早太が首を傾げた。


「事実なら大勢死んだ記録が残ってるだろ」

「記録はありません。無かったことにされたのです。犠牲になった者達は数字としてすら残ることなく消えていきました」

 早太が答えた。


 適当な地名を挙げる事も出来たはずだ。

 それをしなかったのは祥顕をあざむく気がないのか、もしくは以前にも誰かと同じやりとりをしたことがあってだませなかったか。


 今は簡単に調べられるからな……。


 祥顕が考えているうちに早太は立ち去った。

 早太がいなくなると祥顕と花籠は並んで歩き出した。


 様子を窺っている者がいることに気付かないまま――。


「あの、さっきの矢は先輩ですか?」

 花籠の言葉に祥顕はハッとした。

「当たったのか!?」


 まさかケガしたんじゃ……。


「あ、私は大丈夫です……飛んできた鳥みたいなのに当たったので。ありがとうございました」

 花籠の答えに祥顕はホッとして胸を撫で下ろした。

 そういえば前に花籠を連れ去ろうとしたのは鳥のようなヤツだった。


 危なかった……。


 当たったのが化物だとしても花籠を掴んで飛んでいる時に当たってしまったら高さによっては墜落死してしまう。


 次からは「人を掴んでないなら」を付け足さないと……。


「先輩はどう思いますか?」

 歩きながら花籠は思い切って訊ねた。

「早太の話か?」

 祥顕の問いに花籠が頷く。


「化物がいる以上、全くの嘘ではなさそうだが……」

「化物?」

「人間を掴んで飛べる鳥はいないだろ」

「ああ……」

「ただ、それで早太あいつの話が事実って証拠にはならないからな」


 化物がいる事と花籠が世界を滅ぼすかもしれないという話は別だ。

 化物がいることは花籠が世界を滅ぼす理由にはならない。


 祥顕の言葉に花籠は考え込んだ。

 二人は花籠の家の近くで別れた。


〝かごめ、かごめ……〟


 蝋燭ろうそくしか灯っていない薄暗い部屋の中で子供のような幼い声が呟く。

 闇の中で手下から報告を受けたところだった。


「やはりあの娘で間違いないようだな」

 幼い声からは性別は分からない。

 報告を聞いて薄笑いを浮かべる。

「儀式の用意をせよ」

「あの男はいかがなさいますか?」

「邪魔する奴は殺せ」

 幼い声でそう命令を下すと手下が頭を下げて姿を消した。


〝光り輝くかぐや姫……〟


「籠の中から出ておいで」

 幼い声が含み笑いをしながら言った。


―― 咲く陰の 水にさながら うつれるは 花のすがたの 池にこそあれ ――

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