楽しかる

「え、学校を辞める?」

 祥顕は酒井の言葉に驚いて顔を見詰めた。

「実は……この前の事故、あれで両親が死んで……」

「模試の結果が悪かったっていうのは……」


「全くの嘘じゃないよ。葬式とか役所への届け出とか色々あって忙しくて勉強してる暇なくて……」

「何も辞めなくても……奨学金とかそういうのあるんだろ」

 祥顕は戸惑って言った。


「先生から就学支援制度があるって言われた」

「なら……」

「妹の面倒見ないといけないから……まだ小学生なんだ」

 そう言われてしまうとそれ以上何も言えなかった。


 今が秋か冬で進学が決まっていれば話は違った。

 けれど卒業まで一年もあるため学費だけでどうにかなる問題ではないらしい。


「貯金とか何も残ってなくてさ……すぐにでも働き始めないと生活出来ないんだ」

「その……俺に出来ることがあったら……」

「うん、連絡するよ。サンキュ」

 酒井はそう言うと教室から出ていった。


 祥顕はなんの力にもなれない自分の無力さに歯噛はがみするような思いで酒井の背を見送った。


 放課後――


 祥顕が花籠の教室に迎えに来た。


 香夜ちゃん、学校に来てないから……。


「そういえば、連絡先聞こうと思ってたんだ」

「え!?」

 花籠の思考は祥顕の声で断ち切られた。


「あ、すまん、イヤなら……」

「まさか! 全然イヤじゃないです!」

 花籠は思い切り頭を振った。


「そうか。良かった」

 祥顕が安心したようにスマホを取り出した。

「じゃあ、あそこのベンチに座らないか?」


「え、でも、そこアイス屋さんの……」

「アイス食べながら交換しよう」

「え……」


 一瞬で終わる連絡先の交換に……?


「好きなアイス、おごるから」

「ええっ……!?」

「あ、すまん、アイスが嫌いなら……」

「いえ、違います! アイス大好きです!」

 花籠は慌てて首を振った。


 嘘……。

 先輩と帰り道に二人でアイスを食べるなんて……。

 夢みたい……。


おごりがイヤなのか? 下心があるわけじゃ……っていうか、アイス一個で恩に着せたりするほどセコくないから」

「そんな……別に疑ったりしてません! そんな失礼なこと……」

 花籠は再び激しく首を振る。


「いや、前言をひるがえすようだが、そこは疑った方がいいと思うぞ」

「あ……はい。えっと、気を付けます」

「じゃ、どれにする?」

 祥顕が財布を出しながら訊ねた。


 随分ずいぶん嬉しそうだけど……。


「もしかして、アイス、好きなんですか?」

「いや、一人だと注文しづらいから……」

 祥顕がそう答えながら周囲に視線を走らせる。


 周囲に一人で食べている者はほとんどいない。

 確かにこれは〝お一人様〟にはハードルが高い。


 周りの生徒達は皆輝いて見える。

 それに引き換え自分は――。


「光り輝くかぐや姫……」

 花籠の呟きに祥顕が振り返った。

「『竹取物語』か?」


「あ、いえ、前に私がさらわれそうになった時、そういう声が聞こえたんです。それで香夜ちゃんと間違えてるんだって……」

 花籠の言葉に祥顕が納得したように頷いた。


「私、コンプレックスがあって……その、色々と。それが恥ずかしくて」

 なんとなく香夜の名前は出しづらくて言葉をにごした。


 香夜は本当に月のお姫様みたいに輝いている。

 それに引き換え自分はスッポンにすら劣っている。


「コンプレックスなんて普通だろ」

「そうですか?」

「無いヤツなんていないと思うが」

「先輩にも?」

「あるぞ」


 祥顕の答えに、花籠は意外に思った。


 成績が良くてスポーツも得意でルックス最高なのに劣等感持つような何かあるのかな……。

 想像つかないけど……。


「顔が悪くてモテないのが悩みなんだ」

「ええっ……!?」

 冗談かと思って顔を見上げたが、ふざけているようにも見えないし謙遜という感じでもない。


「毎朝鏡見てるから自覚してるよ。高三になってもまだ彼女いないし」

 祥顕の言葉に花籠は開いた口がふさがらなかった。


 鏡を見てるのにイケメンじゃない?

 もしかして、ものすごい乱視とか?

 眼鏡掛けてないけどコンタクトなのかな……。


 だがコンタクトレンズを入れているなら視力は矯正されていると言うことだから、ちゃんと見えているはずだ。


 授業中だけ眼鏡掛けてるとか?

 それともイケメンの基準がものすごく高いのかな……。

 身近にすごい美形がいるとか……?


 祥顕がかすむほどの美形がいるなら見てみたいのだが――。


 ふと見ると祥顕はチョコチップのチョコレートアイスにトッピングでチョコレートソースを掛けてもらった上に更にチョコチップをトッピングで載せてもらっていた。


「……チョコ、好きなんですね」


〝大〟が付くほど……。


「いや、そこまでじゃないんだが……冬は食べられないだろ」

 

 てっきり冬は寒いからアイスが食べられないという意味かと思ったら、

「二月初旬とか、自分でチョコ買ったら痛いヤツみたいだから」

 と続いたので驚いた。


 まるで貰ったことないみたいな言い方だけど……。


「実はこうやって女の子とアイス食うのもやってみたかったんだ。付き合わせちゃって悪いな」

 祥顕が照れたような笑みを浮かべた。


「そんな……! 私も嬉しいです!」

「アイス一個おごられたくらいで大袈裟だな。ホントに悪いヤツに騙されないように気を付けろよ」

 祥顕が真顔で言う。

 その言葉を信じられない思いで聞きながら横目で祥顕を見た。


 本気で女の子が自分と一緒に歩きたがらないと思ってるんだ……。

 あんなにモテてるのに……。


 この様子だと本当にチョコも貰ったことがないのかもしれないような気がしてくるが正直それも考えづらい。

 訊ねてみたいが本当にモテないことがコンプレックスなのだとしたら聞いたら傷付けてしまうかもしれないのでやめておいた。

 仮に今まで貰ったことが無かったとしても来年は香夜が渡すはずだ。


 先輩と香夜ちゃんがまだ付き合ってなかったら私も渡したいけど……。


 アイスをコーンまで食べ終えた花籠は手の中に残った紙を見下ろした。


 この紙、記念に持って帰りたいな……。


 きっともう二度とこんな機会はないだろうから記念としてとっておきたい。


 でも、紙屑を持ってかえるなんて変に思われるかな……。


 花籠がそう考えていると、アイスを食べ終えた祥顕が辺りを見回してから紙をポケットにしまった。


 あ、そっか、ゴミ箱ないから……。


 それなら花籠も紙をポケットにしまっても変に思われない。

 ゴミを家に持ち帰って捨てるからだと思われるだろう。

 花籠は丁寧に紙をたたむとポケットに入れた。


 早太や狐に狙われているのは香夜ではなく花籠の方だから当分は祥顕と一緒に帰れそうだ。

 けれど――。


 当分っていつまでだろう……。


 先輩が高校を卒業する三月からは当然無理として、それより前は?


 入試は一月か二月くらいからだとして、それより前に香夜が告白して付き合い始めるかもしれない。

 香夜はいつ告白するのだろうか。


 祥顕と香夜が付き合い始めたら送ってもらうわけにはいかなくなる。

 勿論チョコレートも渡せない。


 その日はいつ来ちゃうのかな……。


 夜――


 祥顕と早太は同時に狐を斬り捨てた。

 これで狐はいなくなった。今ここには。


「今日は花籠はいないんだよな?」

 祥顕は早太に確認した。


 図書館からの帰りに襲われたのだ。


「狙いはあなたです。あなたは度々彼奴らを退けてきました。放っておけばこの先邪魔になると思われたのでしょう」

「じゃあ、これからも狙われるのか?」


「…………」

 早太は答えなかった。その表情が花籠を殺せば終わると言っていた。

「そうか」

 祥顕は肩を竦めた。

 花籠を、というか誰かを自分の代わりに差し出す気はない。


 しかし、そうなると今後は花籠には近付かない方がいいな……。


 というか巻き込んでしまうから花籠に限らず誰の側にもいられない。


 この件が片付くまで恋人も作れないって事か……。


 彼女いない歴が更新されることになる。


「だから関わるなと申し上げたのです」

「そうはいくか。売られた喧嘩は買う主義だ。徹底的に戦ってやる」

 祥顕がそう言うと何故か早太が笑みを浮かべた。


「何かおかしなこと言ったか?」

「いえ……昔の主を思い出しただけです」

 早太が答えた。


「で、どうすればかたを付けられるんだ?」

 祥顕が訊ねた。


 さすがに一生恋人なしはイヤだ……。


「さぁ?」

 早太が首を傾げた。

「太古より続いている戦いですので」

 早太の答えに祥顕は思わず溜息をいた。


―― 我が宿の 萩をばよきて こともなき 浅茅あさぢが末に 秋風は吹けり ――


 主は部屋に戻ると郎党の一人を呼んだ。

 何十年も仕えてくれている誰より信頼している男である。


「頼みがある」

 主が言った。

「なんなりと」

「もしもの時は、彼女あれと子供達を連れて逃げてくれ」

 主はそう言って身形みなりの良い年老いた女性と物心付いたばかりの童女に目を向けた。

 二人は庭で花を見ながら何か話している。


「奥方様ではなく、あの方ですか?」

 郎党が確認するように答えた。


 彼女は同居しているとは言え側室だ。

 主が守ろうとしているのは童女の方である。


 だが童女の素性を知られるわけにはいかないから表向きは妻と生まれたばかりの息子、それに幼い養女を逃がすという事にしたいのだ。

 しかし仮に口実だとしても建前上一緒に守ることになる女性が正妻ではなくていいのか、と聞いたのだ。


「正妻ならば一蓮托生でも仕方あるまい。だが、あれはそうではない」

 その口振りからは彼女へのいつくしみがにじんでいた。

 彼女は無理を言って貰い受けたのだ。


 仕方のないこととはいえ彼女の意志とは無関係なところで自分の側室になることが決まってしまった。

 今更とは言え巻き添えで死なせたくはない。


 などと考えるのも我儘わがままなのだろうか……。


 それでも彼女だけは守りたかった。

 たとえそれが身勝手な考えだとしても――。


「散る花の 岩でわかるる 涙川 溢れて流せ 次のせにまで」


 叶うなら、次のでもう一度……。


―― きかぬる 涙の河の 早き瀬は 逢ふよりほかの しがらみぞなき ――

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