すごしけるこそ

 午後の授業中――


 祥顕は窓の外に目をやった。

 もうすぐ午後二時半になる。

 酒井が言っていた日食の時間だ。


 館山に行きたいと言っていたが行けたのだろうか。

 おそらくあの時は既に仕事が決まっていたから仕事の合間に行かれないか調べていたのだろう。


 しかし東京から館山への往復となると休憩時間にというわけにはいかないはずだ。

 休みでも取らない限り行かれないだろう。

 けれど就職した直後に休みが取れるとも考えづらい。


 十年後の日食の日には休みを取って見に行けるようになっているといいのだが……。



 花籠は授業を受けている時、ふと空が暗くなった気がして外を見た。


 気のせい……?


 首を傾げた時、授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。


 え……。

 たった今始まったばかりじゃ……。


 教師が出ていくと教室が騒がしくなった。


 居眠りでもしちゃったのかな……。


 花籠は首を傾げながら次の授業の用意を始めた。



 放課後――


 祥顕は鞄を持って教室を出ようとして立ち止まった。

 花籠のことは心配だが自分も連中に狙われているのなら一緒にいたら巻き込んでしまうかもしれない。


 祥顕は迷った末、花籠に「今日は一緒に帰れない」とメッセージを送り、一人で下校することにした。



 花籠が外に目を向けると祥顕が校門へ向かう姿が廊下の窓から見えた。


 あ、先輩……。


 花籠は挨拶だけでも、と声を掛けようとして思い留まった。

 この先、いつか祥顕と香夜が恋人になったら二人が一緒にいるところを見なければならないのだ。


 それくらいなら早太さんに殺された方が良かったかも……。


 つい、そんなことを考えてしまってからその考えを振り払う。

 祥顕が何度も命懸けで助けてくれたのを無に帰すような事をするわけにはいかない。

 つらいがこれで良かったのだ。

 花籠は自分にそう言い聞かせて鞄を手にすると玄関に向かった。


 祥顕が校門から出たところで早太が現れた。


「あの娘のことでお話が……」

「花籠に何かあったのか!?」

「違います」

 早太の答えにホッとして胸を撫で下ろす。


 花籠はまだ学校にいるか、もう出たとしても近くにいるはずだ。

 大勢の人のいるところで大っぴらに殺されたり拉致らちされたりすれば大騒ぎになって祥顕にも聞こえてくるだろう。

 だがそんな様子はない。


 早太は祥顕がいつも行っている図書館の方に向かって歩き出した。


 全部筒抜けか……。

 自宅も学校もいつも行っている図書館も……。


 ん? そういえば……。


「花籠の家も知ってるんだよな。でも花籠を狙うようになったのは最近だろ」

 小さい頃から狙われていたという話は聞いていない。


 あの辺はバブルで地価が高騰したから花籠の親の世代があの辺の家を買うのは難しいし、借地だった人達は軒並み地上げ屋に土地を巻き上げられてしまったと聞いている。

 古い家はほとんどが祖父やそれ以前の世代に購入したものという話だ。

 家が古いという事は親より前の世代から住んでいたはずである。


「ええ、あなたと初めて会ったときです」

「なんで最近になってからなんだ?」

 小さい子供の方がさらいやすいはずなのに何故もっと前にやっていなかったのだろうか。


「白浪があの娘を見付けたからです。あの鳴き声が合図なのです」

「それってつまりお前達には〝魂の器〟が分かるわけじゃなくて狐達が狙ってる相手だからそうだろうって考えてるって事か?」


 だから早太達は人違いに気付かないのか。

 狐達が間違えている理由は謎だが。


白浪やつらは間違えませんから」

「ほぉ……」

 祥顕は白い目で早太を見た。


 狐が襲ってきたとき花籠を「かぐや」と呼んだといっていた。

 他のどんな名前でもなく双子の姉の名前を呼んだのならまず間違いなく人違いをしているのだろう。

 双子で顔が良く似ていれば勘違いは十分あり得る。


「それで? 関わるなって言うなら狐が花籠を狙ってる間は無理だぞ」

 といっても、祥顕も狙われているようだから下手に近付くわけにはいかないのだが。


「そうではありません」

「なら、なんだ」

「ここでは……」

 早太はそう言って身振りで祥顕に一緒に来るよう促す。


 祥顕は早太にいて路地に入った。


「あの娘の事を調べてみました」

 早太は立ち止まって振り返ると言った。

「あの娘は出生直後に死亡届が出されていました」

「どういう意味だ」

 祥顕は意味が分からず眉をひそめた。


「白浪は宗教団体を運営しているのです」

 人間を滅ぼすにしろ、そのために利用するにしろ人間界のことを知っている必要がある。

 それに白浪はこちらで肉体を取り戻さない限り自由に動くことは出来ない。


 それで人間を手先にするためにカルト宗教まがいのことをしているらしい。

 そのため人間の信者が大勢いる。


「あの娘の両親もその信者でした」

「でした?」

「死亡届を出した直後に宗教団体から逃げて姿をくらましたのです」


 そして三ヶ月後に東京で住民登録をした後、花籠の出生届を出したという。


「逃亡前、両親は赤子を抱いていたと言っていた者がいたそうです」

「カルトから逃げるために花籠も死んだことにしたって事だろ。ただ戸籍がないと学校に行かれないから……」

「逃亡直前、両親は教団に大金を払ったと。そして赤子を連れて逃げたそうです」

 早太が言った。


「カルトに散々金巻き上げられて逃亡なんて珍しくないだろ」

「……その昔、西行法師は野晒のざらしになっていた骨で人を作ろうとしました」

 だが出来上がったのはおよそ人とはほど遠いものだったため山に捨ててしまった。


「それが花籠だって言うのか?」

「同じ技で赤子を作ったのです」

 人工的に人を作る技というのは太古から密かに伝わっていた。

 西行はその話を聞いて真似したのだ。


 白浪は呪い師が作った〝魂の器〟に魂を入れ、アジトへ連れていって首魁を覚醒させる。

 それがいつもの手口なのだ。


 だが作った赤子を花籠だと誤解させたのか、花籠の親が勝手に思い違いをしたのか、両親は子供を連れて姿をくらましてしまった。


 今の家も知人の名義で借りているのだ。

 それでつい最近まで白浪は花籠を見付けることが出来なかったのである。


「あの娘は作られた人間です」

 運ぶ間の僅かな時間だけ生きていれば良いから雑に作られているはずだ。いつ身体が崩れてもおかしくない、と早太は言った。

 覚醒前に肉体が崩壊すれば死んで魂は闇の世界に戻る。


 しかし覚醒すれば白浪としての肉体を得る。

 悠長に崩壊を待っていてその前に覚醒してしまったら大惨事になるので早太達は一刻も早く殺そうとしているのだ、と。


 立ち聞きしていた花籠は祥顕と早太に気付かれないようにその場を離れた。

 近くを通りかかったとき自分の名前が聞こえたのが気になってつい跡をけて話を聞いてしまったのだ。


「別離で悲しい思いをするくらいなら、まだ良く知り合っていない今のうちに関わるのをやめた方が……」

「あのな、いつ死ぬか分からないのは誰だって同じだ。俺のクラスメイトの両親だって最近亡くなった」

 祥顕は早太の言葉を遮って言った。

 酒井の親は祥顕の親より年下だった。


「それに死ななくたって別れはある」

 酒井は本当に学校をめてしまい、あれ以来会っていない。

 祥顕は早太にそう言うと図書館に向かって歩き始めた。


 花籠は路地から離れると逃げるように家に向かった。


 私、人間じゃないんだ……。

 身体が崩れるかもしれないなんて……。


 それじゃあ輝くわけないよね……。

 香夜ちゃんが輝いてるのは生きてるから……。


 花籠が家に入ると香夜がリビングのソファにいた。


「お帰り」

 香夜の声に、

「ただいま」

 と返事をする。


 花籠が部屋に向かおうとした時、スマホの着信音がした。

 香夜のスマホだ。


「あ、弓弦先輩からだ」

 画面を見た香夜が嬉しそうに言った。

 思わず花籠の足が止まる。


「会えなくて寂しいって。私も寂しいし、早く学校行きたいな」

 香夜が悲しそうな表情で言いながらスマホの画面に返信を打ち込み始める。

 花籠は何も言わずに部屋に入った。

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