しろたえの

「か……花籠」


 花籠が台所に入ると母親が声を掛けてきた。


 また香夜ちゃんと間違えたんだ……。


 花籠は密かに溜息をいた。


「ちょっとお醤油買ってきて」

 母が言った。

 ちょうど一息入れるためにジュースでも飲もうかと思って台所に来たのだ。


 確か期間限定販売のお菓子が今日発売だったはず……。


 夜だからもう売り切れているかもしれないがついでに見てこよう。

 花籠は母から金を受け取ると家を出た。


〝かごめ、かごめ……〟


 不意に聞こえてきた声に花籠は顔を上げた。


 この声、何度も夢で聞いた……。


〝光り輝くかぐや姫


 籠に閉じ込め花に隠した


 誰の目にも触れぬよう……〟


「え……」


 

 夢の声が言っていたのは香夜ちゃんだったの?


 私は香夜じゃない……。

 夢まで香夜ちゃんと私を間違えるの……?


 両親おやも香夜と花籠を間違える。


 先輩は初対面の時でも間違えなかったのに……。

 なんで……。


 その時、鳥の声が夜空に響いた――。


 図書館を出て家に向かっていた祥顕は顔を上げた。

 夜空には何も見えない。


 はっきり聞こえるから近くのはずだがどこなのか分からない。


 不意に何かが目の隅をよぎった。

 向こうの方で黒いものが急降下しいるのだ。

 地面すれすれまで降りてきた黒い羽根が街灯の光に照らされる。


 と思ったとき悲鳴が聞こえた。


 人がいたのか……!?


 黒いものが高度を上げながらこちらの方に飛んでくる。


 誰なのか分からないが飛び去られたら祥顕には助けるすべは無くなる。

 かと言ってあの高さでは刀は届かない。


〝ほととぎす……〟


 馴染みになった声が脳裏に響く。


「弓はり月の……」

 言い切る前に弓が現れた。


 弓を掴むと黒い影に狙いを付ける。

 だが黒いものは闇ににじんで狙いが定まらない。


 両側が超高層ビルが壁になって、ビルより高度が高くなるまで左右には行けない。

 ビルが途切れるここまでは真っ直ぐに来る。


 ビルの谷間に満月が浮かんでいる。


 さっき空を見た時は出てなかったはず……。


 しかし好都合だ。

 黒い何かは超高層ビルの間に浮かぶ月の前を横切るはずだ。


 祥顕は天空にある月に狙いを定めた。


 月の前を通り過ぎる一瞬に賭ける――!


 祥顕は弓を月に向けて限界まで弦を引き絞る。


「梓弓 はるの望月 隠す影 黒き怪鳥けちょうを この矢貫け」


 呟きながら黒い翼が月に掛かった刹那、手を放す。


 人には当たるなよ……。


 祈るような一瞬の後、鳥の叫び声がしたかと思うと掴まれていたものが落下する。

 女性の悲鳴が聞こえた。


 やはり誰かが捕まっていたのだ。

 祥顕は落下地点目指して駆け出す。


 落ちてきた人物が地面に叩き付けられる寸前、思い切り路面を蹴って身を投げ出して下に滑り込んで受け止める。


 道路の上を祥顕の身体が勢いよく滑っていく。

 相手を離さないようにするのが精一杯だった。


 アスファルトとの摩擦で身体はきっとヤスリを掛けられたような状態になっているだろうが今は考えない事にする。

 擦り傷くらいなら大した事はない。


 しばらくしてようやく止まった。


 腕の中に重みを感じながら顔を上げる。


「花籠!」

 祥顕は相手の顔を見て声を上げた。

 花籠は祥顕の腕の中できつく目を瞑っている。


「花籠……無事か?」

 祥顕の声に花籠が恐る恐る目を開けた。

「先輩……!」

 花籠が驚いたような表情で祥顕を見返す。


「ケガは?」

「大丈……あっ! す、すみません!」

 自分が祥顕の腕の上に乗っているのに気付いた花籠が慌てて飛び退く。

 祥顕が笑いながら先に立ち上がる。


「あの……ありがとうございました」

「どこか痛いところは?」

 そう訊ねながら花籠が立ち上がるのに手を貸す。


「大丈……先輩! 血が……!」

「え?」

 花籠の視線の先に目を向けると道路を滑った時に袖がまくれて腕が見えていた。

 腕に赤い筋が走っている。


「ああ、これはあざだ。生まれた時からあったもので血じゃない」

 路面にこすれた時の傷もあるが痣に紛れて目立たない。

 祥顕は答えながら袖を引いて身なりを整えた。


「生まれつき? じゃあ痛くなかったんですね?」

「ああ」

「良かった」

 花籠が安心したように言った。


「え?」

「ケガだったらすごく痛かったんじゃないかと思って。でもそうじゃないなら痛い思いはしなかったんですよね?」

 花籠の言葉に祥顕は思わず彼女の顔を見た。


「あ、ごめんなさい! おかしなこと言って……私、いつも変なこと言って笑われて……」

「確かにそういうことを言われたのは初めてだが……」


 やっぱり……。


 花籠は肩を落とした。


 祥顕は肩を落とした花籠の頭頂部を見下ろした。

 痣を見て、まず痛みを心配してくれた人は初めてだった。


「別に変な事じゃないだろ」

「そ、そうですか?」

けなしたわけじゃないし」

「そんな、貶すなんて……」


 痣を何度も「気持ち悪い」と言われた。

 体育の授業で痣が見えてしまうから小学生の頃から色々言われてきたのだ。

 悪意は無かった者もいただろう。


 祥顕は服で隠れてしまうからそれほど気にならなかったが、人によっては相当なコンプレックスになったことは想像にかたくない。


 祥顕が花籠と共に歩き出そうとした時、再び鳥が鳴いた。

 空を見上げたが夜の闇に隠れて鳥の姿は見えない。


 花籠をさらおうとした化物は撃ち落としたから別口だろう。


 他にもいたのか……。


 二人の前方に狐達が現れる。


 ここで狐達の足止めをして花籠を逃がすか……?


 しかし道幅が広いし向こうは大勢いるが祥顕は一人だ。

 花籠を捕まえるのは一人で十分だから祥顕が戦っている横を通り過ぎられたら食い止められない。


 祥顕は周囲に視線を走らせた。

 都庁脇の中央公園に続く通路は向こうから回ってこられる。

 下の道路へ降りる階段も上ってこられる。


 一緒に逃げて追い付いてきたヤツだけ迎撃するか……?


 だが花籠は足が速そうには見えない。

 仮に速かったとしても小柄だから持久力はないだろう。

 となると早晩追い付かれるはずだ。


 どうするか思案しながら夜空を一瞥いちべつする。

 月がない。

 やはり満月を見落としていたわけではないのだ。


 と思っていると目の前に太刀が突き立った。


『弓はりの月の~』は言わなくてもいいのか……。


 刀を掴んで切っ先を狐達に向けた時、後ろの方の狐達の足並みが乱れた。

 祥顕と狐の間に早太が仲間を連れて現れる。


 祥顕は牽制するように刀を右手で構えたまま、左手を背後に伸ばして花籠に下がるように合図した。


「ここは我らが……」

 早太が祥顕の隣にいる花籠を見て一瞬怪訝そうな表情を浮かべる。


「え?」

此奴こやつらの相手は我らがします。あなたはその娘を連れてお逃げ下さい」

 早太が祥顕と狐達の間に立ってこちらに背を向ける。

「いいのか?」

 早太達も花籠を狙っていたはずだ。


 何か企んでるのか?


「我らがその娘を殺そうとしているのは人の世を守る為。あなたも守るべき〝人〟の一人です」

 早太が祥顕に背を向けたまま言う。


「…………彼女がその〝人〟に入ってないなら別の機会に襲うって事か」

「ご聡明でいらっしゃる」


 思わず『聡明じゃなくても分かるだろ』と突っ込みそうになった。


「なら有難く行かせてもらおう」

 祥顕はそう答えると花籠を促して反対方向に向かう。


 家に向かいながら祥顕は並んで歩いている花籠を見下ろした。

 知り合ったばかりでよく知らないが、なんとなく悩んでいるように見える。


「あんなのに狙われてたら怖いよな」

 と、声を掛けたものの、それ以上なにを言えばいいのか分からない。

 祥顕もまさか人を掴んで空を飛べるような化物がいるとは思わなかった。


 花籠は少し躊躇ためらってから、

「……人違いだったんです」

 と明かした。


 祥顕は初対面の花籠でさえ守ってくれたのだ。

 まして親しい香夜を危険にさらすようなことをあの男達に言ったりするはずがない。

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