かぜの知らせの

 香夜の嘆きが伝わってくる。

 花籠も何度も同じ事を考えた。

 香夜と同じように――。


 どれだけモテていようと好きな人に振り向いてもらえなければ意味はない。


 香夜ちゃんもホントに先輩が好きなんだ……。


 その時、弦打ちの音と共に暗闇の中に月明かりのような光が差し込んできた。

 満月の眩しいような輝きではなく、弦月の柔らかい光だ。


 初めて祥顕と出会った晩の夜空に浮かんでいたあの月のような――。


 先輩……。

 この音、先輩が私を呼んでるんだ……。


 闇の中に病室で花籠のベッドの横に立っている祥顕の姿が浮かぶ。


 ここにいても香夜ちゃんが助かるかどうか分からないし、先輩に心配掛けないように一度戻った方が……。


 本気で死にたいと思ってるわけじゃない。

 折角憧れの先輩と知り合いになれて話も出来るようになった今になって。


 先輩と親しくなってから死ななきゃいけなくなるなんて……。


 ホントは嫌だ。


 けれど祥顕のため、香夜のため。

 そして香夜と親しい祥顕を見たくない、醜く崩れた自分の姿を見られたくない。

 だから身代わりになることを選んだ。


 でも本当はまだ死にたくない……。


 花籠は踵を返して光の方へ向かおうとした。

 すると――。


「花籠ちゃん!」

 香夜の叫びが聞こえてきて慌てて足を止めると振り返った。


 だが、どこから聞こえてくるのか分からない。


「香夜ちゃん! どこにいるの!?」

 花籠が返事をすると、

「助けたいか」

 この前、授業中に見た夢で聞いたのと同じ声がどこからともなく聞こえてきた。


「お前が代わりになればあの娘は帰してやる」

 声が言った。

「ホント!? ホントに香夜ちゃんは帰してくれるの?」

 花籠が訊ねた。


「一人残っていればいいんだ。どちらか一人が」

 声が答える。


 それなら私が残れば……。

 先輩だって香夜ちゃんの方がいいはずだし……。


 これは先輩のためだから……。

 だから……。


 花籠は足を踏み出そうとした。



 弦打ちをしていた祥顕の前に突然花籠の後ろ姿が現れた。

 花籠は何かに導かれるように歩き出そうとしている。


 花籠がってしまう……!


「花籠!」

 祥顕は咄嗟に花籠の手首を掴むと自分の方に引き寄せた。


 その瞬間、花籠の姿が消えた。

 弓も無くなっている。


 花籠が助かったのかどうかはともかく、もう弓は必要なくなったという事だろう。

 祥顕は急いで花籠の病室に向かった。


 花籠が目を覚ました時、側には誰もいなかった。


 ここは……病院……?

 なんで病院に……。


 そう思ってから香夜のことを思い出して慌てて身体を起こす。

 ベッドから降りようとして自分がパジャマなのに気付いた。

 それと腕には点滴が刺さっている。

 これでは動けない。


 どうしよう……。


 ドラマなどで自分で針を引き抜いているのを観たことがあるが花籠には怖くてそんな事は出来ない。


 けど……。

 なんだか、針がちょっと……というか、かなり痛いような……。


 そう思った時、病室に入ってきた祥顕と視線が合った。


「花籠! 意識が戻ったんだな! 良かった……」

 祥顕が心底安心したように言った。


「先輩……」

 花籠は『心配掛けてすみません』と言い掛けて自分がパジャマだったということを思い出した。


 慌てて掛布シーツを胸の上まで引っ張り上げる。

 そのとき母も病室に入ってきた。


「花籠!? 気が付いたの!?」

「お母さん! 香夜ちゃんは!? 香夜ちゃんは大丈夫!?」


 花籠の質問は祥顕も気になっていた。

 未だに病院で見掛けていない。

 姉妹きょうだいなのに病院に来ていないのだろうか。


 一時的に家に帰っているとかか……?

 まさか狐にさらわれたんじゃ……。

 花籠と勘違いしていたという話だし……。


 ただ、香夜が危険な目にったのだとしたら花籠を助けるために弓が出てきた理由が分からない。


 花籠を助ける必要があって香夜は助けなくていい理由があるのか……?

 相手が誰であれ助けなければいけないと思うのだが……。


 勿論もちろん、一介の高校生にすぎない祥顕に出来ることなどたかが知れているが、花籠の姉なら全くの無関係とは言えない相手だ。


 祥顕の思考を断ち切るように、

「高校生にもなってだそんなこと言ってるの……」

 花籠の母が呆れたように言った。


「え……?」

「香夜っていうのはこの子の想像上の友達なんです」

 母親が祥顕に言い訳するように言った。


 イマジナリーフレンド……。


 祥顕と同じ事を花籠も想像したらしい。

 花籠が真っ赤になる。


「この子が生まれた時、香夜って名前にするつもりだったって言って以来、香夜って言う空想の友達と遊ぶようになって……」

「お……!」

 花籠が反論し掛けた時、掛布シーツがズレて祥顕の目に点滴の針を刺した腕が映った。


「おい、点滴の針、外れてるんじゃないのか?」

 祥顕の指摘に花籠が自分の腕に目を落とすと針を刺しているところがボールのようにふくらんでいる。


「ーーーーー!」

 花籠が絶叫した。

 母がナースコールを押す前に足音が駆け付けてくる。


 看護師が一頻ひとしきり出入りした後、病室は再び祥顕と花籠、花籠の母の三人になった。


「はぁ……怖かった……」

 花籠が膨れ上がった腕を涙目で見下ろしている。

 それを見た祥顕が吹き出した。


「せ、先輩!?」

「いや、すまん」

 そう言いながらも爆笑している。


「な、何がおかしいんですか!?」

「いや、点滴液ならどっちにしろ体内に吸収されるんだろ。そんなに驚かなくても……」

 祥顕が笑いながら答えた。


「で、でも、こんなに膨れてるんですよ!?」

 花籠が抗議したが祥顕は腹を抱えて笑っている。

 母も顔を背けて肩を震わせていた。


「お母さんまで! 二人共ひどい!」

 花籠がむくれる。


「すまんすまん」

 ようやく笑いが止まった祥顕が謝った。


「安心したら、つい」

 祥顕の屈託のない笑顔に、花籠は知り合って以来ずっと狙われていた事を思い出した。


 きっと祥顕は常に気を張りつめていたのだろう。花籠を守る為に。

 そう思うと怒ることも出来なくなる。


 まぁ、先輩が笑ってるところ見れたからいっか……。


 祥顕の笑顔を見ていたらそれ以上強くは抗議出来なかった。


「花籠は『かぐや姫』の絵本が大好きで何度も繰り返し読んでいたんです」

 と母が話を戻した。

 だから『香夜かぐや』という名前が良かったのだろうと付け加える。


「お母さん! 私と香夜ちゃんは双子……」

「そういえば小さい頃から双子のお話も好きだったわね。香夜っていうのは双子の妹って事だったのね」

 母が双子が主人公の子供向けの話のタイトルをあげた。


「違っ……! 二人が映ってる超音波検査の写真だって見せてくれたでしょ!」

 花籠が母に食い下がる。

「あなたはお腹の中にいた時から一人よ。写真にも一人しか写ってなかったでしょ」

 母は困ったような表情を浮かべながら答えた。


 香夜ちゃんがいなかったことになってる……!

 お母さん達の記憶が消されちゃったんだ……!


 どうしよう……。

 狐の人達に連れていかれたら最初からいなかった事になっちゃうなんて……!?


 母親は、

「すみません、娘は混乱しているみたいなので医師せんせいを呼びますから……」

 と祥顕に帰るよう促した。


「あ、それじゃ、お大事に」

 祥顕が頭を下げると、

「先輩! 先輩は信じてくれますよね!?」

 花籠がすがるような視線を向けてきた。


「心配するな。早太に聞いておく」

 祥顕が安心させるようにそう答えた時、不意に早太から貰った守り袋の匂いがした。

 祥顕はポケットから守り袋を取り出した。


「これ、お守りだ。気休めくらいにはなるだろ」

 そう言って花籠に差し出す。


「先輩……ありがとうございます」

 花籠は礼を言って受け取った。

「いい匂い」

 甘い香りのお陰で少し落ち着いた。


 そうだ……。

 早太さんが私を調べたんだった……。


 早太が花籠を調べたのは病院に運ばれる前である。

 死亡届なども見たと言っていたはずだ。


 もしコピーか何かを持っていれば、それは改竄かいざんされていないはずだから双子だったことを証明出来るだろう。

 表情を見る限り、祥顕は香夜のことを覚えているようだから大丈夫だろう。


 けど……。

 お母さんですら忘れちゃったのに先輩は忘れなかったんだ……。


 祥顕にとって香夜はそれだけ大切な存在なのだろう。

 それを考えると胸が痛かった。


 さっき、ぐずぐずしないで香夜ちゃんの方に行っていれば……。


 悔やんだものの今更だ。

 なんとかして香夜を探すしかない。


 でも、どうしたらいいんだろう……。


 祥顕は病院から出ると辺りを見回した。

 図書館へは向かわずガードレールに腰掛けていると、思惑通り早太が現れた。


「勉強しなくてよろしいのですか?」

 早太がとがめるように言った。


 親父の小言みたいだな……。


「聞きたいことがある」

「なんでしょう」

「花籠の母親が花籠は一人っ子だって言うんだが……」

「兄弟はいませんから」

 その言葉に祥顕は驚いて早太の顔を見た。

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