第11話拝啓 『フローリア孤児院』という命名だけは辞めていただきませんか?
「拝啓 リア嬢。
先日の訪問時から時間を置かず貴女が公爵家を出たのを知りました。
わたしの浅はかな行動が要因になり『男性恐怖症』が悪化し、日常生活もままならない状況になったこと。聞き及びました。
どう懺悔したら良いものか。
これからは貴女の前に姿を現さないと誓います。
離縁は滞りなく済ませました。
お詫びの気持ちと貴女への離縁の証として孤児院の運営状況を改善し、貴女が愛し恩があるコルド地方の発展にも寄与すると誓います。
貴女のご指摘通り公爵への無礼もお詫びします。
財産分与も致しますのでご安心を。
貴女が手掛けた事業の収益はそのままお渡しする準備と契約書も用意しました。
わたくしへの赦しは乞いません。
ただドラキュ―ルの一族の者がそちらを訪問することは赦してもらえないだろうか。
12歳になるハクアは特に貴女を慕っておりました。
貴女の障害を抱えている姿を心痛めていました。
彼女だけは嫌わないで貰えないだろうか。
大きなお世話かと思いましたが貴女の無事のために『用心棒』を雇いました。
戦地上がり。無骨で無口な者ですが女性に無体は働かない者であると保証します。
羽根無しで視力の弱い貴女はなんでも熟し強く聡く自立した気高い女性ではあります。
殿方に縋りたくない貴女の崇高な精神も尊重します。
ただ先日子供を庇い死にかけたと報告を受けました。
それに男性恐怖症の貴女は昔からその恐怖症ゆえに隙が出ました。
それが格別に可愛らしく。不埒な男は狂っておりました。
貴女は自身の魅力に気付きようがありませんが。
貴女の献身や無邪気さ優しさは美貌以上に男を狂わせるのです。
せめて『男性恐怖症』が治るまではそのものの護衛を置いてください。
貴女だけではなくシンシア女史を守るためにもなります。
護衛の拒否だけはしないでいただきたい。
貴女の幸せを願っています。
愛を込めて。
ルドルフ・ドラキュ―ル」
リアはそっとため息を漏らした。
同室のシンシア先生が手紙を代読しながら心配そうにこちらを伺っている気配がする。
リアはエ―デル公爵からの再三のドラキュ―ル伯爵の訪問と話し合いを拒否し続けてきた。
そしたらこの便りである。
リアは何故か罪悪感でいっぱいになった。
確かにルドルフはリアに無理やりキスをした。
まるで夫としての所有欲を主張するかのようなキスであった。『わからせる』ような。
男性恐怖症のはずのリアが〝唯一受け入れたのは自分であり、身体もそれを覚えている〟と言わんばかりのキスだった。
(それに嫌悪も感じなかったから戸惑うのよ………。
あんな………。あんな………甘いキス)
リアは戦慄きながらも元旦那のルドルフの便りを捨てようとした。
もう縁切りはなされた。
過去を振り返る気はないのだから不要なはずだ。
それなのに出来なかった。
さっきから便りの内容を反芻して唸りを繰り返している。
一回聞いたら内容など覚えてしまう己の記憶力か恨めしい。
(あの甘い夢のせいだわ………。
あれでドラキュ―ル伯爵を心から愛していたらしい過去のフローリアの記憶も気持ちも流れてくるようなのだもの。
それに。
『悪いヒト』には思えないし騙そうとか私を害したいわけでもないのはわかるのよね。
便りも愚直で………誠実で………。
ただね………)
『ねえ………?シンシア先生?』
「〝シンシアちゃん〟」
『んッ…………シンシアちゃん』
シンシア先生のクスクス笑う声はまるで木立の中の小鳥のさえずりのようで。
可愛らしく癒やされる森林地帯を思い起こさせた。
『貴女の………『雇い主』。
多分竜人族のドラキュ―ル伯爵様よね?』
彼女の息を呑む声がした。
リアの見立て通り彼女は嘘が下手らしい。
いやそもそも繕う気もないのかもしれない。
『貴女の雇い主に私の様子を伝えるためかな?
初めて会ったにしては私と『意気投合しずぎ』なのよ。
早急に『仲良く』なりたくて、ことを急いだ感がある。』
リアが小首を傾げると観念したのかシンシア先生はため息をついた。
「厳密には違うかな。
私は確かにリアちゃんと仲良くなりたかった。
でもそれはルドルフ様の思惑ではないの。
打診は受けた。報酬もいただいているわ?
でもここにいることもリアちゃんの側にいたいのも『私の意志』なのよ。
妖精国の孤児院『ハニ―孤児院』で私は働いていたの。
そこはそもそも『貴女』が運営していたのよ。リアちゃん」
今度はリアが息を呑む番だった。
『ハニ―孤児院』。
その名は孤児院運営に携わったものなら『憧れ』の施設である。
妖精族は『分かち合い』の精神が強い。
福祉事業大国である。
でもそれは決して国が成し得たことではないのだ。
ある商会の『貴婦人』がその商会の利益を下に創り出したのがその『ハニ―孤児院』なのだ。
孤児や犯罪被害者の生活の安全はもちろん。
医療施設もリハビリ施設、就労支援施設から高等教育機関と図書館も完備された国の力では創り出せない孤児院。
リアも正しくその『孤児院』を目指したくてこのコルド孤児院にいるのだけど。
理想が高いばかりで資金不足と人員不足は補助金ではどうにもならなかった。
その憧れの孤児院をリアが創設したという。
勿論記憶を失う前の『フローリア・ドラキュ―ル』がであるのだけど。
『もしかして。シンシアちゃん。
昔の私と知り合い………なのかな?』
シンシア先生の空気が変わった。
小川のせせらぎのような。
彼女は泣いているのだ。
途端リアは抱きしめられた。
「フローリアちゃんッ…………リアちゃんッ…………。
ごめんなさい。ごめんなさい。
ルドルフ様には『言わないように』言われていたのよ。
貴女の負担になるって。
過去を振り返らない気高い貴女の足枷になるって。
でもね。
でもッ…………。
フローリアちゃんに恩返しも出来ないまま貴女ッ…………。
貴女死んじゃって………。
私………私も死にたいくらい悲しかったの。
でもッ…………でも。生きている。
リアちゃんは間違えなく『フローリアちゃん』だよ。
髪色は違うけどッ…………。変わってない。
変わらなすぎて悲しいくらいだよッ…………」
泣きじゃくりながらシンシア先生は話してくれた。
学生時代のフローリアを。
親友として過ごした穏やかな日々を。
シンシア先生の婚約者がクズでありフローリアを手籠めにしようとしたこと。
それでフローリアは男性恐怖症になったこと。
幼き日に見初めたドラキュ―ル伯爵を一途に想い続け。
奔放なはずの妖精族の美女であったのに殿方を寄せ付けなかった。
学業も商学も舞踊も武芸もトップを極めた。
彼女は男顔負けで気高すぎたのだ。
それが妬みも羨望も尊敬も恨みも呼んだ。
彼女の婚約者からの被害も親友のシンシアのため秘匿にし断罪しなかった。
心やさしいフローリアをシンシアは一時期恨み妬み。
婚約者を誘惑したと非難し去ったと。
彼女達の友情は一時期途切れたらしい。
『婚約者が………目移りしたの。
シンシアちゃんは辛い思いをしたの?それなのに結婚を?』
「同じことを言われたわ。フローリアちゃんにも。
〝家柄だけのクズじゃないッ…………?!
貴女に値しない。貴女は誰よりもお淑やかで優しいのに。
なんで家のためにあんなやつと………〟って」
『ふわあ………辛辣………気持ちは………わかるけど』
シンシア先生も幼い日に婚約した婚約者を心から愛していたらしい。
伯爵家のシンシア先生と男爵家のフローリアでは背負うものも義務も違いすぎると非難した。
その後暴力夫から逃げて竜人国に亡命したシンシア先生が頼ったのはフローリアだった。
「貴女はね。恨み言の一つもなく。
学生時代の時のまま。傷ついた私を慈しみ慰め。
実家から勘当され行く宛のない私を保護し。職も与え。
家柄が良く妖精国の皇太子すら簡単に手を出せなかった枢機卿の甥の夫も断罪してくれたの」
『………………?』
リアは少し頭が追いつかなくなってきた。
断罪の内容を聞くとフローリアはさながら『妖精族の裏を取り仕切る女帝』のように立ち回り竜人国と妖精国の警備局も裏から操り暗躍したような話であったから。
しかも。
シンシアの元旦那は『妖精族人身売買』の首謀者として投獄されているという。
それらを取り仕切ったのはフローリアで。
夫のドラキュ―ル伯爵と竜人族の王家も動かしたらしい。
にわかに信じがたい。
フローリアとは『何者』なのだろうか。
どんな人脈とコネと力があるとそんな大それたことを次々熟していけたのか。
『他人の空似………では?
私そんな大層なこと出来たと思えないよ?』
「リアちゃん?貴女はね今も『何者でないリア』なのに。
こんな凄いことを成し遂げていることに気付かないの?
貴女の魅力と人徳あってこそなのよ?
孤児院に訪れた街の人は皆が貴女の優しさと献身に心奪われ。貧しいながらも助けようと一丸となって働いているわ?
この『孤児院復興』の事業にルドルフ様が現地入りしないのは何故かわかるかしら?
あなたの手腕を信頼しているのよ。
この『コルド孤児院』改め『フローリア孤児院』を貴女は仕切り創り上げつつあるのよ?」
『それは………?コルド地方の皆が優しいから………。
んッ…………?『フローリア孤児院』って何?』
リアが面食らうのがわかるのだろう。
シンシアの雰囲気は陽だまりのお日様の陽光のように暖かくなった。
「ここ『フローリア孤児院』改名になるのよ。
『リア孤児院』のほうがいいよね?
ルドルフ様。そこんとこデリカシーないのよね?
過去の貴女を格別に愛しているからと今の貴方に不誠実ではなくて?
あの方まだまだ貴女を諦めてはいないのよ?」
『ひッ…………』
リアは鬼気迫りながらシンシアに代筆を頼んだ。
『拝啓 ドラキュ―ル伯爵様。
心遣い感謝します。
離縁の件も進めてくださり感謝します。
ですが『フローリア孤児院』という命名だけは辞めていただきませんか?
『リア孤児院』も辞めてください。
それだけ叶えてくださるなら財産もいりません。
そもそもわたくしが本当に『フローリア』か怪しいのに過分なものはいただけません。
本当に本当に。
お気遣いはいらないので放っておいてくださいませ。
一介の孤児院教師 リア
追伸。
ハクア嬢のことは最善いたします。
過去のフローリアほどお役に立てるかはわかりません。
何分彼女との思い出もありません。
それと。
『友との再会』の贈り物は有り難く頂こうと思います。
感謝申し上げます』
「リアちゃん………。財産は貰おうよ。
ゆくゆく旅に出たいのよね?お金があるに越したこと無いじゃない」
代筆を終えたシンシア先生が心配そうに見上げてくるからリアは首を振った。
『シンシアちゃんはお人好しなのよ。
『縁切り』に『財産』絡めるとね。
後々弱みを握られるかもしれないのよ?
一気に頂けなくて分割とかになったらそれだけ『関わる期間』が延びるの。
あぁいう『独占欲』つよそうなヒトは早々逃げたほうが良いのよ』
「………………………………」
シンシアの視線を感じる。
言外に語っている。『無駄な足掻き』ではないか。と。
リアの視力の問題と男性恐怖症の問題が解決しないと逃亡もままならないのだから。
そんなことはわかっているのだけど、だからとドラキュ―ルの思惑に簡単にはのりたくはない。
「リアちゃん。本当に本当に逃げたくなったら言ってね?
私の拙い人脈だけど妖精国にも貴女の居場所くらい創れるのだから」
リアはまだ少しシンシア先生を疑っているのだけど今は見ぬふりをした。
それくらいリアの心は『寂しかった』らしい。
確かにシンシア先生に抱きしめられると懐かしい心地がしたのだ。
それは例え騙されていたとしても赦せてしまうくらいには愛おしい温もりだった。
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