第8話 公爵様が不憫だわ?
「リア先生?
またこんな時間から働いてますの?
貴女はいつ寝ているのですか?」
『あッ…………院長様。ごめんなさい………。
起こしてしまいましたか?
なるべく火の光を弱めたのですけど………』
リアは皿に乗せた火の光を撫でた。
淡い光がリアの机の上で赤く揺らめいていた。
火の精霊にお願いして皿に乗せたものである。
竜人族は蝋燭の光一つにもお金がかかる。
妖精族は大抵精霊にお願いして助けてもらっている。
蝋燭代節約という意味では経費削減出来て院長は最初こそ喜んだのだ。
ただリアの『労働』が『過剰』なことは喜びにはならない。
便利な魔術持ちのリアを搾取しようとしていない。
稀有な人徳をお持ちの方なのだ。
「………。年寄りは眠りが浅いのよ。貴女は謝ってばかりだわ?
時折貴女が視力が弱いことを忘れてしまいますよ」
『まあ………?素晴らしい褒め言葉ですわ?
役立たずにならないように精一杯努めたかいがありますわ?』
「………。公爵様にお叱りを受けてしまいますわ………。
貴女のような高貴な方が『労働』為さることすら………」
初老の竜人族の女性の院長がリアの部屋に入室しながらお小言を言う。
早朝と呼ぶには早すぎる時間帯である。
リアの部屋は彼女が入室するとなんとも圧迫感がある。
公爵家の客間の30分の1にも満たない簡素な部屋であったがリアは快適に暮らしていた。
孤児院の院長の女性は恰幅が良く快活な方で、障害者のリアの面倒を引き受けてくれた恩人であった。
リアはエ―デル公爵家を出て領地内にある『孤児院』で働くことを公爵に『ねだった』のだ。
女子供しかいない環境で心穏やかに過ごしたいと泣きついたら公爵は何も言えなかった。
日に日にリアが憔悴するさまは『ストレス』が原因なのは明らかであったのだから。
リアを慈しみたい公爵は抗えなかったのだ。
リアは『殿方に煩わされない一時の自由』を手に入れたのだ。
『院長様?高貴な令嬢が『炊事』も『子守』も出来ると思います?
皆様わたくしの見目に惑わされて『高貴』と勘違いなさるだけなのよ。私は『リア』。
何者でもないリアなのよ』
「………。貴女という方は………。
あんなに立派な公爵様を無下にするのは我が竜人族の皇太子との縁談を断った妖精族の王女と貴女くらいなものですよ」
ため息をつく院長にリアは薄く微笑みながら繕いものを仕上げた。
院長はリアを『落ちぶれた貴族の令嬢』と説明を受けたらしい。
リアは当初思い描いていた『介護される籠の鳥』の生活より遥かに快適な日々を過ごしていた。
公爵家では、リアは一人では極力出歩かないように諌められた。視力の悪い客人が仕事を手伝おうにも、人手は足りているプロの使用人が『障害者』で『公爵の寵愛を受けている令嬢』に仕事を割り振るはずもなかった。
せいぜい小耳に挟んだ仕事の愚痴。効率化や改善の相談を受けアドバイスするのみ。
そんな生活の中リアのストレスは『限界』に達したのだ。
(まさか『動き回れないから気が滅入る』なんて。
本当に私は普通の令嬢ではないのだわ。
公爵家での生活は正しく蝶よ花よの扱いだったはずよ。
それがストレスだなんて。
『男性恐怖症』の悪化も、もちろんだけれど。
それらも「籠の鳥」な状況への気の滅入りが要因かもしれないわ)
この孤児院では常に『人手不足』であった。
孤児院の労働は過酷であり『慈愛』や『優しさ』だけでは勤まらないのだ。
子守の要員として町娘達が入れ代わり立ち代わり来てはくれるらしいのだ。
ただ近年『原因不明』の体調不良を起こす娘が跡を絶たず。
田舎も王都も『娘』不足なのだという。
孤児院などの『慈善事業』は近年の令嬢の中では『花嫁修業』として行われるらしい。
なんでも『慈善事業』に力を入れていた令嬢がその後華々しい婚姻をしたことが『憧れ』として拍車をかけたらしいのだ。
ただその『花嫁修業』の令嬢も人員不足であるらしい。
温室育ちの令嬢には孤児院は『過酷』なのだ。
現実は甘くないのである。
せいぜい箔付けのための『視察』と『寄付』で済ませる令嬢も多い。
当初院長もそんな『お荷物』にしかならない令嬢を受け入れると思ったらしい。
床に伏していたとしても公爵家から侍女が世話に来るからと公爵に頼み込まれて途方に暮れたという。
ましてやリアは院長の初めて接する妖精族らしいのだ。
それはそれは彼女の憂いは計り知れなかっただろう。
妖精族は竜人族からすると『小柄』『か弱い』『竜人族を恐れる』種族と教わるらしいのだ。
それは無理もないことであった。
竜人国と妖精国は1000年近く『国交断絶もの』の敵国だったのだから。
それ10年ほど前に両国は『和平』を結んだ。
それからやっと交流をしだしたのだ。
彼らにとって『妖精族』など絵本の世界の住人なのだ。戸惑いしか無かっただろう。
そこへ思いの外『元気』なリアが来院したのだ。
容姿こそ妖精族そのままのリアであったが、『小柄』ではあっても『か弱く』はなかった。勿論竜人族も無駄に怖がりもしなかった。
最初こそ公爵の顔色を伺いリアを使い倒すことに罪悪感を感じていたらしい彼女もまた『強か』であった。
リアは妖精族にしては身体が丈夫で院長が思い描く一般の竜人族の令嬢より働き者だった。
リアが視力が悪い中苦も無く動き回り、悪戯をするすばしっこい子供達を捕まえる様を見て面食らい。
熱い寸胴鍋すら素手で持ち上げ転倒もしない様を見て度肝を抜かれ彼女は腰を抜かした。
それからである。
リアを障害者扱いせず共に孤児院を仕切る一員として認めてくれたのだ。
視力の悪いリアが読み物や書き物が出来ないことはなんのハンデにはならなかった。
孤児院の隅から隅まで壁の亀裂や塀の凹みまでリアの頭は記憶した。
聞いた事柄は鮮明に覚えていた。
頭の回転も早かった。
院長と商人の会話を聞いただけで品物の物価と相場価格の差を見抜き、悪徳商人を追い出したほどである。
それ以降院長は孤児院の運営の細部もリアに相談し信頼した。
豊富な知識もあり妖精族から竜人族まで多種多様な物語、倫理、歌を語るリアはすっかり子供達の人気者となった。
「妖精国から『眼鏡』なるものが来ないことをわたくしは祈る毎日なのよ?」
院長はクスクス笑いながら不穏なことを言った。
彼女の物言いは公爵が聞いたら憤慨したに違いないのだが、彼女なりのリアを案じての発言であった。
リアもため息はつくけど不快ではない。
彼女には裏表のある陰湿さがないこともリアは好ましく思っていた。
「貴女が視力を取り戻したら。
その行動力はこのコルド地方を飛び出して行きそうなのだもの。公爵様が不憫だわ?
貴女も公爵のご迷惑になりたくないのだもの。
嫌いではないのよね?
結婚したら『男性恐怖症』も和らぐかもしれないわよ?
公爵様は優しい方だもの」
院長は公爵の恋路を応援しているらしい。
やはり彼女もこの地方では『盟主』と言われる尊い公爵に嫁がないリアを『変わり者』扱いである。
『女の幸せは幸せな婚姻』である。
孤児院の院長もその思想の持ち主であった。
『コルド地方の海はまた『不漁』ですか?』
「そうなのよ………。『異常気象』なのよ。海が凍るのよ。
その間は漁にも出られない。
サンサン地方からの『クリスタル加工』の仲卸の工業がなかったらとっくにコルド地方は飢えていたわ?
サンサン地方の御領主様は公爵さまの旧友らしいのよ?」
『この「孤児院運営」も火の車だわ。
食べるのにやっとの生活。
子供達への高等教育なんて夢のまた夢なのね………。
どうにかならないものかしら』
「竜人国国王も『孤児院運営』の補助金」を出してくださっているのだけどね?
今竜人国は国中が貧しくなっているのよ。
度重なる異常気象、疫病、謎の病。
前の国王よりも節税してくださっているのだけど。
ここみたいに『弱いところ』まで潤沢にとはいかないのよ。
貴女はそこらの令嬢の10倍働くのだから。
体調を崩さないように休むのも大事ですよ。
貴女の仕事は今は睡眠。わかりましたね?」
『わかりましたわ』
(夢見が悪いから眠りが浅いとは言えないしね)
リアは公爵家での反省を経て『隠匿魔術』を習得した。
睡眠中はそれを行使するのである。
お陰で今だに院長には眠っている時うなされていることはバレてはいないのだ。
だからといって一番の戦力のリアが体調を崩したら院長にも子供達へも迷惑になる。
(国や公爵様からの援助以外の『活路』を模索しないと。
殿方に煩わせない生活は快適なのだけど『旅立てる』ほど自立は出来ていないし。
自由と自立ってお金がかかるのね………)
リアは院長の小言を聞きながらため息はついた。
この院に居付いてから早一月経つ。
リアはすっかりこの孤児院が『我が家』のように思えていた。
空にはまだ月が照っている。
月夜は特に寝付きが悪い。
夢の中の月夜の晩を思い出すからだ。
(夢に囚われているなんて馬鹿げているわ。
私も所詮夢見る頭の中お花畑の令嬢と変わりないのだわ。
そのうち『白馬の王子様』が迎えに来てくれるとか思いだすのかしら?寒気がする。)
リアはそっと火の精霊にお礼をして明かりを消した。
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