第9話 拝啓。 名も言わぬ黒馬の騎士様

 

 『待って待って………。何でそんなことになったの………?』


リアは泣き叫ぶ幼子達からの助けの声を聞きつけ全力疾走であった。


孤児院にはマオという随一のお転婆な男の子がいた。

この孤児院で一番の暴れん坊であり、花嫁修業の『令嬢』が泣いて逃げ出す要因の一つとされた孤児院の問題児だった。

その子をリアは来院初日に『手懐けた』のだ。

なんてことはない。

彼の数々の罠や悪戯を華麗に避けてみせ、それでも襲撃するマオを『羽交い締め愛の鞭』にしただけである。


大人しい令嬢や町娘ばかりを狙っていた『ひん曲がった根性』を入れ替え『騎士道精神』を教えたのだ。

〝強き紳士こそ淑女を守るために力を振るうべきである〟と。


(大人しくなったと思っていたら油断したわ………)


リアが陽の光を影にしている元凶を見上げる。

孤児院で一番高いバオバオの木の天辺でマオがなきべそをかいている。

なんでも『羽だし』の訓練と称して幼子達に見本として空高く飛んだらしい。

そこへ強風に煽られバオバオの木に引っかかったのだ。


(羽だしの訓練は街の人や公爵様がいる時と約束したのに)


リアはバオバオの木を撫でながらため息をついた。


『わたし………羽が出せない妖精族なのにッ…………』


リアが障害者なのは『それ』もあった。

妖精族特有の羽を出せないのである。

背中に大きな傷がある影響か迫り出せ無いのである。

妖精族には『羽骨』に沿って『羽管』がある。

そこに日頃収納されているのだ。


竜人族の羽はまた妖精族のそれとは違う。

『魔力の具現化』が為せる技なのだ。

日頃は実体はなく〝竜〟を具現させる。意思の強さで具現する。

歴戦の猛者にもなると『完全具現』を可能にするらしい。

大抵の一般人は羽のみの具現であり牙や爪が具現することは稀なのだそうだ。


幼子達によるとマオの〝竜〟は今はきえてしまったらしい。


考えている猶予はなかった。


(街の人を呼ぶ時間はない。

院長も『寄付』の申し出と改築の工事の様子見でお貴族様をもてなしている最中だわ………。

こんな時に限って人手不足のツケが回ったわッ…………)


リアは幼子達を宥めながらバオバオの木に手をかけた。

視力は朧気ながらなんとか木を登る。

下から歓声がした。

マオの泣き叫ぶ声が近くなった。


『マオ………?動かないでね』


「リア先生?あ………危ないよ。

リア先生目が見えないのにッ…………」


『ふふッ…………心配してくれるなら今度からルールを守ってね?』


マオを抱えた瞬間大きな風に煽られた。


「先生ッ…………!!マオ!!!」


下から幼子達の悲鳴がした。

足元から不穏な音がした。

それはリアがマオを抱えながら真っ逆さまに落ちたのと同時だった。


リアの脳裏に鮮明な『死』の匂いが立ち込めた。


(マオだけでもッ…………)


震えるマオを抱きしめながらリアは目を瞑る。

受け身の体勢をとった。

気が遠のいた。


「ッ…………じゃじゃ馬め」


苦々しく吐かれた言葉と共に落下は止まった。


(………?)


リアとマオは逞しい腕にふんわり抱きかかえられていた。

誰かに空中で『お姫様だっこ』されたのである。


『………どなた?』


舌打ちが聞こえた。

ふんわり薫った甘いスパイシーな薫り。

リアの視界は黒で覆われていた。


そのヒトは無言だった。


マオの泣き叫ぶ声と下から聞こえる幼子の声が重なった。

浮遊感と逞しい腕に抱かれる安心感に包まれたのは終わりを迎えた。


「黒髪のお兄さん!」


「黒い馬のきしさまだ!」


「かっこいいッ…………!」


幼子が騒ぎ立てる中マオがリアにしがみついて離れなかった。


「ごめんッ…………ごめんなさい。

リア先生が『羽なしの妖精族』だからッ…………。

おれッ…………おれッ…………」


 リアが撫で続けるとマオが絞り出すように懺悔しだした。

リアを守る騎士になるためには『飛行訓練』が必要だと思ったらしい。

街の人が来るときしか鍛錬出来ないのを歯痒く思い今回の騒動を引き起こしたと。


「死んだら誰も護れんぞ」


後ろから低い唸り声のような声色が響いた。


「ごめんなさいッ…………ごめんなさいッ…………」


マオが怯えだした。

リアはマオを抱きしめながら声のした方へ深くお辞儀をした。


『どなたか存じませんが騎士様ッ…………。幼子にございます。

感謝いたします。よく言って聞かせますゆえ………。

何卒御勘弁を。ささッ…………マオもお礼を………』


「リア先生を助けてくれてありがとう………。黒いお兄さん」


『まあッ…………?違うでしょう?』


「違わんな。この男児のほうが本質をわかっている」


さっきよりも怒気を孕んだ声色が静かに響いた。

幼子が怯えだした。


「じゃじゃ馬。お前に言っている。

余りある『自己犠牲』は周りを悲しませる。

この男児がお前の命と引き換えに生き残ったらどんな人生を送るか。考えたか?」


『ッ…………………』


リアは何も言えなかった。

常に命綱くらい身につけるべきだった。

子守は命がけなのだ。

リアは『対策』を怠った。

たいていのことを熟せるからと慢心したのだ。

人員不足を理由にルールで子供達の自由を縛り『抑圧』した結果がこれだ。

子どもの身の安全さえ守れば良いわけではない。

リア自身の安全対策も怠ったのだ。



『ごめんなさいッ…………マオ。

貴方が訓練をしたがることくらい想定するべきだったわ。

至らない先生でごめんなさいッ…………』


「ちがうよッ…………先生ちがうよ。

僕が悪かったよッ…………ごめんなさいッ…………」



二人は泣きながら抱きしめあった。

いつの間にか彼はいなくなっていた。


院長に外部から誰が来たのかそれとなく探りを入れたのだけど。

高貴な貴族様が匿名でいらして寄付をおいていったらしい。

子供達が言う『黒髪の騎士』がいたかと聞くと訪問者は皆黒髪だったらしく。

一人は立派な黒い馬に乗っていた逞しい方がいたらしい。

所作から『武人』だという。


『匿名ッ…………?

お礼もしっかり伝えられなかったわ?

あぁ………どうしましょう………?もうお会いできないの?』


「リア先生?どうされたの?顔が真っ赤よ?」


リアの心臓は迫り上がり耳まで鳴り響き出した。


『わぁ………。これじゃあ夢見るお花畑の令嬢と変わらないじゃないのッ…………』


リアは火照る頬を抑えた。


その後なんとか院長を説き伏せて『代筆』という形で御礼状をしたためてもらった。


『拝啓。名も言わぬ黒馬の騎士様

    

先日は命を助けて下さったのにお礼も謝罪もできませんでした。

わたくしの今の命があるのは貴方様のお陰です。

深く感謝いたします。


匿名の支援者を主君にお持ちの貴方様には酷ではありますが是非ともお名前を教えてください。

命の恩人の名も知らず天の星に貴方様の無事を祈れない哀れな女に慈悲をくださいませんか?


貴方様のご忠告通り。我が身も大切にすると誓います。

親愛を込めて。



        孤児院のじゃじゃ馬。リア』



 その手紙をしたためた院長の気配が柔らかくなった。

気持ち視線も生暖かい。


「リア………?これではまるで恋文のようよ?」


『ふえッ…………?』


「あら………?ますます真っ赤よ?」


院長の笑い声が響いた。

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