第19話 リアという娘が孤児院教諭になるまで(Side院長)


 「寄付金以外にも。

妖精族………の教諭の補充ですか?」


「はい。妖精国に『ハニー孤児院』という福祉総合高等機関があるのはご存知でしょうか?

そこの運営に関わっていた女史を派遣させてください」


「まあ………」


「福祉先進国の一流の孤児院経営のノウハウを心得た方です。ハニー孤児院を立ち上げた貴婦人のオーナーが信頼していた方なんです。

必ずやこのコルド孤児院の助けになるはずです」


「そこまで………心を割いて下さりありがとうございます。

確かにお金があっても『即戦力』を雇うことは困難です。

そんなスペシャリストを派遣していただけるなんて………。

なんと感謝申し上げれば良いか………」



コルド地方孤児院院長アナスタシアは目の前の貴族を見上げる。さすがのアナスタシアも貴族か詐欺師がくらいはわかる。なんとも至れり尽くせりの出資者だ。

過去にここまで『孤児院経営』に長けたかゆいところに手が届く出資者がいただろうか。

偽善だろうが善意だろうがそこはどうでも良い。


『匿名の出資者』だというからリアを同席させようとした。

今やリアはこの孤児院を運営する上でなくてはならない存在になっていたのだから。

それなのに『院長のみ』と指定されたら仕方がない。

前もってリアと相談していた注意する要点を確認する。

法律の抜け穴で騙されていないか。

権利書の要求はないか。

無駄にサインを強要されないか。などを注意深くチェックする。


この『匿名の出資者』は変な契約や条件は提示してこなかった。

それらを判断できるのはリアのマニュアルのお陰である。


(最初はとんでもないお荷物を引き受けたと思ったのよね)


あの時の自分を褒めてやりたいくらいである。

寄付金目当てと少しの同情心でリアを受け入れることを決めた過去の自分にだ。




アナスタシアは自身を悪人ではないとは思っているのだけど、善人ではないとも思っている。


子供は皆無条件に幸せになる権利がある。

そう思っている。

病めるヒトも穏やかに過ごせることを願っている。

病んでも静養もままならぬまま、労働をして命を落とす平民はいつの時代も減らない。

この廃れゆく竜人国の小さなこの領地の中でさえ守るのは容易くない。

現実は慈善だけでは救えないのだ。

手の中にある命すら守れないこともある。

アナスタシアは現実的であり、理想に燃えるには年を取りすぎていた。


コルド孤児院はアナスタシアの私財で立ち上げた院だ。

今でこそ国や公爵からの補助金や寄付金で運営しているけどとっくにアナスタシアの私財は底をつき、毎日が食べるのがやっとであった。


そんな中の『哀れな障害者の妖精族令嬢の静養先』の受け入れ。


彼女は見目麗しく高貴な血筋の方であるのに頼るべき生家が没落し妖精国に帰れないという。

数ヶ月前に『人身売買被害者』として海辺で死にかけているのを漁師が見つけて公爵が保護した令嬢だ。


ただ語るエーデル公爵の話しぶりだと彼女に向ける情はただならぬものを感じたのだ。


(あの男色家で有名だった戦地の英雄の大公様を骨抜きに………?そんなに見目麗しく可憐な方なの?)


アナスタシアは妖精族は初めてであった。

その初めての妖精族との邂逅としては彼女は強烈過ぎた。


 大公に車輪がついた動く椅子に乗せられ連れられた彼女はとんでもない美少女であった。

豊かな艶めくカラスの濡れ羽のような黒髪。

虹色に輝いた翠の瞳。

意思の強さを感じる形の良い眉。

お人形なら相当な高級品と思える艶めく白肌に広いおでこ。

小顔の中にツンと品よい高い鼻。

唇など久しく食べていない甘い苺のような瑞々しさだ。



「ッ…………大公様?この方は少女ではありませんか?

貴方様ッ…………まさか………?

こんな幼い子供にそんな熱を込めた感情を?」


「え?」


大公は赤らみタジタジになる。

アナスタシアもあまりの事態に動揺した。



『ぷッ…………ふふ』


彼女は花が綻ぶように笑った。

もうそれだけでその場の空気は花開くようであった。

アナスタシアも公爵も見惚れて惚けた。


『大公様………?わたくし25は超えていますわよね?』


「………信じられないがそうらしい」


「25歳ッ…………?!」


彼女は眉を下げながら説明した。

その声は鈴を転がすようなのに凛と張りがある。

可憐なのに知的な不思議な声色だった。


(とても『病弱』には思えないわ。

このヒトの何が………?)


アナスタシアはそこではたと気付いた。

彼女の焦点が合わないのだ。

零れそうなほど神秘的なおおきな瞳はアナスタシアを捉えているのに、『真』にはアナスタシアを見ていない。


(視力が………)


アナスタシアは心底ガッカリした。

そんな心地になる自分にも嫌気が差していた。


身体が弱い令嬢なら子供達への『読み書き』や『読み聞かせ』などで孤児院に貢献してもらおうと思っていたのだ。

没落したとはいえ『令嬢』だ。

平民以上の教養はあるはずなのだ。


それなら野原に腰を下ろしても出来る。

やんちゃな男の子の相手は無理でも大人しい女の子の教養になる。

そのプランが台無しになったのだ。


完全なる『病人』の受け入れを後悔しながらも、公爵からの寄付金や侍女の受け入れの手続きを済ました。


(侍女がつくだけマシかしら。

こっちはただでさえ人手不足。

障害者に献身的に心も身体も割けないわ)


 アナスタシアは寄付金の増加で良しとした。

ただ公爵は何故この孤児院なら彼女は静養出来ると思ったのだろうか。

聞けば公爵家でずっと面倒を見てきたらしいのだ。

ただ彼女のたっての願いであると。

公爵家のほうが至れり尽くせりのはずだ。

彼女の身なりを見ても不自由さは感じなかった。


(惚れた女が靡かないからとこちらに押し付けるヒトではない。手放したくないのに彼女のために手放すような………。そんな口ぶりだった)


本当に面食らったのはここからだった。

公爵が名残惜しそうに孤児院を去り彼女に宛てがう部屋を案内した。


いつの間にか彼女は車輪がついた椅子から立ち上がり、軽快な足取りで侍女に付き添われながらも付いてきたのだ。

その頬は薔薇色で染まりさっきよりも瞳は煌めいている。

その様子を訝しむアナスタシアの視線が侍女と絡む。

彼女は呆れ顔だ。


「リア様………。露骨すぎますわ。

大公様が離れると『お加減がよくなる』なんて………。

ここに入所すると決まってから貴女様が『ウキウキ』していることは屋敷の皆がわかってますよ?

………………大公様の前では最低限演技なさるにしても。


何日かはその『ウキウキ』はお控えになったら………?」


『あら。ケイト。それは「良い影響」では?

わたくしの病は『大公様』だったのがこれで証明されたの。

彼がいなくなれば。それは快方に向かうのは必然ですわ?

凄く凄く申し訳ないし。恩知らずとは思うけど』




「………リア様?」


彼女は相変わらず焦点は合わないふんわりとした目つきだ。

それは確かに『盲者』のそれなのに。

彼女の表情はどんどん活き活きしてくる。


『やっぱり………。公爵様は説明を大してしなかったのだわ………。

ごめんなさいね?院長様。

わたくし確かに公爵邸では『起き上がるのもままならない』ほど憔悴しておりました。

でもご覧の通り『身体は元気』なんです。

わたくしの病は公爵様や侍従、侍医様や馬蹄にいたる『殿方』に触れられると症状がでますの。

ですから。ここはわたくしにとって『楽園』ですの』


「それって………?」


『男性恐怖症です。

親切にしてくれた殿方にもこの身体は拒否反応を…………。

とても公爵様のそばに厚かましくいられませんでしたの。

………。ご迷惑おかけします。

雑用、炊事。できる限り熟します。

ここにいさせてください』


彼女は令嬢らしい美しいカーテシーをした。

まるでアナスタシアが貴族のような対応だった。

久しく見ないカーテシーにアナスタシアは心が跳ねた。


(このむすめ。一流の教育を受けているわ………)


アナスタシアは面食らったのは彼女の足取りもだ。

彼女はまるで『見えている』かのように歩くのだ。

背後でハラハラ見守っている侍女の様子だと『心底心配』している。


彼女は何やら光と色は識別しているのだそうだ。

そして不可思議だけど。

その色は実際の色と異なるらしい。


その色はヒトによって、ものによって違うそうだ。

『オーラ』とも『エネルギー』とも呼ぶものが溢れる世界を見ているらしい。


(身体は元気なのね………。

なら常に介助や手助けは必要ないのね。

軽い雑用くらいならこなせるかしら?)


そこでアナスタシアは首を振る。


(令嬢よ。口ではなんとでも言えるわ。そんな子いくらでも見てきた。

何日もしたらここの過酷さに音を上げて公爵様に泣きつくかも。

あら。それが公爵様の狙いかしら………?

それならあまり『優遇』しないほうが公爵様のためになるかしら)


アナスタシアは当初案内しようとしていた整えた客室ではなく、手入れの行き届いていない部屋に案内した。

室内は伽藍堂で最低限の家具しかない。

侍女が青ざめる。


リアはその部屋に入り色んな所を触れた後振り向いた。

その笑顔があまりに歓びに赤らんでいてまた驚いた。


『急に転がり込んだ私に部屋までッ…………。

子供達と雑魚寝かと思っておりました。

私室をいただけるなんて。

『教諭』レベルね待遇。感謝しますわ?


あ。ケイト。しばらく客室で滞在させてもらって。この機会に身体を休めて?

たぶん貴女の助けはいらないとは思うのよ?』


侍女として来たケイトと呼ばれた娘は泣きそうになった。


「いけませんわッ…………。リア様。

わたくし公爵様から貴女様の手脚になるように任命されましたのに………」


『わかりますか?院長。

この過保護さがわたくしを病にしましたの。

『怠惰病』ですわ………?

わたくし。ベットから動けないほど公爵家では過保護にされてきましたの。

ね?ケイト。

二・三日わたくしの生活の様子を見て『本当に』手助けが必要か判断してくださらない?

ね?ケイト。『見守ること』を仕事だと思ってくださる?』


そう言いながらリアは次々と部屋と荷物を整えだした。

その手際の良さはとても『籠の鳥』だった令嬢とは思えなかった。


(身の回りのことは最低限出来そうね?

ゆっくり安全になら少し仕事をまかせてもいいかも。

洗い物とか………洗濯とか………)


リアの意欲的な様子に少しアナスタシアは頼もしさを感じた。

今までの花嫁修業のために来た労働も家事もできない令嬢とは何かが違いそうだ。


次の日の早朝。

リアが洗濯物を干している所に遭遇した時には面食らい。

朝食も出来上がっていることも信じられず。

更には熱々の寸胴鍋を抱えて配膳をしだしたときには腰が抜けた。


彼女は普通の令嬢ではなかった。

頼まれもしないうちから孤児院の雑事も炊事も完璧に熟したのだ。


視力が悪い彼女は確かに人の顔は覚えられず読み書きは出来なかった。

妖精国から特注の『視力補正ガラス』を得られないと細かい文字や造形はわからないままだ。


それなのに彼女は気配と光とぼんやりとした色の世界で普通に見えるほど生活してみせたのだ。


(あの後悪徳商人の粗悪な米の高額売りつけを見破ったり。

詐欺まがいの投資の話を論破して一掃したり。


極めつけはマオよ。

あの暴れん坊のマオを矯正して懐かせてしまうのだもの)



アナスタシアは一月も経たないうちにリアを『居候』ではなく仲間として認めた。

彼女の働きに見合う給金を発生させるため『教諭』として雇い直した。

リアはお荷物ではなかった。

今や孤児院にとってもアナスタシアや子供達にとってもなくてはならない家族であり、頼もしいパートナーとなったのだ。


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