第18話 『男性恐怖症』の改善

 リアは夜中の散歩が好きであった。

公爵の屋敷にお世話になっていたころも庭園をこっそり歩き回ったものだ。


夜こそ朝日の『光り』はないのだけどリアの目には『命の息遣い』がくっきり見えるのだ。

土も、花も、木々も。それらは呼吸し独自の光を放っていた。

確かにリアは『視力』は悪いのだけど。

この『命の息遣い』と言える『オ―ラ』の世界を見ながら過ごしていた。

リアが障害物に困らず日常生活を送れている理由である。


ただそれは『ヒト』が混ざると精細さは欠く。

ヒトのオ―ラは気配は不思議なほどそのヒトの『感情』に左右される。


また生命エネルギーなのか魔力なのか。

感情とは違うオ―ラを纏っているヒトはなかなかその『感情』を伺いづらい。

だから『見すぎる』と疲れてしまうのだ。


行動派のリアがあまり街には繰り出さないのはそのためだ。

人混みは目眩がする。

これも自立や旅への『障壁』であった。

そんなことをいちいち周りには言わないのだけど『彼』には察しられている気がする。

リアと彼が街に出ると彼の気遣わしげな視線を感じるのだ。


リアは鼻歌まじりに音色を舌にのせた。



『Una furtiva lagrima

negli occhi suoi spuntò

Quelle festose giovani

invidiar sembrò.



一粒のひそかな涙が

彼女の目に現れた

あの陽気な若い人たち(村娘たち)を

彼女は羨んでいるようだった』



 リアは歌いながらスバルが作った家庭菜園の野菜をそっと撫でた。

彼がイマイチ生育が悪いと溢していたのだ。

彼なりに『塩害』の有無や『肥料』、『温度管理』などをきめ細かく行っているらしいのだ。

彼は手先が器用な妖精族らしい青年なのだ。

話を聞くと『薬学』『工学』にも精通していて、驚くべきことに『手芸』に長けているらしい。

彼が孤児院に訪れる貴婦人や乙女に『繕い物』の指南をしていると聞いた時には二度聞きをした。


そんな器用でマメなスバルがお手上げになるのだ。

この地はなかなか農産物が花が育ち辛い土地らしい。

果樹や花が少ないとシンシアも少し辟易していた。

妖精族は花々や果物が大好きなのである。果物など主食と言ってもいい。

それらがすくない竜人国は作物の育ちが『貧しい』土地らしいのだ。



『Che più cercando io vo?

Che più cercando io vo?

M'ama! Sì, m'ama, lo vedo. Lo vedo.



私はこれ以上何を求めようとしようか

私はこれ以上何を求めようとしようか

彼女は私を愛している!そう、愛している。

私はそれがわかる。それがわかる』



 フローリアは歌と踊りの名人だったらしい。

シンシアにも『昔のように最近は歌わないの?』と言われてドキリとした。

それらは深夜のリアの密かな楽しみだったから。

またまたフローリアと今のリアの『好きなこと』が合致することに拒否反応があった。


でも妖精族の女は皆が歌と舞を嗜むらしいからなんら後ろ暗いことはないのだ。

それでもリアは人前でそれらを披露するのは気恥ずかしかった。

 歌はともかく舞は『視力の悪い』リアには自身の舞いを確認しようがない。

だけどリアの身体は『歌』も『舞』も好きらしい。

気付くと鼻歌を歌い脚は皮剥きをしながらでもリズムを刻む。我慢も身体には良くないなと諦めた。

だから誰もいない庭園や家庭菜園でこっそり舞い歌った。

なんでも妖精族の舞は『森羅万象』の神様や精霊に『豊穣を願う』歌と舞いらしいのだ。


花や木々や果樹木にリアの『治癒魔術』が効くかはわからないのだけど。

『おまじない』程度にならないか祈るように歌って舞っていた。


『Un solo istante i palpiti

del suo bel cor sentir!

I miei sospir, confondere

per poco a' suoi sospir!



一瞬でも

彼女の美しい心の高鳴りを 感じれたら

私のため息が、混ざり合ったら

少しの間 彼女のため息に』



 リアは畑の際を舞いながら野菜や花々を撫でる。

本来は羽で飛行しながら行う舞いらしいのだけど、リアはそこは飛び跳ねるように跳躍する。

夜風が肌に気持ち良い。

心なしか花々や木々の光と息吹がリアに語らいでいるようだ。リアが舞うと揺らめいて見えた。

赤や青、緑や白の光が揺らめいていた。

光の粒がリアに纏わりつくように見えた。


『I palpiti, i palpiti sentir,

confondere i miei coi suoi sospir...

Cielo! Si può morir!

Di più non chiedo, non chiedo.

Ah, cielo! Si può! Si, può morir!

Di più non chiedo, non chiedo.

Si può morire! Si può morir d'amor.



高鳴りを、高鳴りを感じられたら

彼女のため息と共に私のを混じり合えたら

ああ!そう、私は死んでもかまわない。

私はこれ以上求めない、求めない』



リアは纏っていた羽織りを羽の代わりにはためかせた。

舞いながら回転しながら息を吐いた。

動きを止めてまた息を吸って吐いた。


頬が熱い。

久しぶりに身体が熱くなるほど高揚した。

それはたぶんさっきから感じる視線のせいだろう。


『ルードリヒ………様………?』


リアが囁くと背後から音もなく彼は近づいてきた。


「あまりに美しいから邪魔したくなかったんだ。

でも………。立ち去れもできず」


『盗み見………みたいになったと?』


「ッ…………すまない」


ルードリヒの声色が『恥』なのか『照れ』なのかなんとも聞いたことのない色を孕んでいた。


『私の庭ではないのだから。………見るのは自由だわ。

ただ深夜に舞う心情を察してくれて………。見て見ぬふりしてくださるとありがたかったわ?』


リアは肩をすくめながら笑った。


「なぜ?」


『へ?』


「なぜ………『隠れるように』舞う?」


『え………と………?』


リアが今度は『照れくさく』なる。

この目の前の男は愚直で無愛想で実直だ。

この孤児院で同僚として過ごしてから彼の口下手さやぶっきらぼうさに慣れてきていた。


ただ彼は『察する』ことも不得手らしい。

表情は見えないのだけどたぶん『心底不思議です』といった表情なのだろう。


「ん………と。私は自分の姿を鏡や水面に映して確認できないじゃない?

滑稽か………どうかも確認出来ない舞を………人前には晒したくない………?心地です」


皆まで言わせないで欲しい。

深夜に歌いながら舞っているのだ。『見られたくない』に決まっている。

しばらく沈黙が続いた。

返答に困るなら聞かないで欲しかった。

リアは何とも言えない羞恥にまみれながらそっぽをむいた。

すこし思考を飛ばしていて彼のつぶやきが頭に入らなかった。


「美しい」


『………………………ん?なに?』


「『俺は』美しい歌に舞だと思う」


『………ん?』


リアは身体をビクつかせた。

心臓の音が耳までせり上がった。

口をパクパクさせた後彼に背を向けた。


「それだけ美しい歌も舞も踊れるのだ。

………………………元気そうだな」


『おかげ………さまで?』


リアは戸惑った。

こんなにもルードリヒと二人で話したことはあっただろうか。

それにルードリヒの眼差しがいつもの射るような武装したものではない。

もしかしたら今のルードリヒは『素』なのだろうか。

なんともこそばゆい温かい眼差しだった。

慣れない視線に居たたまれなくなった。


『お世辞がお上手ッ…………!その調子で町娘にも優しく………』


「俺が「嘘」や「お世辞」が不得手なのは敏い君にはわかっているはずだ。

信じられないなら毎日言うが?」


『ふえ………?』


背後で甘くスパイシーな薫りがした。

ルードリヒがリアの近くまで近づいたのだ。


「首が真っ赤だ」


『へ?ふえ………?やだッ…………』


リアは首をそっと隠した。


すると優しくふんわりした温かさにリアは包まれた。

しばし頭がついてこなかった。

『ひゃ………』と声が漏れたのだけど、ルードリヒの心臓の音がリアの心臓と重なるように感じた。


「ッ…………リア嬢…………」


『わッ…………わッ…………?どう………されたの?』


「ッ…………君が生きているのを確認したい。君の温もりを。

あの………土山を見た時の俺の気持ちこそ察してくれ。

君も大概鈍くて難儀する」


ルードリヒの声色が悲しそうでリアはたじろいでしまう。


(私が死んだりなんかしたら彼は『任務失敗』なんだわ?

わあ………。相当心臓に悪かったのね?)


リアは気の毒になった。

彼の主君のルドルフは戦地では『冷血伯爵』と言われているらしいのだ。相当恐ろしい上司なのだろう。

もしかしたら『お叱り』があったのかもしれない。


『生きてますッ……。ほら。幽霊じゃないし。脚もありますしッ…………。

わッ…………。大丈夫ですよ。あの………?

心配させました。ごめんなさい………。

貴方の護衛の範囲外だわ?あれらは………天災だわ?お気に病まないで?』


「いや。元は俺が招いたことだ。すまなかった………」



ルードリヒの腕は逞しくリアの身体などすっぽり包みこんでしまう。


「リアは温かいな………?子供体温か?」

 

ルードリヒの体温のほうが熱い。

リアの頬が頭が茹で上がるような錯覚でクラクラした。

彼はため息を付きながら鼻をリアの髪に擦り付けるような仕草をする。大きな犬を相手にしているようだ。



「ッ…………抵抗してくれないか?」


『てい………こう………?』


リアは身動ごうとしたのだけどますますルードリヒが掻き抱くから心臓が跳ねてしまった。


(あれ………?嫌悪も震えも冷や汗もない。

え………?嫌じゃないなら………どう抵抗したらいいの)


『いや………じゃない?なんて。

あれ………?そう言われれば貴方に抱きかかえられる時は震えたこと………ないわ?』


木から落ちたときに助けられた時も、キャサリン捜索の時に抱えられたときも。

リアの身体は何も反応を示さなかった。

ルードリヒも驚いているらしい。息を飲む音も首に当たるから戦慄いた。

気付いたらリアの身体は興奮でますます戦慄いた。


『わッ…………?大変?

ルードリヒ様ッ…………?私『男性恐怖症』治ったの?!

わあッ…………?すごい?!うふふッ…………すごい!?』


リアは感動して振り返りルードリヒを抱きしめ返した。

彼はよろけて地面に尻もちをつく。たぶんルードリヒは面食らっているのだろう。

それでもリアの笑いは止まらない。


『わッ…………?死にかけたショックで治ったのかしら?

これで少しは『自立』への第一歩になったわ………?

わあッ…………気づかせてくれて感謝しますわ?ルードリヒ様?ご機嫌よう………!

シンシアちゃんに伝えなくては!』


呻くルードリヒを置いてリアは寝室まで駆けた。

背後でルードリヒが何やら言っていたがリアには聞こえなかった。



 ルードリヒは真っ暗な家庭菜園の傍らの土の上でしばらく座っていた。

さっきまでリアを抱きしめた温もりを噛み締めていた。

ふと家庭菜園の柵に絡まる黒いリボンを見つけた。

よくリアが髪を止めているリボンだった。

そのリボンをそっとつかみルードリヒは口づけた。

リアの甘い薫りがした気がした。



「リア………」


(大事にしたいのに。あまりに無防備だから抱きしめてしまった。

罪な人だ。公爵のように殴り飛ばしてくれたなら少しは諦めがつくのに)


ルードリヒは長過ぎる黒い前髪をかきあげた。

彼の赤い瞳が暗闇の中で光った。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■


 「リアッ…………。男性恐怖症が治ったというのは本当かい?!」


エ―デル公爵の声が高らかに孤児院に響いたからリアは青ざめた。

このヒトはだれか孤児院にスパイがいるらしい。

暇なのか昼下がりのお茶の時間もまだなのに急に訪問してきた。

リアの目の前にはたった今リアが腕をねじ上げ地面に転がしたスバルが悲しそうに横たわっていた。


「ひどいですよ………。

家庭菜園の野菜が、花がいつもより元気だから。

嬉しくなって手を掴んで小躍りしただけじゃないですかッ…………?!」


そうなのだ。

リアは今無邪気にリアと歓びを分かち合いたかったのであろう同僚の手を振り払い、おまけに投げ飛ばした所だった。

まだ掴まれた手は鳥肌がたっている。


『ごめんなさい………。あれ………?

スバル様は『危険な薫り』がするから『生理的に無理』なのかしら………?あれ………?おかしいな………?』


「リアちゃん………。何にもフォローになってないよ?

そういえばなんで男性恐怖症が治ったと思ったの?」


シンシアがべそをかくスバルを撫でながら紡いだ言葉はリアの身体を跳ねさせた。


『え………?』


リアはぼんやりしている間に指先に公爵の啄みを許していたけど、少しゾワゾワして手を引っ込めた。

公爵は早速『ハグ』をご所望だったのだけどリアの顔色が悪いのはわかるようで、渋々離れてくれた。


リアの脳裏には昨夜のルードリヒの抱擁の様子が駆け巡った。

彼の甘い薫り。

彼の熱い息遣い。

女よりも筋肉質な逞しい腕と鍛えられた胸筋が背中に感じた。

途端に頬が熱くなった。


『背後………だから?

公爵様ッ…………背後から優しくお願いできます?』


「ッ…………心得た」


公爵のふんわり上品な香水の香りに包まれた。

先月まで彼に抱きかかえられて平気だったことが嘘のようである。


戦慄く身体をなんとか掻き抱きながらリアはそっとしゃがんだ。

公爵の腕は宙を切った。

二・三秒ほどの抱擁だったがリアは冷や汗と戦慄きが止まらなかった。


「綺麗に避けたね?」


「抱きしめられてあんなに綺麗に避けられるのね?」


『護身術の一種で………下に避けると、がら空きになるの………。』


リアの動きが素晴らしかったのか子供達まで抱きしめられたらしゃがむを真似しだしてしまった。



「………………護身術の鍛錬か?」


『ひゃッ……。ルードリヒ様?!お帰りなさい………』


背後でルードリヒの声がしてリアは益々飛び上がった。

街からの買い出しから帰ったらしい。院長の気配もするから彼女の荷物を運んでいたのだろう。

シンシアの視線が生温かくて痛い。

リアの頬は赤いのだろう。あつい頬を抑えながらリアは足早に子供達を集めて遊びだした。


(子供なら男のこも大丈夫なんだけど………?)


男の子代表のマオが笑いながらリアに飛びついてくるから思いっきり抱きしめた。

子供達との抱きしめ大会になった。


(男性恐怖症、治らなくても良くないかしら?

旅をするにもいちいち殿方と踊ったりするわけじゃないじゃない。貴族の挨拶だと指先のキスがあるけど。

庶民のほうが皆女の身体に簡単には触らないわ?

確かに。護身術を極めるのはありだわ。要するに身を守れればいいのよね?

身体の硬直とか、戦慄きが少なくなれば危険なら逃げればいいんだもの)


リアは一人納得した。


「あッ…………リアお姉様〜!おじゃましまーす。

お仕事教えてくださいまし〜!」


孤児院の入口からキャサリンの大きな声がした。

怪我はすっかり良くなり元気に手伝いに来てくれるようになった。

足音や声から察するに今日も元気な乙女達が手伝いに来てくれたらしい。


『皆様!いらっしゃい!』


リアは満面の笑みで出迎えた。


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