第5話 離縁を要求します。

 「皆様、待たせたね?」


応接間の扉を侍従が開いた瞬間リアの肌に視線を感じた。その射抜くような視線があまりに熱くて。

リアは困り果てた。


(あら………?おかしいわね。

私の姿を一目見て『空気が凍てつく』ことを想定していたのだけど………?)


あいも変わらず遠くにいるドラキュ―ル一族の者も伯爵で夫あるルドルフのことも見えない。


(ふむ………。公爵が『ご機嫌』なのだから。

顔が強張るくらいのいい反応だとよいのだけど………?)


リアはいつもより多めに公爵の首元にしがみついた。

侍女達から伝授された『こてんと小首を傾げ公爵をウットリ見上げる』を実践してみた。

室内は息を呑む音以外無言である。

もう少し『舌打ち』や『落胆』の声を聞きながら『妖艶に』微笑みたかったのだけど。

反応も表情もわからずリアは途方に暮れた。

公爵の『機嫌の良さ』が頼りである。


口火を開いたのは若い男の声であった。

(公爵の説明だと城主代理補佐のフランケル様ね。

確か国王の政務補佐もされている文官だったかしら)


先日は口火を切ったのはドラキュ―ル伯爵ルドルフであったが本日は息遣いもわからない。



「先日の早急な訪問は失礼致しました。レディー………リア。

エ―デル公爵。

再三の訪問の嘆願を受けていただき感謝します。

公爵から『大人の話し合いがしたい』と伺ったのですが。

この「状況」を説明いただけますか?公爵?」


「状況とは?」


「その………。えっ………と?」


フランケルは気まずそうに口を濁した。


その様子が愉快なのだろう。クスクス笑う公爵がリアの耳を突然啄んだから震えた。

リアはこの「会談」が始まってからパニックであった。

ずっと感じるのだ。『焦れた熱い視線』が。

それに公爵が台本にないことをしていることもパニックの一因であった。


(な………なんでソファ―に座っても抱えていますの?

隣に座って私がしなだれかかる予定なのに。

こんなに密着しながら話しますの?

あれ?こんな体勢で………?このまま?いつまで?)


リアは今逞しいエ―デル公爵の膝に横抱きにされている。

腰を腕で支えられ顕になった腿に手を添えられている。

擦られるたびに「ひッ…………」とか「ひゃ………」とか声を出してしまう。

小声で降ろしてほしいと伝えても「情婦なんだろ?まだ密着が足らない」とクスクス笑われてしまうしまつである。


(あれ?公爵は味方だよね?

なんでこんなにも戸惑ってしまうのかしら?

うわあ………。ぞわぞわするぅ………………)


リアは公爵をウットリ見上げたいのに頬が引き攣った。

背後で吹き出す音がした。

滑稽なのだろう。

羞恥で頬が熱くなったのを隠すように公爵にしがみついた。


「見ての通りなんだ」


公爵がご機嫌な声で紡ぎ出した言葉を皮切りに、リアも首を縦に振りながら肯定した。


『わたくしッ…………公爵とすでに『ただならぬ関係』ですの。端的に言うと『情婦』ですわ?』


肩と腿に胸に焼き付くような視線を感じた。

おかしい。このあたりで罵倒とともに退出してくれないものか?第1プランが崩れ落ちた。


「………公爵が愛しているのか?」


『違いますわ』

「そうみたい」


公爵と声が重なった。

吹き出す声が腹を抱えて笑い出した。

呆れのため息も聞こえる。


(ん?想定していた流れと違いますわ?)


リアは台本にない公爵の行動にあせあせした。

そのあいだも公爵の手はリアの腰を撫で耳元を啄む。

『ひッ…………』とまた声が漏れて身体が跳ねた。

そのたびにクスクス笑う公爵の腹をつねる。


「わたくし。じゃじゃ馬ですの。

殿方の思うままにはなりたくないし致しませんわ。

それは公爵も含めです。

わたくし今。彼を利用してますの。『悪女』ですわ!」


息を呑む音がする。

先日よりドラキュ―ル伯爵ルドルフが静かである。

なんとも気味が悪い。

音と雰囲気しか判断材料がないリアに『話さない』ヒトは脅威であった。


(なんなの………?

この間の印象だと。すぐ激昂するタイプかと思いましたのに。反応が分からなすぎて困るわ)


「僕は本気だ。

リアが弱っている所に不誠実だとは思うけど。

彼女はご覧の通り僕に身を委ねてくれている。

諦めてくれるね?ルドルフ」


リアはやっと台本通りに言葉を紡ぎ出した公爵の首元にしがみついた。

公爵は嬉しそうにリアのおでこを啄む。

リアは限界だった。

冷や汗と鳥肌が止まらないのだ。


(あら………?妖精族は「奔放」なはずなのに。

こんなお遊びのような素肌の接触が気持ち悪いなんて?

何回もシミレーションしたのに。

あぁ………。早く終わらないかしら………。)


戦慄きそうな身体を叱咤する。

祈るようにルドルフの返答を待つ。

早く罵倒なりして退出してくれないものか。


「リア嬢。公爵を愛しているのか?」


その言葉は噛みしめるように苦々しかった。


『しつこいですわ?違うと申しました。

わたくしは『貞淑さ』も『慎ましさ』も『貴族の夫への義務』もありませんの。

この方に縛られるつもりもないの。

公爵夫人も伯爵夫人もまっぴらですわ………。


記憶のないわたくしは『なにものでもない』リアなのだから。貴方様に尽くすことも義務を生じないわ。

なので』


リアはルドルフがいるであろうあたりの位置を見つめた。


『わたくしを自由にしてください。

離縁を要求します。


それか………。フローリアは死んだと諦めてくださいませ。

貴方様の従順な『フローリア』に戻る気はございませんの。

過去も義務も放棄します。

財産もいりません。


………………身内の証明のために脚を運んでくださったことは感謝します。お帰り下さい』


ルドルフの呻くような声が聞こえた。

しばらく沈黙が続いた。

リアがイライラしてきた頃にやっとルドルフが口を開いた。


「リア嬢は特定の男はいないのだな」


『ッ…………?それがなにか?』


「なら1から『口説き直す』だけだ」


『は………?』


リアは戸惑った。

さっきからこんなにも彼等の望む『ドラキュ―ル夫人』ではないと言っているのに。


(あれ。これ公爵を『愛している』といったほうが得策だった?)


でもリアはわかっていた。

エ―デル公爵はちゃらんぽらんなようで賢く強かなヒトだ。

この婚家のヒト達の前で『虚偽』とはいっても『愛』など語ろうものなら外堀は固まる。

しかも今のリアは逃げられない。

物理的に視力の悪い女がどう生きていくのだ。


リアは打算的な女だった。

頭の中は常にぐるぐる動いている。

常に自分の一挙手一投足がどういった結果を生むのかは常に考えている。

浅はかなことは滅多にしない。


それなのに。


(あぁ………。もう限界だわ………)


リアは身体が震えだした。




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