第7話 わたくしのわがままを聞いては下さいませんか?
〝月夜に照らされた彼は、まるで王子様のように洗練されていた。
さっきまで男とリアの駆け引きに沸き立っていたギャラリーも、二人のワルツに見惚れている。
すっかり主役を奪われた形になった男は、王冠を被った初老の男に引きずられるように王座の席まで引きずられていった。
その男は高貴なヒトだったらしい。
その男がいなくなった後は彼とリアの独壇場であった。
彼にはリアしか見えず。
リアには彼しか見えなかった。
さっきまでの主導権を握らせまいとヒラリと躱す激しいステップを踏んでいたリアの脚は、彼の力強いリードには大人しく付き従うようにステップを刻んだ。
「じゃじゃ馬な妻だ。
私が来るまで大人しくと。記したはずだが?」
彼の咎めるような称賛するような掠れる吐息混じりの囁きに、リアの身体が跳ねた。
彼の力強い手の平が腰を引き寄せ、リアの小さな手も握り込むようである。
そこに『所有欲』が滲むようでリアはすっかり惚けてしまった。
「愛しの旦那様………帰還をお待ちしておりましたわ」
彼を見上げながら絞り出すように呟いた言葉。
その言葉に彼は歯を見せて笑った。
幼き日に見たあの『いたずらっ子』のような笑み。
ただその瞳は見たことのないほどの『熱』をジリジリと含ませていた。
途端彼は立派な羽を出してリアを抱えながら空中でステップを踏んだ。
どんどん高度も上がり、羽が出せないリアは彼に縋るしか出来ない。
彼の力強い腕は信じているのだけど咄嗟の恐怖に抗えず首に手を回して目を瞑ってしまった。
耳元で彼がクツクツ笑う声がする。
甘く掠れた低い声。
幼い日に聞いた声。
リアが恋い焦がれた声であった。
「あぁ。愛しの我が妻よ。
気高くいたのに今は可憐だ。
君が死守した『ファーストダンス』を貰えて嬉しい。遅くなりすまない………」
彼の唇がリアの耳を掠るようでどんどん心臓が高鳴る。
今は観衆は聞こえないはずなのに、彼が『愛する妻』と呼ぶことに歓喜あまり泣きそうになって彼の首に縋り付いた。
密着した彼の鼓動も同じリズムなことに安堵するのか高揚するのか、わからなくなった。
そんな二人を観衆も月も見守るようであった〟
彼はドラキュ―ル伯爵ルドルフだった。
紅い燃えるような髪。
ルビーに煌めく瞳。
勇ましい頬の傷。
逞しい身体は黒い詰め襟礼服に包まれていて、数々の金色に輝く勲章が煌めいていた。
どこかの高貴な方々が集う晩餐会だろうか。
そこでリアは彼の『帰還』と『再会』を待ちわびえていた。
切なく幸福な一時だった。
でも『何故か』他人事のようだ。
これは本当にリアなのだろうか。
実感はないのに情景だけは生々しい。
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『ルー………ル―………。
うぅッ…………。会いたいの。助けて下さい。
ルーに会いたいの………助けて下さい。
死にたくないッ…………ル―』
「リア様………?」
「リア様?お気を確かにッ…………」
「侍医をッ…………公爵様ッ…………」
「リア様?リア様ッ…………」
リアは目覚めた。
頬が目尻が耳や髪まで濡れている。
リアを囲み屋敷中のものが困惑と心配の声を発している。
リア自身戸惑っていた。
夢の内容も。
さっき発した自身の言葉も覚えていたのだ。
記憶なのだろうか。
ルドルフに口づけられてから毎晩のように見るようになりうなされた。
それらを悪夢と呼べたなら楽だった。
リアはこの夢があまりに幸せで毎日待ち望むように眠りにつくのだ。
『わッ…………皆様?
ごめんなさいッ…………ごめんなさいッ…………。
またご迷惑をッ…………ごめんなさい』
「何をおっしゃいますの!」
「迷惑などありませんわッ…………」
「リア様ッ………こんなにもお泣きになって」
侍女達の泣きそうな声が聞こえた。
その後直ぐにエ―デル公爵と屋敷の侍医がリアの容態を調べる。
それをリアは受け入れながらハラハラ泣きながら、青ざめて震えた。
侍医は勿論男であった。
女の医者はこの国にはいないらしい。
リアの『男性恐怖症』に対応出来る医者は存在しなかった。
「リア………すまない」
『公爵様………いえ。貴方様なりの考えがありましたもの。
これは『私の弱さ』ですわ。公爵様の責任ではありませんわ』
「リア………。
過去の君の逞しさに過信したんだ。あわよくば君をものにしたかった僕の下心のせいだ」
『好いた相手に『欲』を持つのはしかたありませんわ』
リアの『男性恐怖症』は悪化していた。
先日のドラキュ―ル伯爵一家訪問以来、今まで大丈夫だった侍従や侍医、エ―デル公爵との日常生活の些細な接触ですらリアの身体は拒否しだしたのだ。
(そろそろ本当に障害者めいてしまったわ)
視力も悪くヒトに縋らないと生きられない。
見目だけは麗しいらしいリアはヒトの同情を買うことに長けているらしい。
ただこの『返せもしない恩』が積み重なる生活はリアの心を蝕みつつあった。
(公爵様の好意を利用してまで浅はかに貪欲に生きている私に『自由』を望む資格などあるのだろうか)
『公爵様………?
わたくしのわがままを聞いては下さいませんか?』
小首を傾げながらリアが呟くと公爵がリアのベットサイドに跪いたらしい。
「ッ…………リア。なんでも言ってくれ。何でも叶えるから。
君がいつわがままを言ったんだ?
いつも皆を気遣ってばかりだ。
いつも申し訳なさそうにする。
視力が悪いなりに屋敷のものの『困り事』を聞いてまわり解決してくれている。
君の的確なアドバイスで仕事が捗ったと皆が言っている。
もう君はこの屋敷の家族の一員だ。
君の言葉に微笑みに皆が癒やされている。
君は役立たずなどではない。
この屋敷にいるだけでいいんだッ…………。
僕の隣にいるだけでいいんだ。いてくれるだけでいい」
『良かった。叶えてくださるのね?』
公爵はリアの手を優しく包もうと試みているのを感じる。だけど手袋越しの彼の手すら震えるリアを悲しそうに見下ろしているのをかんじた。
見えない距離にいても機微がわかるくらい公爵と過ごしたはずなのに。
リアの心と裏腹に身体は震える。
その様も見て公爵が傷つくのを感じることも苦痛であった。
彼が下心を滲ますにしてもだ。
公爵の立場を利用して無理やり手籠めにするなど造作もないのだ。
それらをままごとのような啄みだけで留めてくれている。そのことは充分に誠実で紳士的だったのに。
そんな公爵ですら駄目なのだから絶望的だ。
『正に『魔性の女』ですわ………?
貴方様の愛に応えられないのに図々しく居座る女。
これが幼子なら………。子供は無条件に『幸せになる権利』がありますわ?
でもわたくしは大人よ?働きもせず、『恋人』も『奥方』にもならないのに。
貴方様の好意を利用している。正しく悪女の所業よ。
身体すら………。貴方様のために開けないのに過分です。
妖精族は奔放なはずなのに………。
『愛玩』すら果たせないなんて。欠陥品ですわ?
わたくし。ここを出ようと思いますの』
「リア………?君は愛玩などではないよ。
すまない………。僕が至らないせいだ。お願いだ。出て行かないでくれ」
『いえ。貴方様の優しさに甘えましたの。
来るべきときが来ただけですわ?
大丈夫。わたくし『逞しい』らしいですわ?
わがまま。叶えてくださいますよね?』
公爵の悲しそうな呻き声が響いた。
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