わたくしッ離縁しますわッ〜記憶もないうちに既婚者で見知らぬヒトに惚れ込まれても困ります〜

ユメミ

第1話 記憶もないのに既婚者とかご勘弁を


 「フローリアッ…………。

やはり生きていたッ…………リア………リア………」


リアは硬直して固まった。

突然赤い『だれか』に抱き上げられ顔中を啄まれたのだ。

甘いスパイシーな薫りがする。

ただわかるのはこの『だれか』がこの屋敷のヒトではないこと。


リアは硬直したまま気配を探す。

背後にいつもの匂いを感じてなんとか声を絞り出した。


『エーデル公爵様………?』


「うん。ルドルフ。駄目だ。彼女を降ろして」


背後にいるこの屋敷の主エーデル公爵はリアの問いかけには応えず誰かに命令している。


「ッ…………何を言うッ…………?

お前の指図は受けないぞッ…………?!

リアッ…………無事だった………。探した………探したんだ」


リアを抱きしめる紅い「だれか」が悲痛な声を出す。

声色でわかる。

この「だれか」は泣いている。

声色から『男の方』だと言うのはわかる。


急に抱き上げられ困惑しか無いがリアはこの「だれか」を気の毒に思った。

そっと彼の背を撫でたらますます掻き抱かれた。


『もし………?

どなかか存じませんが離して下さいませんか?』


リアを抱きしめる「だれか」の息を呑む音が聞こえた。

耳を澄ますとこの部屋に入室したヒトは複数いたらしい。

部屋が何やら「困惑」に揺らめいているのを感じた。

それでもまだ離してもらえない状況にリアはますます身体を固まらせた。


『エーデル公爵様………?』


「ごめんよ。リア。彼は感動のあまり早急だったね?

ルドルフ。

『彼女の望み』だよ?離してくれるよね?」


ビクリと固まった「だれか」は少し腕の力を緩めてくれた。

そこからそっと身を離してリアは背後のエーデル公爵に縋り付いた。

また息を呑む音がする。

何が何やらわからない。


ぼやける目を顰めながらもリアを支えた公爵を見上げた。

彼の髪の赤を頼りにリアはその頬を撫でた。


『公爵様?』


「すまない。

彼に会えば『思い出す』と思ったんだ。でも………」


エーデル公爵の苦笑いの声を聞きながらリアは呆れた。

何も聞かされず『応接間に会わせたいヒト』がいるんだと言われたらこれだ。


『びっくりしますわ?説明を。公爵様?』


「ごめんごめん………」


「フローリア?リア………?」


また悲痛な声が後ろからした。

話を中断されてイライラするのだけど声があまりにも悲しみを湛えていて気の毒に思う。

こんなにも相手が困惑しているのはこの『ちゃらんぽらんな』公爵にあるのだろうと思い至ったリアは頬を膨らませた。


『公爵様?わたくしの『状況』を話していらっしゃらないの?

あの方は「困惑」して「悲しんで」らっしゃるわ?

いつも『要点』を『簡潔』にと言ってますでしょう?』


「うん。手紙を出したのは昨日で。

まさかこんなにも早く訪れるとは思わなかったんだよ」


『まぁ………?』


リアは声がしたほうに振り返る。

紅い「だれか」のあたりを見つめて小首を傾げた。



『公爵様が説明不足で申し訳ありません。

えッ…………と?

わたくしの知り合いのかた?

『フローリア』とは?

わたくし………『リア』としか覚えていませんの。

記憶があいまい………でして。


あと………』


焦点が合わず難儀する。

キョロキョロしながら途方に暮れた。


『視力が悪く………。

この場にいらっしゃる方の容姿も良く見えませんの』


「お姉さまッ…………?」


悲鳴が聞こえた。

その声は少し甲高い声だった。

少女がいるらしい。

その少女も泣いているらしい。

すすり泣く音が聞こえた。


「リアは海難事故の影響なのか『視力』を著しく悪くしていてね?

今、目を治療しているんだ。

妖精族では『眼鏡』なる視力を補う道具があるんだけど、なかなか職人が来れなくてね?」


「フローリア?髪色まで変わるほどの恐怖に加え視力まで?加えて記憶を………?」


今度は威厳のある『初老』と思われる声が響いた。

声色は震えている。

その震えは「困惑」と「心配」を混ぜ合わせたようであった。


「フローリア………さん?僕だ。フランケルだ。

僕の声もわからない………?」


今度は少し若い男性の声だ。

この男性の声も「悲痛」である。


『エーデル公爵?説明を』


リアはイライラした。

背伸びしてエーデル公爵の頬のあたりをポンポン叩いた。

息を呑む音がする。


「リア?

僕も半信半疑だったんだよ。

でも『身内』の彼等が一目見て君を『フローリア』と呼ぶのだから。

君は確かに僕の記憶の中の『フローリア』に間違いないと思う」


だからさっきから説明になっていない。

リアはため息を吐きながらもそっぽをむいた。


それに初耳だ。

彼の口調だと彼は記憶があった時のリアと知り合いだったらしい。


(なるほど。

知り合いの疑念があったから修道院に送りもしないで手元に置き続けていたのね)


リアは今まで全幅の信頼を寄せていた公爵に裏切られた心地がしたがそれを振り払った。

ちゃらんぽらんに見えて彼は公爵だ。

この竜人族の王族の次に貴い位の方。

こんな小娘をただの情で保護するなどありえないことだ。


(リア。駄目よ。

気を確かに。私だって公爵を利用しているのだから。

殿方の好意があるうちに早く回復して、とんずらしようと思っていたじゃない………)


公爵が彼等を『身内』と呼ぶのだから「見つかった」のだ。

その事実は喜ばしかった。

ここに保護されて早三ヶ月ほど経つ。

海辺に倒れていた瀕死のリアが「記憶がない」とわかってから公爵は、己の職務のあらゆる人脈を駆使してリアの身元を証明しようとした。


リアは妖精族らしい。

リアを治療した医師が言うならそうなのだろう。


白い肌。

華奢な、か弱い身体。

尖った耳。

背中に羽骨があり際には羽管がある。

それらの特徴は正しく妖精族であった。

この『竜人国』には珍しい種族である。


 リアは当初自分が『人身売買』から逃げ出したのではないかと思っていたのだ。

妖精族はか弱く従順で見目麗しく竜人族の変態から『愛玩』されているらしいのだ。


竜人族が建国した『竜人国』と妖精族が建国した『妖精国』は近年まで『敵対国』であった。

なんでも1000年もの長い間血で血を洗い領地を富を資源を奪い合う険悪さであった。

それを近年『和平』を国王同士が結んだのだ。


それらは喜ばしかった。

文化もヒトも商売も行き来しだした。

ただそこに『闇』が産まれたのだ。


『妖精族女の人身売買』が蔓延ったのである。


最近妖精族側の警備局や国軍に摘発された組織の〝被害者〟はまだまだ竜人国の各地にいるらしい。

リアを保護したエーデル公爵もそれらを疑い、警備局に妖精族での『捜索願』がないかと尽力してくださったのだ。

それらは徒労で終わった。

リアは妖精族にしては風貌が珍しかったのだ。

黒髪であったから。


妖精族は多種多様の髪色を持つ。

一番多いのが金髪。

その他は淡い色合いの髪色が多く。

黒や赤のような『どぎつい色彩』の頭髪は珍しいのだという。


珍しかったからすぐ知り合いが現れると思ったのだ。

それらは打ち砕かれリアが次に考えたのは『孤児院出身者』だということ。

平民よりも『拐かしやすい』のだから。


それらはエーデル公爵に否定されてしまったのだ。

何故ならリアの言動も所作も『一流の教育』の片鱗が見て取れるからと。


そんなリアの知り合いが現れたのだ。

それはリアの『自立』への足掛かりとなるのだ。

肉親からの援助や支援ならここまで罪悪感を感じることはない。

自立して公爵への恩を返せる道を模索していたのだから渡りに船だ。


『遠路はるばるこの方達は妖精国からいらしたのですか?

父上?母上?

声色からは………兄上か………妹もいるのかしら?

家族皆で?来てくださったの………?』


「いや………?

うん。父………兄?妹は正しいのだけど………」


『公爵様………?』


エ―デル公爵様の歯切れが悪い。

今度は背後の気配に困惑から怒りを感じた。


「フレディッ…………いい加減にしろ。

馴れ馴れしく触れるのすら許しがたいのに。


記憶喪失………?

視力低下………?

髪色まで変わっているじゃないか?

手紙には『会える状態になった』と記したのみ。

貴方のそういういい加減な所が気に入らんッ…………。

早急にフローリアを返してくれッ…………」


彼の悲痛な怒号にリアは再び固まった。

キョトンとするリアの頬を擦りながらエ―デル公爵はリアを抱き上げた。


悲鳴が聞こえた。


『リア。君は………。

彼の声は?匂いは?覚えがあるかな?

少し顔を触らせてもらおうか?』


エ―デル公爵はリアの返事を待たずに移動する。

急に歩くから身体が『揺らめいた』。

リアはいつものように公爵にしがみつく。

頭上で彼の笑う声がした。


どうも彼は『大雑把』なのだ。

リアは視力が低下していても四肢は健康体である。

手を添えてくれるか背を押して導いてくれれば事足りるのにいつも抱えてしまう。

散々『運動不足』になるからとリアが諌めても止めない。


『君がこんなに歩けるようにしてくれたんだ。

この脚は君のためにあるんだよ?』


と理由のわからないことを言うのだ。

いつものように喉から出かけた抗議をリアは呑み込んだ。

客人のまえで端ない。

高貴な方の『公爵』の地位を貶めてはいけない。


『失礼………します?』


リアはおずおず両手を伸ばした。

途端体勢は崩されまた彼の腕の中にいた。

背後から公爵の苦笑いが聞こえた。

また抱え上げられたらしい。

記憶がないと言っているのにまだこの『だれか』は早急な様子らしい。

諦めてリアは紅い「だれか」の顔に手をすべらせた。


ぼんやり見える彼の肌は浅黒く瑞々しく滑らかだった。

そっと横に滑らせるとザラついた所があった。

『傷跡』があるらしい。


『あッ…………』


傷跡を触ったことで手を引っ込めたのだけど「痛くない」と彼が漏らすからまた触りだした。


高い鼻や渓谷のような眉間の皺をなぞる。

丸みを帯びた耳も辿る。

時折彼が呻くから手を何回も引っ込めた。

ただ何回も引っ込めるリアの手をそっと握り込まれてしまった。

彼の大きな手に握り込まれリップ音がする。

啄まれているらしい。


『もし………?擽ったいです』


「ッ…………わからないのか?」  


『ごめんなさい………』


彼の悲痛な声がますます泣きそうでリアも悲しくなった。

頬を擦り慰めたいのに擦れない。


『少し………覗き込んでも?』


リアの視力は『乱視』に『近視』と言うらしい。

遠くは見えづらいが近くは焦点が合いやすい。


「ッ…………存分に」


リアはゆっくり彼の紅い髪あたりを目標に顔を近づけた。

段々ぼやけた色が鮮明になる。

まだ歪みぼやけているのだけど彼の紅い瞳とかち合った。


『まあッ…………?なんて美しいルビーの煌き……』


彼の瞳は紅い燃えるような宝石だった。

その赤は蜂蜜を蕩けるような揺らめきだった。


「ッ…………リア………。

ルーだ。君の夫だ。

ルドルフだッ…………」


『ル―………?ルドルフ………?…………夫?』


リアは噛みしめるようにその名前を呟いた。

しばらく思案して小首を傾げた。



『記憶もないのに既婚者とかご勘弁を………。

公爵様………本当に説明が足らなくて困惑しますわ?

『身内』とは言え『婚家』では全然わたくしの身元の証明にならないではありませんかッ…………?』


「え?そうか………。ごめん。思慮が浅かったよ」


「リア?本当にわからないのか?」


『生憎ですが』


悲痛な声が頭上から震えて降ってくる。



『「肉親」でしたら間違えようがありませんわね?

子供の時からの付き合いですもの。

ただ………。婚家は。

えッ…………と。貴方様とはどのくらいの婚姻期間を?』


「ッ…………五年だ」


『五年もッ…………?え、わたくし子をも忘れていますの?』


「子は………いない」


リアの拙い記憶の中では貴族の婚姻は『子を成す』ことに特化している。

五年もの間子がいないのは『何か』問題があったのだろうか。


「ッ…………私が五年戦地にいたのだ。

最近私は帰還した。共に………過ごしたのは………」


『過ごしたのは?』


「ッ…………三ヶ月ほど」


リアは唖然とした。

困惑と疑念に言葉が出ないとはこのことだ。


『たった………三ヶ月ほど?え………?

それほとんど『過ごしていない』のでは?

わたくしこのコルド地方に保護された期間と同じですのよ?』


「ッ…………」


『信用………できませんわ』


リアは身を捩り後ろを振り返る。


『公爵。お引き取りをお願いして』


「わかったよ。リア」


エ―デル公爵に抱え直されてリアはため息を付いた。

また室内が騒がしくなった。

口々に落胆の言葉が聞こえる。

少女の悲痛な泣き声が大きくなった。



「ッ…………?リア?フローリア………待ってくれ。

君は混乱しているんだ。

サンサン地方に帰ろう。

領地で過ごしたらきっと思い出す。

視力以外に怪我は?体調は?リア………」


『エ―デル公爵様?

この方は本当に『信用』出来ますの?

でっち上げの可能性は?』


「んッ…………ないと。思いたいんだけど………」


「フレディッ…………貴様ッ…………」


怒りの声が応接間に響いた。

リアは耳をふさぐ。

視力が落ちた代わりに聴覚は敏感だった。

『夫を名乗るもの』の怒号は不快にリアの耳を貫いた。


『貴方様は何様ですの?

エ―デル公爵様はわたくしの命の恩人。

しかも貴方様は伯爵ではありませんか。

この方は公爵。

身分も恩も貴方様は礼儀を尽くさねばならないのに。

怒号………?

失礼極まりないわ?


わたくしの『絵姿』は?

産まれた『生家』は?

妖精族の貴族なのでしょう?そちらに確認しますわ』


途端『夫』は息を呑む。

黙りだした気配に小首を傾げたリアは公爵様の頬を撫でる。


「君の生家は妖精族のキンレンカ男爵家。

キンレンカ男爵令嬢フローリアらしいよ。

ただな………」


「キンレンカ男爵は『戦死』された。君は天涯孤独だ。」


『ッ…………?そんな都合の良い事ありまして?

絵姿は?』


「ない」


『ない………?』


リアはますます訝しんだ。

普通貴族の令嬢は1年に一度は肖像画を描くのだ。

それこそ蝶よ花よと贅の限りを尽くし。


『なら………。『婚礼肖像画』は?』


「描く前に………君は………」


『ッ…………ないの?』


リアは眉間をしかめた。

なんだかおかしくないか。

拙い記憶のリアですら知っている常識がまるで当てはまらない。


『本当に………?そのドラキュ―ル夫人は存在しますの?

キンレンカ男爵令嬢フローリアも怪しいですわ?

五年も婚家にいたのに。

夫抜きの絵姿も描かない?

それ………?本当に婚姻していたと言えますの?

普通は輿入れしてすぐ家族の一員として絵姿を描くはずでは?』


空気が凍りついた。

反論もできないらしい。

リアの瞳は細まった。


『公爵様。お帰りいただいて』


「だってさ。ルドルフ。

大丈夫。彼女は僕が護るからさ」


「いやッ…………お姉さま………」


「フローリア………」


「フローリアさん」


「若奥様ッ…………」


悲痛な叫びが応接間に木霊した。

リアの頭に響くようだ。


『ゃッ…………公爵様ッ…………』


「リア………大丈夫かい」


カタカタ震えだしたリアを優しく擦る公爵の腕の中でリアは弛緩した。

聴覚が敏感で目眩がしたのだ。


「リア………?具合が?

フレディッ…………君のところの侍医は腕は大丈夫なのか?」


「うん………。妖精族の体調まで万全に診れているかは自信はない中で、良くやってくれているとは思う。

彼女『騒音』が苦手でね?

視力が悪い分聴覚は敏感なんだ。

こんなに一度にたくさんのヒトの声に晒されたのは初めてなんだ。

ルドルフ。

一先ず今日は帰ってくれ。

すまないね。ドラキュ―ルの者たちよ」


「待てッ…………待ってくれ。頼む………。

まだ大して語らってもいない………。頼むッ…………」


エ―デル公爵はリアを撫でながら応接間を後にした。

後ろではまだ悲痛な呼びかけが続いていた。





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