第29話 私は『リア』だよ。『フローリア』じゃない。

〝 朝日が眩しい。

リアは微睡みと共に、窓から煌めく朝の日の光に目を細めて伸びをした。

朝日を浴びながらの起床などいつぶりだろうか?

リアは眠りが浅い。大抵日が上がらぬうちに目覚めるのだから。

こんなに泥のように眠ったのは久しぶりなのだ。

伸び上がる猫のように身体を弛緩させた後、あまりの多幸感にクスクス笑う。



「ふわあ………。

とても幸せな夢を見ましたわ………。

月夜の美しい晩。あの愚鈍な皇太子のアホ面。愛しの………旦那様とダンス。

素晴らしかった………はあッ…………。

もう一回………見たいわぁッ…………」


「そうだな。是非ともまた踊りたい」


リアは固まった。

その後ゆっくり左を向いた。

一瞬目が写し取った光景を脳が拒否する。

そこには愛しの旦那様。ルドルフ・ドラキュールが横たわりこちらを見ていたのだ。


リアは目をパチクリさせる。


赤い髪は無造作に下ろされ、彼の褐色のルビーのような瞳を隠すようである。

ルドルフは甘く蕩けるような瞳を細めながら、ラフな白いシャツ姿で横たわっていた。

胸元は開け浅黒い艷やかな肌が、視界に飛び込んできた。

筋肉の盛り上がり、血管の隆起はさながら美しい山脈のようである。

美の暴力である。

あまりの眩しさにリアはそっと目を閉じた。


「わあ………。

等々本格的に。わたくしッ…………狂って?

まあッ…………。幻覚。幻聴………?

恋しくて………狂うなんて………。

益々女傑には程遠い………。

旦那様が幻滅なさるわ………。

離縁しかないのだわ………ッ…………」


リアは青ざめ、カタカタ震えだした。

すると背後から優しく力強い腕に抱かれた。


「可愛らしい。

まだ夢見心地なのか?」


ルドルフの掠れた囁きに身体が熱くなり戦慄いた。


「ッ……温もりまでッ……ひゃッ……」


途端首元を啄まれたリアはびくつき、変な声を出してしまった。


「そろそろ夢から覚めて欲しい。

フローリア。君を愛でたくて愛でたくて。

焦れている哀れな男を救ってくれないか?」


「ふえ………?」


身体を優しく優しく抱かれながらの啄みがずっと続く。


「ふあ?ッ…………ひゃ?夢?あれ?」


「フローリア。待たせた。

お前の夫。ルドルフは帰った。

寂しい思いをさせた。しばらくずっとここにいる。

五年間の埋め合わせをさせてはくれまいか?

君の献身に報いたい。

君を慈しみ労いたい。愛する赦しをくれまいか?」


ルドルフはリアの指先を啄み覗き込んだ。

夢ではない。

彼の温もり。匂い。鼓動。息遣いも感じる夢などあり得ない。


リアは昨夜のことを鮮明に思い出しつつあった。


(昨夜のことは夢ではなかった………?)


 でもリアは知らなかった。

この甘く蕩けた目をするお方は?

本当にあの『冷血伯爵』と呼ばれているルドルフ・ドラキュールなのだろうか。


 あの幼き日の優しい瞳はいつも思い出していた。

幼子を見つめる瞳。慈愛の瞳。

でもこの瞳は。

まるで『愛』を語っているようで胸が高鳴った。


「献身………?

慈しみ労り?愛する赦し………?ふえ………?」


 リアが言葉を咀嚼している間にも、ルドルフの啄みは止まらない。

ルドルフは、リアの首筋を妖精族らしい長い耳を髪を頬を甘く掠れた息を刷り込むように啄む。

 リアの身体がどんどん弛緩していく。

時折小鳥か子猫が鳴くような声を奏でる唇をルドルフが柔く指で弄ぶ。


「フローリア?………唇に口づけても?」


 リアはぼんやり見上げた。

きらきらした紅いお星さまのように見えるルドルフが、鼻を擦り付けてきた。


「………?口づけの赦しを乞われたの初めて………」


 リアの頬を両手で柔く撫でながら、ルドルフはおでこを合わせて呻いた。

「君を口説いた今までの男達は殺してやりたい」とぶつぶつ呟いた声は低すぎて、リアには聞こえなかった。


「大事にしたい。紳士でありたい。

君の今までの男を超えたいし。

何なら最後の男になりたい」


「大事………?

わ?

わたくしッ…………大事にされてますわ?

自由に事業も領地運営も。

皆様優しいですしッ……幸せですわッ……?」


「『私が』大事にして、幸せにしたいんだ。

甘やかされ、愛でられる覚悟を。

君は俺を本気にさせたんだ。

この五年で『猶予』は与えた。

先ほど………?『離縁しなければ………』と言っていたのは?」



 リアの首筋にチクリと甘い痛みが刺した。

背後のルドルフの気配が変わった。

何か『苛立ち』を感じたリアは強張ったのだけど。

その身体を包むように大きな手がリアの腹を撫で、顎も固定している。

ルドルフの唇は依然リアの耳に、首筋に掠るように啄み続けている。


 その柔い柔い刺激で熱を持つ身体を捩りたいのに、ルドルフはそれを赦さない。

焦ったリアは口が戦慄き動揺した。

その様子すら「可愛らしい」と呟かれる始末である。


「ッ…………?わたくしッ…………。

貴方様の望む『女傑』になれそうにありませんの。

昨日も………泣いてしまいましたわ。

昔から家族にも言われましたの。『気丈なふり』『気高いふり』は一丁前だと。

研鑽して補おうとしましたのッ………。

そんな………私ではお役に?

でも………ッ…………ひゃッ…………」


 ルドルフの啄みが止まらず、リアは上手く言葉を紡げなくなってきた。

身体は戦慄き甘い痺れをおびだした。



「悪かった。君は十分『献身』してくれた。

気高い君が弱った時に支えて尽くす栄誉をくれ。

知らない君をまだまだ知りたい」


 リアがギョッとした。

リアには経験がなかったのだ。

殿方から『真摯に』口説かれることが。

それらを赦す隙は与えなかったし、ぶった切るからこその必然ではあるのだけど。

その『未知なる』ことに動揺したリアは取り繕うことも出来ずにオロオロした。

その様子すら愛おしく見つめられたら堪らない。

身体は顔はどんどん熱を帯びてくる。



「そんな?

本当のわたくしを知ったら、幻滅なさるに決まってますわ。

昨日の余所行きのわたくしを気に入りましたの?

そんな?まだ会って間もないのに?」


 リアが真っ赤になりながら呟くと、ルドルフはクツクツ笑う。

笑い方はあの幼い頃に出逢った彼の笑い方だ。

でも何かが違う。 

大人になると見え方が変わるのだろうか。


「君も一回しか逢わなかった俺を愛してくれたのにか?しかも13年も前の俺だ。

いまは………こんなにも傷も増え老けた。

それに俺はこの五年の君の手紙のやり取りで絆されたから、五年分の想いだ。会って間もない気もしないな。

五年も手紙で君に愛を語れなくて辛かった。

いつ死ぬかもしれない身で語るべきでないと自制した。

愚かだった。

これから存分に語りたい。

それに今初めてしった動揺して赤らみ戦慄く君も、堪らず愛らしく愛おしい。

これからも色んなフローリアを崇める許可を」


 リアは振り返る。

にわかに信じがたい。

ついこの間まで『失恋』したと思っていたのに。

彼の瞳は昨夜と同じ。

ジリジリと焦がれた男の瞳をしている。

ここには昨夜のような観衆はいない。

演ずる必要はないのだ。


「ッルドルフ様は今も変わらずッ………。

いえ。ますます魅惑的に逞しく猛々しい姿は煌めくほどですわッ………。

戦地での知略、武勲は益々貴方様を高めましたわ。

わたくしこそ、貴方様はご迷惑されているかと……思ってましたわ。押しかけ……ですもの?」


 ルドルフが優しくリアの頬を擦る。そのゴツゴツした大きな手が幼き日よりも硬く逞しくて。熱い手の平の温もりが心地よく、リアは甘えるように、頬を差し出すように身を任せた。

その手つきは慈しみ割れ物を扱うようであった。

甘くため息をついてしまう。


「あぁ………迷惑この上ない。

この年で恋の味を知ってしまった。

君に愛される歓びも。

君が拒否しても手放せそうにないほど、愛してしまった。

長らく認めたくなかった。すまない。辛い思いをさせた」


「ッ…………旦那様」


 リアは嬉しさの涙を流した。

その涙をルドルフは眩しそうに見て吸い取った。

その行為にすらリアの顔は紅くなる。

その頬を慈しむように包まれたら頭は霞みだした。

夢見心地だ。


「ルドルフと。

昨夜みたいにその可愛らしい唇から聞きたい」


「愛しのルドルフ様ッ………ずっとお慕いしておりました」


「あぁ………。俺もだ。

愛しのフローリア。愛している。口づけても?」


「ルドルフ様ならいつでもよろしくてよ?」


「ッ…………誉れだ」


二人は鼻を擦り合い、そっと触れ合うKissをした〟



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 『ひッ…………?』


リアは飛び起きた。

心臓が暴れんばかりに高鳴る。


頬は涙に濡れていた。

そっと隣を見た。

見えないから触った。



〝彼はいなかった〟


隣のベットではシンシアが眠っているのだろう。

静かな寝息が聞こえる。


『ッ…………違う』


リアの涙は止まらない。


『違うよッ…………。私は『リア』だよ。『フローリア』じゃない。

フローリアがどんなにルドルフ様を愛していても嫌だよ。


嫌だッ…………。この気持ちは私のだもんッ…………』



リアの心臓は早鐘のようだ。


ルドルフの甘い声とルードリヒの辛そうな声が同じように感じた。


同じ甘さと焦れたような視線。身を焦がすような熱い視線に心臓は跳ねる。


『やッ…………。私ッ…………。ルードリヒ様が好きだもん。

嫌だッ…………。フローリアの気持ちなんかいらないよ………。

フローリアになれないもん………。

なりたくないよ………。

お願いします神様ッ…………。嫌だ。フローリアの記憶嫌だ。

思い出したくないッ…………嫌だ。助けて………』



リアのつぶやきは暗闇に溶けた。

リアの心臓の音だけが耳に響いて眠れなかった。



〝願ったな?〟


リアの胸元が光り輝いた。



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