第28話 すまない。忘れてくれ


 『ッ…………わ。誤解ッ…………誤解です!』


リアは思わず立ち上がった。


『貴方が。『ドラキュ―ル伯爵から財産を受け取り静養を』なんておっしゃるから。


つい反射で逆らいたくなりましたの。

貴方様を嫌いになどなれませんわ。だって………』


「だって………?」



ルードリヒの視線が痛い。

射るようだとはこのことだ。



『ッ…………仕事は真面目。

仰ることは正論だから厳しいのだけど。


貴方は優しいのはわかるし………。それに………』


「それに………?」


リアは頬が熱くなった。

まるで獲物を捕えて離さない魔獣のような。

そんな視線が続くからだ。


これ以上何か言わないほうがいい気がした。

でもリアは嫌だった。

『リアにとって最悪の人選だったろうな』なんて思われたままなことが嫌だったのだ。


『命を助けてくれた方を崇めたいのに。

その方は『主の命令で嫌嫌』職務で助けてくださった。


私は『主を翻弄する女』。


貴方こそッ…………私を………疎ましく………?』


「ッ…………泣くな」


『へ?』



リアが頬を触り濡れていると理解するのとルードリヒに抱きしめられるのは同時だった。

彼の熱いほどの胸の筋肉に隠すようにリアの顔はすっぽり覆われた。


至近距離でルードリヒの匂いがより濃くなった。

甘いスパイシーな香り。

彼の心臓の音まで聞こえるようだった。


木から落ちた時に薫った香りだ。

その温もりは夢ではなかったとわかる。

安心する温もりだった。


「泣くな」


『ルードリヒ………様』


「ッ…………俺は傭兵だ。

金を貰って働くが。『一生の主』ではない。

ドラキュール伯爵は俺が『強い』からここに遣わした。

俺がここにいるのが君を守るに最善と判断しただけ。

俺の利害と一致しただけだ。


俺も。あの方の全ての命令を遂行するわけではない。

出来ない。

あの方の望みなど俺には何一つ叶えられるものか。

そこはあの方は俺には求めていない」


『え………?』


「命知らずのじゃじゃ馬のリアを………。

守りたいのは俺の意志なんだ。命令じゃない」


リアは頬が緩んだ。

彼は『フローリア』を守りたいのではないのだ。


『リア』を見てくれている。

彼は『じゃじゃ馬なリア』を放っておけなかったと言う。

それはリアの心臓を貫くには十分だった。


『ッ…………。私。


不思議なの。貴方様に触れられるのは平気なのよ?

ほら………。震えない。

昼間なんかドラキュールのフランケル様に指先を啄まれた時震えないように必死だったの。


不思議………。貴方は大丈夫なのに』


ルードリヒの肩が跳ねた。


「それは………特別と思っても?」


『………?特別………?』


リアはルードリヒを見上げた。

彼の顔が見えるほどは近くなかった。

黒い前髪に隠された彼の瞳の色もわからない。


でも。

彼の瞳を覗き込んでみたくなった。

何故だろうか。

ルードリヒの顔を見てみたくなったのだ。


そっとそっと彼の頬を触った。

その手をルードリヒに掴まれ握り込まれてしまった。


「君は無防備が過ぎるッ…………。

そんな顔で男を見上げるな」


ルードリヒの辛そうな声がリアの頬を掠った。


『そんな………顔?』


「ッ…………俺を誘うその無防備な顔だ。

俺は特別だと勘違いする」


ルードリヒは呻きながらリアの額を啄んだ。


リアの瞳の奥がピリついた。

息が上がり高揚する。


『ッ…………ルードリヒ様?』


リアは甘い痺れにため息をついた。

鼻から抜けたのは甘い子犬のような声だった。

リアがルードリヒのシャツを握りしめると彼はハッとした。

一瞬名残惜しそうにリアを抱いた腕の力は強まったのにそれはあっという間に緩んだ。


苦々しいくらい低い呻きを漏らしながらルードリヒはリアから身を引いたのだ。

抱き込まれたのも突然だったが離されるのも突然だった。


リアはしばし放心した。

ルードリヒの時も止まっていた。


「すまない。忘れてくれ」




途端にリアを椅子に座り直させると黙々と食事を終わらせ洗い物を済ませ食堂を後にしてしまった。


ポカンとしたままのリアを置いて。


リアはすっかり冷めてしまったホットミルクを握りながらぼんやりとした。


(わ………。忘れる?)


おでこを触る。

そこを触る指がどんどん熱くなる。


さっきそこにルードリヒの唇がついたのだから。



「ッ…………無理でしょ。忘れるなんてッ…………」


リアの頭から湯気が出た。


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 「リアちゃん。なんかあったでしょう?」


『ふえ?』


湯浴みを済ませた子供達を指一つで乾かしたリアを一瞥してシンシアが呟いた。


「リアちゃんが『無口頭』で精霊を行使している時って。

『異常事態』なんだよ?」


リアはキョトンとしてしまう。


『え………?妖精族は皆精霊の使役が出来るよね?

公爵様が妖精族のことを読み聞かせてくれたわ?

普通の………ことじゃないの?』


「ちがうのよ。

すごい。

エーデル公爵様。妖精族のことはちゃんと貴女に教えたのね?


『無口頭』で精霊を『使役』。


あまりに『摩訶不思議』だから。だれも『信じなかった』とんでもないことなのよ。

私。それを見るだけでもリアちゃんを『フローリアちゃん』と確信が持てる。


竜人族のヒト達には『妖精族皆精霊の加護』があるから当たり前に見えるのでしょうね?


でもその『無口頭』の精霊使役を隠していないのも『リアちゃん』は記憶がないのを裏付けているの。



学生時代にね?貴女がそれをして『騒動』になりかけたの。

私なんかは貴女が『天才』なんだから驚きもしなかったんだけどね?」


シンシアは子供達を集めて『約束』をさせた。

『リア先生』の魔法の力を「外のヒトには言わないこと」と。

子供達は頷いた。

驚くべきことにそれらは『院長』にも『ルードリヒ』にも『スバル』からも約束させられているらしい。


「駄目よ。リアちゃん。

もっと用心してね。その力を欲するヒトに利用されたくないでしょ?」


『え………?大げさじゃないかな?』


「今のリアちゃん『毒が抜けて』すごく可愛らしいんだけど。危機感がないわ?

昔のフローリアちゃんは警戒して『無口頭』は使わなかったの。


リアちゃんは優しいから。無自覚に『ヒトのため』使うでしょう?だから危険なの」


シンシアは説明した。

フローリアのその『無口頭』での精霊の使役を目撃した『教師陣』は話し込んでいた。と。


なんでも『四大精霊』を無口頭で使役することは本来なら『ありえない』から『不正』を疑われたらしいのだ。

本来なら精霊のうち一つか二つしか使役出来ないのにフローリアは『四つ全て』を『無口頭』で熟したからだ。


それらはシンシア達や他の級友が複数人の魔力暴走ってことにして『誤魔化した』のだ。


「なんかね?フローリアちゃんが『四大精霊』の力を行使することを『学園内』で禁止されたの。

『危険』だからって。

しかも『無口頭』で精霊を使役するなんて『もっと危険』なんですって。

あれこそ『男爵令嬢風情が必要以上に出しゃばるな』って圧を感じたわ?


『神殿』に知られたら大変なことだ。って」


『ふえ………。フローリアは騒動ばかりね?


それに使える力を『使うな』なんて。

窮屈この上ないわ?

でもここは竜人国だし。

心配しすぎだよ。シンシアちゃん』


リアは呻いた。


(力あるのに『抑えつけられる』のが常だったのかしら。

妖精国立アカデミーは『男尊女卑』が激しかったらしいわね。

令嬢なんか『婿探し』と『花嫁修業』で卒業することもまれだったとか。

それをフローリアは『首席』で卒業。

妖精族の異端児だったんだわ。


だからかしら。

私………。『妖精国』に帰りたいとは思わないのよね。

フローリア。妖精国が居心地………悪かったのかしら)




そんなことを考えながら子供達を寝かしつけたリアはシンシアと私室に帰る。

廊下の蝋燭は必要最低限で暗い。

リアは手のひらに火の粒を出した。


「ほら。また『無口頭』

今日はなんかおかしいわ。

いつもの貴女は『丁寧すぎるほど』精霊にお願いするもの。

悩みがあるの?」


『悩み………』


相当リアの様子がおかしかったのだろう。

シンシアが早急にリアの手を引き寄せ二人の私室に入り鍵をかけた。


すると部屋の中が急に静かになった。

厳密には部屋の外の声や気配が『隔絶』されたのだ。


シンシアは『隠匿魔術』をかけたのだ。


『わ?シンシアちゃんが魔術使うの初めて?』


「うふふ。私もそれなりの高等教育を受けた令嬢ですからね?」


シンシアはズンズン部屋のベットに向かう。

リアをベットに座らせ隣に座った。

二人の重みでベットが軋んだ。


「なになに………?

今日はハクア嬢に会ったのよね?


もしかして?!

元旦那様がいた?ね?また求愛されたの?」


『ッ…………う………。黙秘………したいけど』


シンシアのキラキラする視線にも根負けしたし、リアには抱えきれずに話した。


ルドルフが用意した屋敷は『フローリアに忠実な使用人という財産』付きだったこと。


屋敷は『妖精族好み』に改装されていたこと。


庭園は『フローリアが好む妖精国にしか育たない花々』が植樹されていたこと。


屋敷の中に『カトリーヌ・ドヌーヴ』という珍しい薔薇が生けられていたこと。


ハクア嬢が思った以上の『フローリア過激派』で兄のルドルフを忌み嫌う勢いだったこと。


ドラキュールのフランケル卿がハクア嬢の保護者としていたこと。


フランケルは好青年と思っていたのに彼も『フローリア信奉者』だったこと。


フランケルにも口説かれたこと。


騎士スワン・スバルも『フローリア信奉者』でとてつもない針子の技術を披露したこと。



「まあ………?てんこ盛りの一日ね?」


『ね………?なんだか罵倒されるよりも疲れてしまったの。

それに………。たぶん。最後ルドルフ様が訪問したの。

ハクア嬢やフランケル様の様子だと『押しかけた』感があったわ?

私は………会わずに………帰ったの』


「あら。会わなかったの?

なら。なんで貴女。そんなに『恋する乙女』な顔しているのかしら?」


『ふあッ…………?』


リアは頬を触る。

頬は熱い。

口は戦慄いている。


「なんだ………?てっきりルドルフ様にお会いして『焼けぼっくりに火がついた』と思ったのに?」


『へ………?違うッ…………違うよッ…………』


「ならその顔は?

え………………まさか。フランケル様?」


『ひッ…………違うよッ…………?

へ?どんな顔してるの………?私………?』


シンシアの視線が柔らかくなった。

まるで『懐かしむような』視線。

リアが苦手な『フローリア』を思い出しているときの視線だった。


「貴女が学生時代。ルドルフ様を思ってため息をついていたときの顔よ。


無防備で儚くて。

私の元夫もその『健気な表情』をする貴女があまりに日頃のじゃじゃ馬で気高い貴女と違いすぎて。


その表情を見て………。彼。貴女を好きになったのよ。

馬鹿よね?

『愛しい男を思う貴女』は格別に美しいの。

その時の貴女そっくりよ?」



『ッ…………ッ…………ッ…………ッ…………』


リアは布団に潜り込む。


〝「ッ………俺を誘うその無防備な顔だ。

俺は特別だと勘違いする」〟


ルードリヒの辛そうな低い声が耳から離れない。


(貴方こそッ…………。

護衛の対象にそんな『甘い』声出さないでよッ…………)


リアは戦慄く身体を抱きしめながら眠りについた。




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