第33話 私。いつか貴方を元旦那様から買い上げますわ

 「リア嬢」


『なあに。ルードリヒ様?』


リアは彼を見上げた。

『視力矯正ガラス』で前よりはなんとなくであるけどルードリヒの容姿や体格が見えるようになった。


漆黒の髪。

長過ぎる前髪。

肌は竜人族らしい浅黒い小麦色。


身長は高いとは思っていたけど二メートル近い。


(オーラは猛々しい。

態度も柔らかいわけでは決してないのに。


なんでかな。このヒトの側は安心する)


返事をしたのにルードリヒは何も話さない。

ただ少し。

視線が前よりもくすぐったい。


「………………ないのか」


『ん?』


囁くような低い声だからリアは聞き逃した。

声色はどこかすねている時のマオのようである。


「………君は耳がいいはずだろ」


『ん………………………?』


心外だけどルードリヒはリアが『聞き取れないはずない』みたいな声色だ。

わざとリアが無視をしていると思うらしい。


『貴方の声は威嚇する魔獣のように低いのだもの。

私。公爵様のところにいたときほどは耳が過敏じゃないわ?


それにルードリヒ様距離が遠いの。

同僚なのに………水臭い………』


「………リア」


『ひゃ………』


掠れるような低い声が耳元でした。

ルードリヒか屈んでリアの耳元で囁いたのだ。


甘い蜜のような声色に身体が跳ねた。


「俺の瞳は覗き込んではくれないのか………?」


『………え?』


「眼鏡をかけてから孤児院中の皆にはしただろう」


『ん………………ん?』


(そんなに私覗き込んだかしら………?)


眼鏡が出来上がってからさっそく孤児院で仕事をした。

酷かったのは院長は最初リアを公爵家の新人侍女だと勘違いしたのだ。

公爵様は孤児院への奉仕にたまに新人侍女を派遣することがある。

なんのお伺いもなく朝、紹介状と共にひょっこり来るらしいのだ。

その侍女が早朝挨拶もなく勝手に孤児院に入り込み勝手に仕事を熟していると思ったらしい。


早朝のキッチンで院長はけたたましく公爵様の『非常識さ』に怒り狂い。

新人の侍女が『必要以上に』働かされる様を嘆き。

夜中から働かざる負えない『環境下』にいたのかと『同情』された。


騒ぎに駆けつけたルードリヒが「リア」と呼んだから。やっと院長は我に返ったのだ。それで院長は眼鏡をかけた地味な女を『リア』と認識したのだ。


その後は大変だった。

子供達が騒ぎを聞きつけ食堂に雪崩込んだ。


リアが「少し」だけ視力が回復したことを知ると皆がリアを『覗き込んで』名乗りをあげだした。


子供達はそれはもう待ち望んでいたそうだ。

リアが自分達を視認することを。


「わたしの髪は赤!瞳は黒!」


「わたしはソバカスあるの!瞳はね?少し黒の中に緑が混ざっているの!」


「俺の髪は綺麗なオレンジなんだぜッ…………?!」


「花の色もわかる?」


『わあ………みんなッ…………順番順番ッ…………?!うふふッ…………』



そこへシンシアやスバルもどさくさ紛れで揉みくちゃの中に乱入した。

おかげで早朝からリアは孤児院中のヒトの人相がわかるほど皆に『覗き込まれた』。


そうなのだ。


断じてリアから覗き込んだわけではない。


『ん………?貴方と私の認識の違いがあるみたい?

皆が勝手に覗き込んだだけな気がする………?』


「甘んじただろ」


『そりゃ………皆は家族だから………?』


「スバルもか?」


『ん………?』


「女子供とは違う。あいつは男だぞ?」


『え………………?』



そう言えばスバルも覗き込んできた。

彼こそ泣きそうな勢いだった。

いや。

確かに泣いていた。

リアのあまりの『ダサさ』と『地味さ』と相変わらずシンシアとスバルを視認しても『思い出さないこと』にも嘆いていた。


『まあ………?スバル様はなんか弟みたいな感覚だから。

フローリアに戻るか確かめたかったんだよ。うん。

家族だからね。

その後なんだかんだ近すぎて殴っちゃったし』


「じゃあ俺もいいんだな?」


『え………?』


いつの間にか誰もいない屋敷と別棟の間に連れ込まれていた。

背中にゴツゴツしたレンガのひんやりとした壁が当たる。

リアの頭上に影がかかる。

光が入らない所らしい。


ルードリヒの腕がリアの頬の横にある。

腕からの熱がリアの頬に染み入るように感じた。

リアの頬に熱が移った。


『ルードリヒ様ッ…………』


「今から覗き込む。しっかり俺の顔を見ろ。嫌なら殴れ」


『ッ…………ルードリヒ様?』


(宣言されると生々しいッ…………)


リアは心臓が爆発しそうになった。

反射的に目をギュッと瞑る。


ルードリヒの息が鼻に掠る。

視線がまたあの熱いような甘いような蕩けるよう気配だ。


「本当に………リアの瞳が見えないな」


『ッ…………ッ…………ッ…………ッ…………』


「眼鏡外していいか?」


『本末転倒ッ…………?!ひゃッ…………』


「俺を見る気がないなら眼鏡いらないだろ?」


『?横暴ッ…………?!』


ルードリヒは眼鏡を取ってしまった。

リアの瞳に瞼に柔らかいものが当たる。


『あッ…………んッ…………』


甘ったるい声がしたからリアは口を抑えた。

その手を優しく剥がされその甲にも柔らかいものが当たる。


『ッ…………ルードリヒさまッ…………』


「リア。目を開けてくれないか」


『ッ…………やッ…………』


「何故?エーデル公爵様にも頰をすり合わせるほど近くで見つめ合っていた。

スバルにも。


何故………俺は見てくれないんだ?」


『やッ…………貴方が『わすれてくれ』って言ったあ………。

こっちは忘れらんなくて夜中泣いて泣いて』


ルードリヒが驚いているようだ。

彼の喉が鳴る音がした。



「すまない…………泣かせてばかりだな」


『ッ…………私いつもは泣き虫じゃないもんッ…………。

貴方のせいでいつもッ…………』


ルードリヒは笑った。

クツクツ笑う声がなんとも少年のようだ。


「それは特別と思っても?」


『ッ…………わかんない。ッ…………』


「そうか。わからないか。それなら待つ。

いつか俺をしっかり見てくれるか?」


『ッ…………この胸が痛いのがなくなれば。

見れる………気がする』


「………………………それは困った。

その胸の痛みの先に『特別』があるんだがな?」


『ッ…………それすら。忘れちゃったもん』


ルードリヒは低く唸った。

まるでリアが出来の悪い子のようである。

視線が悪さをした幼子を諌めるあれである。


「『恋の味』を忘れたのか。

それは残念だな。

初恋は強烈なんだ。普通は一生忘れないらしい」


『………………私は思い出したくないもん』


「そうか」


本当に心底残念そうな声色でルードリヒはリアの眼鏡をかけ直した。

リアは居た堪れなくて下を向く。

まだルードリヒが離れてくれないから彼の香りがした。


『ルードリヒさま。

私。これからお金稼ぎますの』


「そうなのか」


『この孤児院を買い上げて公爵に恩を返せるくらい稼ぎますの』


「ほお………頼もしいな。壮大だ」


リアはルードリヒと院長室まで歩いた。

さっきの距離感が嘘のように二人の距離はヒト一人以上離れている。


廊下を歩くと甘い薫りがした。

妖精国から輸入した花が活けてあるのだ。


その花が真っ赤な薔薇だったことをリアは初めて知った。


キッチンの前を通る。


丁度卸しの商人さんが果物を入荷したと届けてくれた。

彼もリアのことが最初はわからなかった。


ヘンデルという名の彼は声は若々しかったのに良く見たらかなりの年配のおじ様だった。

リアが覗き込んだら真っ赤になっていた。可愛らしいオジサマである。


『びっくりした………。50歳なんだ。

結構オジサマだった。

声ではなかなか年齢はわからないんだね?』


少しルードリヒがビクついた。

その気配にリアは思い出した。


キャサリンが言っていたのだ。

ルードリヒは若造にない色気と余裕が滲み出ている。

さぞ酸いも甘いも噛み分けたのだろうと。


(スバル様は確か30くらいだったかしら。

ルードリヒ様はもう少し年上かしら。

ま。100歳まで皆見た目年齢はあてにならないもんね)


リアはルードリヒの低い声が好きだった。

あれは確かに若い男には出せないかもしれない。

リアはルードリヒが年下だったら良かったのになと思っていた。


何故なら。

ドラキュール伯爵は40は超えているらしく。

フローリアはその『オジサマ』のドラキュール伯爵をこよなく愛し惚れ込んだ。

齢8歳で28歳のドラキュール伯爵を見初めたらしい。



(同じ『年上のオジサマ好き』だと思いたくないッ…………。

ルードリヒ様が若ければ。

性的趣向が違うって否定出来たのにッ…………)


それにドラキュール伯爵はマメらしい。

リアが面会も拒否して無下にしているのに便りも孤児院への物資も寄付も惜しみない。


まるでそれらに『リアから愛される』ための下心は感じないのだ。

それこそ『義務』や『使命』じみている。

リアが下品だと思う贈り物もない。

リアを着飾らせるものを贈り『所有欲』を滲ませることもない。



(ドラキュール伯爵がクレバーくらい。

下卑た下心満載のオーラを出すヒトだったなら。


再会した瞬間に拒否出来たのに。

そしたら………………。あの夢も見なかったかもしれないのに。

ドラキュール伯爵が『普通の』貴族なら。


貴族の面汚しの元妻の私をもっと嘲るヒトだったらどんなに良かったか)


だからといってドラキュール伯爵はリアが『並の平民』の暮らしをするのは許さないらしい。

暮らしの質を伯爵令嬢のシンシアと合わせようとする。


(なら。彼の施しがいらないくらい『財産』を持たないと。

施しを拒否するならそれなりの『実力』を示さないと。

そうしないと『自由』は手に入らないんだわ。

私の幸せを『保護』してもらうなんて真っ平だもん)


リアは振り返る。

ルードリヒの瞳は見えないのだけど彼の瞳の辺りを見上げた。


『私。いつか貴方を元旦那様から買い上げますわ』


「………………………ん?」


『貴方傭兵でしょ?

元旦那様の騎士のうちはあのヒトがチラつくもの。


どうせ付き従うなら『戦地の冷酷伯爵』より『うら若き乙女』のほうがいいじゃないかしら?

見目だけは格別に良いらしいのよ?私』


ルードリヒも笑っているようだ。


「………………苦労かけられそうだな。

先に褒美がほしいんだが?」


『手を出す度胸もないくせに。

だから一緒に旅に出ましょう?駆け落ちみたいでワクワクしない?

旅なら邪魔な上司はいないわよ。

男性恐怖症があっても貴方が守ってくれるでしょ?

うふふッ…………。

騎士の貴方をヒモにしてあげるから楽しみにしてて?

そしたら。

………………………私のわからないも。わかるかも』


「………待ってる」



リアはクスクス笑いながら院長室に入った。



「あら。リア?

ご機嫌で入ってきたのね?いいことあったの?」


院長が朗らかにリアに笑いかける。

ぼやけているけど前よりも彼女の造形がわかるようになった。

初老にしては美しいヒトだ。

若い頃はさぞかし麗しい乙女だったのだろう。

院長が未婚で何故この辺境の公爵領のしがない孤児院施設の院長をしているのだろうか。

そんな院長もまたご機嫌である。

その気配にリアの頬はひくつく。


要件は大体わかったからだ。



「『出資者』からお手紙よ?そろそろ求婚かしら?」


リアはゲンナリする。

伯爵様からの便りをこんなにも苦い顔で受け取る女はいない。

そのリアの表情を見て院長はまたため息をついた。

院長はどうもリアが『貴族』の好意を受け入れないことが悩みのタネであるらしい。


『御冗談を。私等毛色の珍しい加護対象ですわ?

そのうち。

この孤児院くらいわたくしの稼ぎで賄ってみせますから』


「まあッ…………壮大だわあ。でも。

貴女なら為せそうで怖いわ?」



リアはこの便りを代読されたり代筆してもらったりしなくていいことに喜びを噛み締めていた。


リアだって『元旦那様からの便り』をヒトに見せたいはずがない。

今回から部屋で一人で見られるのだ。


(もしかしたら字が汚いかも。

シンシアに気づかなかった粗が見つかるかもしれないし)


リアは懐にドラキュール伯爵の便りをしまい院長室を後にした。


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