終点 - 真理の意味
あの時、僕はキツネにつままれた気分だったよ。
夕暮れの18番駅の改札を出て大地が崩れたと思ったら、突然元の世界に戻ってきていた。
あっちの世界に行ってあの列車に乗り、様々な人たちと出会ったあの長い期間の体験が、実はほんの一時間ほどの出来事だったなんて。
すぐには受け入れられなかった。
弟が階段を降りていく足音を聞きながら、慌ててカバンの中を調べた。
タイリクに行った証拠品があるはずだと思ったからね。
ところが、三つ残ってたはずの白の石ころがひとつもない。チャックを開けると五百円玉が転がり出てきた。
国語のノートを開いた。あれだけ書いた日記のページが一行もない。授業で使ったところで終わっていて、そこから先は白紙のままだった。
嘘だろ。
そんなバカな。
あり得ない。
夢を見ていたとでも言うのか。
夢にしてはリアル過ぎるだろ。
そう思って、もっとよくカバンの中を探した。
音楽の教科書を開いてみると、黄色の羽毛がふわりと床に落ちた。続けてカバンの底からミートパイの包み紙が、筆箱からドングリと赤のビーズの指輪が出てきた。
どういうことなんだ。
自分の身に起こったことが理解できず、頭の中が真っ白になってしばらく机の前に立っていた。
そう記憶しているよ、あの日のことを。
理由はわからないが、消えた物と手元に残った物があった。
だから決して夢ではなかった。
タイリクには本当に行ったんだ。そこであの人たちと本当に出会ったんだ。
説明のつかないこんな奇妙な体験が怖くなって、このことは三十年間誰にも話してこなかった。
置いてきてしまった弁当箱は「どっかで落とした」って、母さんに嘘をついたよ。
仕事のことで行き詰まり、自宅への道をぼんやりと歩いていたんだ。
あの日の下校時と似たような、不安定な心の状態だったのかも知れない。
気づけば前に一度見た大きな石門の下に立っていた。
そして再び列車に乗ったよ。あのタイリク横断列車にね。
またか、なんでだと最初はうろたえたけど、来てしまったんだから、三十年前に行った場所をたどってやろうと考えた。
まず夜の国の両替所へ行ってみた。
窓口にはやっぱりコガネムシがいた。あの時の二匹かどうかは全く見分けがつかなかったけどね。
駅の待合室にポスターが貼ってあったよ。カナリア男と雷神のジョイントコンサートの。また二人で活動を始めたようだ。なんだか嬉しかった。
昼の国で話を聞くと、今はアレクサンドル二世がタイリクを治めているらしい。コンチネントの丘には勇退した一世の銅像が建ったそうだ。
8番大聖堂の賢者さまは、二百五十歳の誕生日から九十九日後に亡くなられたそうだ。一年前にその日を予言していたらしい。
一ツ目のアンドレには会えなかった。
村の場所がどこにあるかさっぱりわからなかったからね。何人かに聞いてみたけど誰も知らなかった。でもそれでよかったかもしれない。人間とは関わらない場所で、ハピと平和に暮らせたならそれが一番いい。
アルマジロ親子もわからなかったよ。あのお母さん、子育てから解放された後どうしたんだろうな。
最後に夕暮れの国で乗り込んだ列車の車掌がガマガエルだった。口の回りの火傷を見て思い出したよ。ふふ、ゆで玉子が本当に好きだったよね。
そして三十年前のボク自身に出会ったんだ。
ああ、そうだったのか。そういうことだったのか。あの三十年前の記憶が蘇ってきたよ。
あの男、あのメガネをかけたサラリーマンが未来の自分自身だったとは。
驚いた。驚いたよ。
〝君〟は気づいてなかったようだけど、僕はすぐにわかった。だって君は写真で見る昔の自分そのものだったからね。
僕が未来の自分自身だと君に気づかせてはいけないと、なぜか直感的にそう思った。
じゃないと過去を変えてしまうと考えたから。過去を書き変えることはやっちゃいけないと思ったんだ。未来がどう変わってしまうかわからなかったからね。
だから車掌には事情を説明して、ワカンナの申告を少し待ってもらった。車掌はわかってくれたよ。
そして、三十年前の自分に対し、ギリギリ話せることをいろいろ伝えたつもりだ。
君がどう受け取ったかはわからないけど。
君はあの後、第一志望の高校に入る。通学電車の中で隣の学校の女子高生にラブレターをもらうぞ。まあその子とは長く続かなかったけどね。
仕事は何をしてるだろうな。結婚はどうかな。もうこれ以上は話さないでおくよ。楽しみがなくなるだろ。
良いこともそうでないことも、いろいろ経験するさ。大人の時間は長いんだから。
初めてこの列車に乗った時に車掌さんから問われた言葉。
「あなたはナニモノ?」
あの言葉は重かったよな。そんなこと考えたことなかったから。
あれからその言葉はずっと心の中にあって、何度も自問自答しながら今日までやってきた。今ではあの言葉に出会えて良かったと思っている。
この世に生まれてきたことに能動的に向き合うことを、促してくれた言葉だった。
大王さまが求めたことって、とても大切なことだったよ。
あの三十年前には、今は決めないことを決めて、列車から降りることができた。
それは苦し紛れだったような気もするけど、それで良かったんだと思ってる。
あの年頃は、毎日が何となく不安だった。何故か理由はわからなかったが、毎日どこか不安を抱えていたように思う。
賢者さまは不安の正体を見極めろと言ったけど、あの時にはその正体がわからなかったんだ。
だけど随分と時間が経ってから気づいたんだよ。あの頃不安がっていたのは、自分が何者か、何者になっていくのかわからないことが一番の不安だったんだよ。
何年か経って君はちゃんとワカンナを決める。それが何かは言わないでおくけどね。
だから焦らなくてもいい。しっかりと考えて決めればいいさ。一度きりの大切な君の人生なんだから。
あの時君はいろんな人の話を聞いて、「大人ってすごいなあ」って思っただろうけど、そんなことはない。大人になってもまだ迷うことばかりだよ。
今の僕はいろいろあって、自信を失くし、ただ日々に追われ、自分で決めたワカンナを見失っていた。
時間がねじれた理由はわからないけど、僕は十四歳の自分に出会い、まだ幼き日の自分を応援するつもりでいろいろと話をした。
しかしそれは、過去の自分を介して、今の自分自身を勇気づけていたんだよ。
賢者さまの最後の言葉、「真理は二度目に知るだろう」はきっとこのことを指していたんだ。
あの時賢者さまが言った「真理」とは、自分を信じる心、それが一番大切だという意味だったんだよ。
今の僕はそう確信している。
ずっとわからなかった言葉の意味をやっと理解したよ。長い時間が掛かってしまったけどね。
今ちょっとした問題に直面しているけど、大したことはない。
さっき夕暮れの18番駅の改札を出ていく時の、君のしっかり前を向いた、夕陽に照らされた横顔を見てそう気づいた。
十四歳の自分に恥ずかしい姿は見せられないとも思ったよ。
だから大丈夫だ。
僕なら乗り越えられる。
元の世界に戻ったら、来月の三連休にでも久々に実家に帰ってみようと思う。
しばらく帰っていなかったから、母さんの顔も見たい。電話してカレーでも作っといてもらおうかな。
今は物置代わりになってる僕たち兄弟の部屋はあのまんまだろう。
机の引き出しの一番奥にしまったままのはずだ。クッキー缶に詰めた四つの宝物。
黄色の羽毛、包み紙、ドングリとビーズの指輪。
久しぶりにこの手に取ってみたい。
さて、降りるとしよう。次は19番駅か。車掌さん呼ばなきゃ。
夕暮れの19番駅まで。そして新しいワカンナを申告したい。
僕の新しいワカンナは、〝真理を知り自分で自分の背中を押す男〟。
真理とは、自分を信じる心。答えはいつも自分の中にあるっていうことだ。
誰かの力に頼ろうとせず、自分の力で前に進む。そう決めたんだ。
ワカンナって、少し恥ずかしくて普段は言えないけど、実は人からそう呼ばれたいと心の中で願っていることかもしれないな。
今そう思ったよ。
列車が夕暮れの19番駅に滑り込むように停車し、僕はホームに一人で降り立った。
初めて降りたこの駅も、あの18番駅と同じく無人駅だった。
改札を通り抜け、駅から続く道を歩き始める。
やがて黄色のモヤがかかったかと思うと、足元が石畳の道に変わり、小刻みに小さな音を立て始めた。
僕は二度の長い旅を頭の中で回想しながら、勢いよく走りだしていた。
さあ、行こう。
前に。
終
ワカンナをさがして ~タイリク横断列車と四つの国~ コロガルネコ @korogaru_neko
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