昼の国-4 賢者の言葉

「何を不安がっとる」


 少し時間があって、老オランがやっと口を開いた。


 何を不安がっている?

 何が不安かって、いろいろだよ。

 何となく不安なんだよ。


 いつからかな。

 小学校の頃は毎日が楽しかった。

 こんな不安なんてなかった。

 中学に入ってからだ。

 毎日が何となく不安なんだよ。


「いろいろです」


 考えた末にそう答えたが、こちらからの返答には何も反応しない。

 黙って空を見上げたままだ。目も合わせてくれない。

 ふん、なんだよ。


 不安かあ。

 中学に入ってからなんでそうなったのかな。

 受験という初めて経験する人生の岐路のようなものが、いよいよ間近になってきた。進路希望を決めなくちゃいけない。

 ボクはちゃんと乗り切れるのだろうか。クラス仲間の顔が何人か浮かんだ。

 そんなボクの気持ちをよそに、頭の上を何羽かの鳥が飛び交って、しきりにチチチと声を上げている。


「ショウタイ」


 ショータイム?

 今、ショータイムって言った?

 ショータイムってなんのショータイム?


「どういう意味ですか?」


 また何も答えてはくれない。

 さっきからじっと空を見上げたままだ。時折目だけを動かしている。

 なに見てるんだろ。


「それを知ることからじゃ」


 それを知ること?

 は?何言ってんの。

 不安……

 ショータイム……

 さっぱり、意味がわかんないや。

 変な人みたいだから離れようかな。


 長い沈黙の時間が流れる。


 ボクが何か言うのを待ってるのかな。

 意味わかんないから答えようがないよ。

 その空気に耐えきれず、ボクは木の枝でまた地面をつっついた。


「雲が風に流されとるわい」


 またポツリと言った。

 思わず空を見上げた。

 青空にはぐれ雲がぽっかりと浮かんでいて、風にゆっくりと流されている。


 雲が風に流されている?

 それがどうかした?

 特に珍しい雲でもないし。

 ただの独り言か?


 老オランは雲の動きをじっと眺め、「ほほ」と小さく笑った。

 ボクも横で空を眺めた。

 手にしていた木の枝は放り出していた。


 へんなの。

 でも、青空がきれいだな。

 青い空を見るの、久しぶりだもんな。

 きれいだ。

 なんか、気持ちいい。


「悪いがあそこでアイスクリームを買って来てくれんか。足が悪うての」

 老オランは突然そう言って、リスザルのパラソルを指さして懐をごそごそとした。

「ほれ、お主の分もの」

 ドングリを三つくれた。


 え、ドングリ?

 何これ?昼の国のお金?

 使えるの?


「あ……はい」


 仕方ない。

 本当に足が悪そうだし、買って来るよ。

 柵沿いに行くと遠回りなので、公園の芝生を斜めに横切って、リスザルのパラソルでアイスを二個買った。

 ドングリは使えた。

 二つで二個買えた。


「ふむ」


 買ってきたアイスを手渡した。

 老オランはアイスを一口舐めて、嬉しそうな顔をした。

 余ったドングリは受け取らなかった。


「いただきます」


 ボクもベンチに並んでアイスを舐めた。

 ひんやりして美味しいや。バニラ味だ。

 お駄賃?ももらったしラッキーしちゃったかも。


「なぜあそこを通った?」


 長い杖で芝生の方を指しながらそう言った。

 え、なんでって、アイスを買うために決まってるでしょ?

 あ、もしかして芝生の中は入っちゃダメってこと?

 他の人も入ってるし、どこにも立入禁止って書いてないよ。


「なぜって、アイスを買うため」


 また何も答えてくれない。

 アイスを美味しそうに舐めたり眺めたり、手の指もしきりに舐めている。


 質問しといて無視かあ。

 それとも何、答えになっていないってこと?


 うーん、なぜあそこを通ったか?


「一番近いから」

「ほほ、近いからか。それそれ、それじゃ。近道を選ぶのお。ほ、ほ、ほ、ほ、ほ」


 え、初めてボクの答えに反応した。

 なんだか愉快そうに笑っている。

 何がおかしいかさっぱりわからない。


 近道したことがそんなにおかしい?

 そんなのわざわざ遠回りしないでしょ。

 当たり前じゃん。


 それとも大した意味はないのかな。

 会話を楽しんでいるだけとか。

 うちの母さんも内容のない話でよく長電話してるもんな。

 大人って皆そうなるのかな。


「今年も巣作りを始めたのう」

 頭の上を行き交う鳥の姿を目で追いながら、感慨深そうにつぶやいた。


 さっきから飛んでるのはツバメだろうか。

 食堂の軒先に巣を作っているらしく、クチバシに何かをくわえて何度も何度も往復している。

 巣作りって大変そうだ。

 あんな小さな口で泥や木の枝を運んで、一体何日かかるんだろう。


「ひとつ運んで、またひとつ。ほほ」


 老オランはアイスの最後一口を口に放り込むと、そうつぶやいてゆっくりと立ち上がり、ボクの顔を初めて覗き込んでニッコリと笑った。

 ボクは何を言えばいいかわからなかった。

「あ、ア、アイス、ごちそうさまでした」

 お礼を言ってペコリと頭を下げた。


「真理は二度目に知るじゃろう」


 そう言い残して杖をつきながら、重そうな体を引きずるようにして、ゆっくりと大聖堂の中へ入って行った。


 ???

 シンリは二度目に知る?

 シンリって、心理?いや真理か?

 二度目って、はあ?


 変な人。

 でもアイスおごってもらったからまあいいか。


 駅に戻ろうとさっきの帽子屋の前を通った。カンカン帽が声を掛けてきた。


「あ、さっきのお兄さん。帽子しっかり似合ってるよ」

「あ、はい」

「ずいぶん賢者さまと話してたね」

「ケンジャサマ?」

「あのお方はサル一族の大長老、8番大聖堂の賢者さまだよ」

「え、偉い人なの?」

「偉いっていうか、何でもご存知のお方」

「何でも?」

「そうさ、その人を見ただけで何でもお見通しさ。過去も未来も」

「え、そうなんですか」

「なんか言われた?人の心が読めるって言うのかな。とにかくすごいお方だよ」

 心が読める?

「来年、二百五十歳を迎えられるんだ。街で盛大なお祭りを計画してるから、よかったらお兄さんも来てよ」


 二百五十歳!


 誕生日に街でお祝いするほどすごい人だったのか。

 ボクは慌ててノートを取り出し、賢者さまが言った謎の言葉を忘れないうちに書き留めた。

 どんな深い意味があるかどうかわからないが、書き残しといた方がいいと思った。


 グワーン、グワーン、グワーン……


 その時、大聖堂の鐘が何度も響いた。

 列車の修理が終わったようだ。

 戻らなくちゃ。


 しかし謎の言葉ばっかし。

 全然意味がわかんないや。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る