昼の国-3 フアンノカオ

 昼の8番駅は川岸の土手の上に建っていた。線路向こうに大きな川がゆったりと流れている。

 駅前の広場には真ん中に鉄柵に囲まれた小さな公園があり、その向こうには古めかしい建物が二つの尖塔を空に突き出している。

 多分あれが大聖堂だろう。

 湿度が高いのか、川風が運んできた重い空気が体を包む。


 左の方に目をやれば小高い丘の上に、教科書で見た古代神殿を思わす建造物があり、ドーム屋根の先端を金色に輝かせている。

 あれが宮殿だな。大王さまがいるのはあそこか。

 でもやっぱり遠いや。確かに歩いては行けそうにない。


 駅舎から一歩出た。

 暑い。真夏の日差しが降り注いでいる。

 暑さにたまらなくなったので体操着を脱ぎ、半袖シャツ一枚になった。

 階段を降りて広場に出る。

 目の前の公園の真ん中には噴水があって、上を向いたブロンズ色の魚の口から吹き出した水が、強い日差しの中できらめいている。

 噴水を取り囲むように広がる芝生にも、燦々と日の光りが降り注いでいる。

 公園の周囲には鉄の柵沿いに連なるようにして、色とりどりのパラソルを立てた店が並んでいた。


「おーい、そこのお兄さん。帽子はいかが」


 帽子屋が声を掛けてきた。

 カンカン帽を斜めに被ったワオキツネザルだ。白と黒の縞模様の長い尻尾をピンと立てている。


「この日差しじゃあ帽子被んないと倒れちゃうよ。どうぞ見ていってよ」

 パラソルの下にはたくさんの種類の帽子が積まれている。

 確かに日差しがきつい。どうしよう、買おうか。

「どんなのがお好みで?」

「一番安いのはどれですか?」

「だったらこの辺だね」

 ゴム紐がついた麦わら帽子が積んであった。手に取ってみると確かにちょっと安っぽい。

「他の色は売れちゃって、赤しか残ってないけど」

 赤いリボンがついてある。でも安いならこれでいいや。

「おまけしとくよ」

 白い石五個もした。本当にまけてくれたのかな。どこにも値段が書いていない。


「いろんな店が並んでますね」

「そうだね、この辺で商売してるのはサル一族が多いんだ。隣がクモザルの絵葉書屋だろ、あっちがスイカ売りのテナガ、向こうがアイス屋のリスザルだよ」

 サル一族か。確かに商売が上手そうだな。

「ここはどんな街ですか?」

 特に降りる予定のなかった駅だ。

「どんな街って、小さな街だけど大聖堂を見に人が来るよ。街自慢の建物だからね」

「あー、ボクは列車が止まっちゃって」

「らしいね。さっき来た人も言ってたよ。しばらく時間がかかるんだろ?せっかくだからぶらぶらしていったら?」

 そうだよね。しばらく時間をつぶさないとな。


「お兄さん、ばっちり似合ってるよ。まいどありー」


 さっそく買った帽子を被り、辺りをぶらついた。サイズは丁度いい。

 大聖堂の前に立った。改めて下から見上げてみる。

 石造りの建物は凝った彫刻が施してあって、長年の風雨に耐えてきたような歴史を感じさせる。空に突きだした二つの尖塔も石造りで、その真ん中に大きな鐘がひとつぶら下げられてある。

 建物の前では一輪車乗りが曲芸をやっていて、その横の日陰ではタヌキの子供たちがタップダンスを踊っている。他にも大道芸人たちが観光客相手に人だかりを作っていた。


 しかし暑い。

 二つの太陽が照りつける。

 帽子を買って正解だった。


 広場の木陰にベンチが並んでいるが、涼んでいる人たちで埋まっている。でっぷりとしたオランウータンの隣がひとつだけ空いていたので、そこに座った。

 やれやれ木陰に入ると暑さも少しはましだ。風も幾分吹いている。

 ベンチに座って人だかりの方をぼんやりと眺めていた。


 はー、自分は何者か、か。


 いい加減に決めないと消されちゃうもんな。

 あーでもいくら考えても浮かんでこない。

 早く答えがわかる方法はないかな。

 ムダなこと考えたくないしな。

 でもこの暑さじゃなあ、全然浮かんでこないよー。

 考えが浮かばないのを暑さのせいにした。


 ボクは足元に落ちていた木の枝を手に取り、座ったまま屈み込んで地面に落書きした。

 絵でもない文字でもない。意味のない線や形を書いては消す。


 はー、自分は何者か……


 カナリア男や大男のこと、クラス仲間のことも、いろんなことが頭の中をグルグルするが、一向に考えが浮かんでこない。

 そもそもなんで生まれてきちゃったんだろう、そんなことまでが頭をよぎっては消えた。

 気づけば手にした木の枝で、しきりに地面を突っついていた。


 はー、ボクは一体、何者なんだよ。


「フフ、ドウシタ」


 ボソッと声が聞こえた。

 すぐに横のオランウータンを見たが知らん顔をしてじっと前を見ている。

 周りを見渡したが近くには誰もいない。


 今何か言った?

 なんて言った?

 あなたが言ったの?


 なんだこの人は。


 オランウータンは何も言わずじっと前を見たままだ。

 違うのかな。

 誰が言ったんだろ?

 気のせい?

 まさか。


 仕方なくボクも前を向いた。

 しばし時間が流れた。


「フアンノカオジャ」


 声がまた聞こえた。

 間違いない。このオランウータンが言った。

 確かに言った。低い声でボソッと言った

 もう一度見たが、じっと前を見たままだ。

 目線を合わせようとしない。

 今、フアンノカオって言ったよな。

 何?どういうこと?


「ボクのことですか?」


 こちらの問いには何も答えない。

 なんだよ、気になるなあ。

 

 改めて隣のオランウータンをよく見てみる。


 黒い顔には何本もの深いシワが走り、顔の横の出っ張りは大きくぶ厚くて威厳を示すかのようだ。片方の瞳が白く濁っている。 

 茶色の頭の毛はやや薄くなっているが、豊かな金色の口ヒゲとアゴヒゲを長く伸ばしている。

 小豆色の修道服を来て、手には節くれだった長い杖を持っているが、ほとんどじっと動かない。


 相当の年齢だな。

 なんだ、老人の独り言か。

 ははあ、ボケてんのかな。


「ボケてはおらん」


 え、びっくりした。

 ボクの心の声が聞こえたの?

 今度はすぐに反応した。

 なんだこの人は。にわかに興味が沸いてきた。


 ボクは黙って次の言葉が出てくるのを待った。

 夏の日差しがジリジリと音を立てている。

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