夕暮れの国-1 荒野の墓標

 タイリク四つめの国、夕暮れの国に入った頃から乗客の姿はめっきりと減り、賑やかだった昼の国とは打って変わって車内が静かになった。

 ボクが乗るこの車両も今は三人ほどが、一人それぞれ窓辺の席で揺られているだけだ。


 夕暮れの国の太陽も二つあるようで、右の窓と左の窓それぞれに、大きく傾いた夕陽が空を赤く染めている。

 車内には両側から夕陽が射し込み、ほとんどの座席がカーテンを引いていた。


 昼の20番駅でアルマジロ親子が降りてからは、しばらく話し相手がおらず、ボクはカーテンの隙間から夕景を眺め、お母さんの話の続きを思い出していた。


「お金?まあ生活していく分には必要よ。無けりゃ無いで困るし、有ったら有ったでまた厄介だしね。ほどほどね、ほどほど。

 でもお金が一番大切かって言われたら、そりゃあ違うわよ。え?何が一番かって?そんなの家族に決まってるじゃない」


 家族が一番大切?

 お金よりも?

 自分のことよりも?


 ボクもいつか家族を持つのかな。

 家族を持つと考え方も変わるのかな。

 どうなんだろ。


 家族か……


 母さんはどうしてるだろ。

 アルマジロお母さんは子どもたちが宝物って言ったけど、うちの母さんはどう思っているのかな。

 風邪気味の時も早く起きて、毎朝ボクのお弁当を作ってくれている。

 当たり前のように思っていたけど、母さんは心の中で毎日何を考えてるんだろう。


 父さんはどうしてるだろ。

 小学校の時ほど一緒に遊ばなくなったし、最近は毎日帰りが遅い。

 土日はゴロゴロ寝ていることも多いし、仕事ってそんなに大変なのかな。

 家族のために働くって、どんな気持ちなんだろ。


 弟はどうしてるかな。

 こっちに来る前の晩に、ゲームのことでケンカしてそれっきりだ。早く仲直りしないとな。

 カメキチにちゃんとエサあげて、水換えてくれてるかな。


 ……皆、元気かな。



 列車は走り続けている。

 列車は四つの国を横断すると、ゼロの駅に戻るのだと車掌さんは言った。

 いよいよカウントダウンが始まったような気分になり、焦りの気持ちが高まる。 

 焦れば焦るほど益々自分のワカンナがわからなくなっていた。


 重い気分に沈んでいると、車掌さんがやってきた。

「お決まりになりましたですか」

 ボクは黙っていた。

「夕暮れの国に入って、さっき6番駅を過ぎました。残りの方は十人もいらっしゃいませんよ」

 十人か……

 ボク以外全員降りてしまったら……

「あのう、夕暮れの国は何番駅までありますか?」

「ご乗車されている方の申告駅まで列車は走ります」

「今何番まで申告されてますか?」

「個人情報に関することなので、それはお答えできませんねえ」

 申告駅まで……

「最後の申告駅に着いたら……ゼロの駅に戻るって……ことですよね?」

「はい、左様です」


 もうそんなに時間はない。

 ゼロの駅に戻ってしまうと……

 どうなってしまうか、それはわかっている。


 重い沈黙を破るように車掌さんが口を開いてくれた。


「もう何年になりますかねえ。わたくしは随分と長い間この仕事をしております。

 元々は小さな池の近くで生まれましてね。本当に何にもない所でして、食べ物にも事欠く始末でねえ。

 あまりの空腹に、近くにあった祠のお供え物を時々つまんでいたんですが、ある時見たこともない白くて丸いものがあるじゃありませんか。それがわたくしとゆで玉子の出会いです。

 それですっかり玉子好きになってしまいましてね。列車の運行中はいつもゆで玉子をいただいております。


 なんでも玉子は命の象徴だとか。この世に誕生した最初の形。

 大王さまのお言葉にこういうのがあります。


『生きるとはゼロに戻りし旅路なり』


 ゼロで始まりいずれゼロに戻るわけだから、何をしても無駄と考えるか、いつかゼロに戻ろうともその過程に意味を持たせるか。 

 大王さまはそのことを問うていらっしゃるのです」


 諭すように語ってくれる車掌さんの話を、ボクは真剣に聞き入った。

 

「そんなひもじい日々を送っていたのですが、いつまでもこんなことを続けてちゃいけない、こんな狭い所にいてもしょうがない、せっかくなら大きな世界を見てやろうと思い立ち、池を飛び出してこのタイリクにやってきたのです。

 大切なお供え物を失敬してたのは遠い昔のことですよ、昔々のことです。お許しください」


 ふふふとボクを見て笑った。

 きっとこの車掌さんにもいろんな過去があったのかな。大人って皆いろんな歴史があるのかもしれないな。


「〝あまたの旅の記録係〟と名乗らせてもらっていますが、様々なお方のワカンナを聞かせていただいて、実はわたくしが一番楽しんでいるかもしれませんねえ。まだまだずっとこの仕事を続けたいと思っております」

 車掌さんが喜びを押さえきれないような顔をした。

「そりゃあ、いろんな生き方があるわけですから勉強になりますよ。ああそんな考え方があるのか、そんな生き方があったのかとね」


 そんなものなのだろうか。

 でもやっぱり今のボクにはわからないことの方が多いや。

 いろんな生き方って言われても……


「大聖門に書かれてありましたでしょ」

「ダイセイモン?」

「タイリクの入り口に立つ、ゼロの大聖門。

 そこからお入りになったんでございましょ?」

 ああ、あの大きな石の門のことか。確か象形文字みたいなのが書いてあったな。

「大聖門にちゃあんと書かれてあります。『さあ行かん 汝の道を』と。大王さまの一番有名なお言葉です」

「さあ行かん、なんじの道?」

「左様です。貴方は貴方の道を行きなさいという意味です。人それぞれ違う道があるんです。その自分にしかない道を、行き当たりばったりではなく、自分でしっかりと目的を決めて歩んでいきなさいと、そう大王さまはおっしゃっているんです」


 あなたの道を行きなさい、か。

 あなたの道……自分の道……

 それを今ずっと考えてる。


「おひとついかがです?」

 車掌さんがポケットからゆで玉子を取り出した。

「え、爆発するんでしょ」

「全部が全部爆発するわけじゃありません」

 そりゃそうでしょうけど。

「安全を選ぶか、冒険してみるか」

 ……。

「人生はチャレンジですからねえ」

 爆発するかもしれない危険を侵してまで玉子の殻をむきたくなかったし、殻ごと食べる勇気もない。

 ボクは黙って首を振った。

「左様ですか、そりゃあ残念」

 車掌さんが首を振って車両から出ていった。


 パン!


 小さな破裂音と「あっちー、あち」という声が扉の向こうで聞こえた。



 少しして前方から白いワイシャツ姿の男が車両に入って来た。

 シャツを肘までまくり上げて、ネクタイはしていない。メガネをかけてスーツの上着を手に持っている。

 どこからどう見ても典型的な日本のサラリーマンだ。

 元の世界では珍しくもなんともない格好だが、こちらで見ると実に奇妙な感じがした。

 普通のものを見て珍しく感じるとは、ボクもすっかりこっちの世界に馴染んでしまったようだ。


 男は適当な席を探しているのか、左右を見回しながらこっちに近づいて来る。

 ボクと一瞬目が合ったが、通り過ぎて後ろの方へ歩いていった。

 目が合った時、男は一瞬驚いたような顔をした。


 夕暮れの国の町は一つひとつがさほど大きくはなく、駅の周辺に数軒の家が肩を寄せ合っていて、町を抜けると赤土の荒野が延々と続く。

 それは大自然の雄大さというより、今のボクには荒涼としたうら寂しい風景に見えて仕方がなかった。

 さっきは無数のアリ塚の群生の中を通り抜けて来た。大きいものは人の背丈以上もある。

 夕陽に染められて立ち並ぶ大小様々なその姿は、まるで消されてしまった人たちの墓標のように見えて、ボクの気持ちを更にブルーにした。


 本当に消されちゃうんだろな。

 早く、決めなきゃ。

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