朝の国-1 異形の大男
「おい、少年」
声がした。
この列車に乗って何日か過ぎたように感じるが、こっちの世界では時間の感覚がわからなくなっている。薄目を開けてみると、窓から見える空が白み始めている。
長い夜が続いたが、やっと朝を迎えたようだ。
元々朝起きるのは苦手だ。いつも母さんに怒られている。
「おい、少年!何度も言わせるな」
上から聞こえる太い声に、やっと目が覚めた。
顔を上げてドキリとした。
巨木のような大男が通路に立ってボクを見下ろしていた。車両の天井につかえた頭を窮屈そうに屈めている。
うるさいと文句を言った後ろの席の男だった。
ボクは何かされるのかと思い、咄嗟にカバンを抱えて身構えた。あまりの体のサイズの違いに、動物的直感が身の危険を感じ取った。シンプルに大きいものは怖い。
「バカ野郎。悪さはせんわ」
そう言って大男は、カナリア男が座っていた向かいの四人席にドッカと腰を下ろした。
窓の外は薄いピンク色に変わっていた。やはり夜が明けてきている。
改めてその男を見る。
身長は二メートルを悠に超えている。座っても座席から頭三つ分ぐらいが突き出ていて、折り畳んだ膝が四人席の向かい席につっかえている。
フードのついたグレーの上着と黒いズボンの上からも、骨太の骨格と筋肉隆々の身体が想像できた。
特に肩と胸元が大きく盛り上がり、太ももはボクの胴回りよりも太い。靴は泥だらけの傷だらけで四十センチはありそうだ。
フードに隠れて顔はよく見えない。
「さっき黄色いのと夢の話をしてただろ」
まだ文句を言われるのか。ここは謝っておいた方がよさそうだ。
「大きな声ですいませんでした」
「いやいや、ワシもつい声を荒げてすまんかったと思うてな」
え、意外な展開。
「いや、なんだ、夢は叶うとか言いやがったからな、つい声を上げてしもうた」
「……」
「夢なんぞ叶うもんかい。そう言いたかったんじゃ」
「夢は叶わない?ですか」
「ほうよ。夢は所詮夢なんじゃ」
「は、はい」
大男の迫力に反論なんかできず、ボクは話を合わせた。
「叶わんから夢というんじゃ。ほうじゃろ」
「あ、はあ……」
やっぱりそうなのかな。夢を叶えるって、そんな簡単じゃないよね。
「あの、ボ、ボク、間違ってこの列車に乗っちゃったみたいで、その、ワカンナを決めないといけなくなったみたいで、さっきの人は自分のワカンナを説明してくれてたというか、そのう……」
「なに?ワカンナをまだ決めとらんのか」
「あ、はー、はい」
「間違えて乗ったって、一体どっから来たんじゃ」
「いや、それがよくわからなくって……あっちの世界?って言われましたけど、そんなこと言われても……それでボク、困ってて」
「ふーん」
そう言ったきり、しばらく大男はボクを観察してるようだった。
「ふん、夢なんてもんは叶うわけがないんじゃよ。夢は夢じゃ、見るだけ無駄じゃ」
大男が再び口を開いた。
目深に被ったフードの下からボクの反応を探っているようだが、表情がうかがえない。
「ワシがそうじゃ。なんなら、ワシの話も聞いてみるか」
そう言うと大男は被っていたフードを脱いだ。
ボクは目の前に現れたその男の顔から目が離せなくなり、体が固まった。
伸び放題のモジャモジャ頭。エラの張ったゴツゴツとした顔の真ん中に、ギョロリとした目がひとつだけあった。
「驚いたか。そうかワシらのような者を見るのは初めてか。ボッフォフォフォフォ」
一ツ目の大男が豪快に笑った。
「あ、あ」
言葉に詰まった。
「そんなに驚かんでもいいじゃろ」
「す、す、すいません」
「まあそのうち慣れるわ」
確かに驚いた。その巨体が放つ迫力といい、初めて見たその容貌にボクは正直たじろいだ。
「お前ら人間の目は二つ。ワシらはひとつ。夢の話をする前に、その辺から話さんとならんのお」
なかなか言葉が出てこない。
「ふん。ちーと長い話になるかもしれんぞ。どうする?話を聞くか」
「は、はい。お、お、お願いします」
男の話を聞いてみることにした。
男の丁寧な物言いに、最初の印象よりは多少警戒心が和らいでいる。
そんなボクを見ながら、大男はこんな話を始めた。
ワシらの一族はの、大昔から森の奥の奥の山深い谷間の村に住んでおっての。普段は外の者とはめったに交わることはないんじゃ。
仕事は大概、木こりか炭焼きか蜂蜜とりをしての、森や山の獣を狩って暮らしておる。
大自然の中での暮らしに文句はないが、毎日が単調でな。同じようなことの繰り返しで変化や刺激がない。若いもんはつい街に憧れてしまうのよ。
まあそういうワシもそうだったんじゃがな。フォフォフォ。
うん?街のことを知ってたのかって?よーく知ってたわい。
一族の男はみんなタバコが好きでの。しかしこればっかりはワシらに作れん。
時々街からタバコを運んで来てもらい、ワシらの炭や蜂蜜と交換しておったのよ。
その運び屋の男から街の話はいろいろ聞いておったわ。
さっきお前もワシの顔を見て驚いただろ。まあ仕方ない。
ワシらは目がひとつだからな。お前たちとは違うからな。
けんど、驚くぐらいならいいんだが、自分たちと違うという理由だけで、ワシらを襲ってくるようなバカな奴らもいるんじゃよ。
何度も村が襲われた。人間は本当に傲慢で愚かな生き物じゃのお。
人間どもは小心者なんじゃよ。
自分たちと違うということで不安になりよる。不安を消したいから、自分たちと違うものは無いものにしてしまおうと考えよる。
自分らが一番偉いと思うとるんじゃの。
浅はかで哀れな大バカ者じゃ。
狂ってしまった人間の目を見たことはあるか?あれは恐ろしいぞ。
一番恐ろしいのは、自分たちが狂っとると気づいておらんことじゃ。
自分たちが正しいと信じこんどるからの。タチが悪いわい。
森の動物たちを見てみろ。
ジャコウウシはジャコウウシの、アカギツネはアカギツネの、トガリネズミはトガリネズミの良さがあるんじゃ。
誰も自分が一番偉いなんて思うておらんわ。
ワシら一族の第一の教えは「和をもって尊ぶべし」じゃ。
ワシらのような体格の大きい、力の強い者が暴れたら死人が出る。
ご先祖がそう考えて争いごとをせんよう村の掟にしたんじゃ。
皆、性格は温厚での、ワシもめったなことでは暴れたりせんわい。
だからの、バカな人間どもと無益な争いごとを起こさんよう、ワシらが森の奥へ森の奥へと住む場所を移していったんじゃ。
ほんに腹立たしいのお。
ボクの手の平ぐらいありそうなギョロリとした大きな目は、瞳の色が茶褐色できれいに澄んでいる。
その目を見開いたり時折すぼめたりしながら話を続けていた大男は、悔しそうに唇を噛んで、窓の外に一度目をやった。
ボクは大男の話にどんどん引き込まれていった。
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