夜の国-6 黄色の羽毛
「どうだった?」
席に戻ると目を覚ましていたカナリア男がニコニコと聞いてきた。
列車がゴトンと動き出す。
「両替できました。これ買いました」
リンゴを見せた。
「おう、良かったじゃん」
お腹がすいていたので、席に座るなりリンゴを一口かじった。
!?
バナナの味がした。
思わずかぶりついたところを見つめる。
見た目も食感も間違いなくリンゴだが、味がバナナそのものだった。
こちらでは人と動物の見分けがつかないように、食べ物まで見た目と違うのか。確かあのタコおやじがリャンゴとか言ってたな。
視覚と味覚のアンマッチに面食らったが、まあ味は悪くはない。
「コガネムシだったんですよ、両替所」
それも人間ぐらいの大きさの。
「ふーんそうか。知らない所へ行くって、初めて知ることがあって楽しいだろ?」
「え?でも知らない場所は不便だし、不安になるでしょ」
「それが面白いんじゃん!」
そ、そうかな。
面白い?不便とか、不安が?
「居心地がいいところにずっといたら、つまんないだろ。新しい体験とか発見とかないじゃん」
どうなんだろ。今のボクにはその感覚がわかんない。
でもそうか、さっき買い物できたのは嬉しかったな。
「そうやっていろんなことを体験したり、見て知って、夢を叶えていくんだよ」
夢……か……
夢は叶うって、ちょっとしんどい言葉だ。
そんな簡単に夢が叶うわけないよ。
たまたまあなたは運が良かったんだよ、きっと。
「本当に夢って叶うんですか?」
ちょっと意地悪な質問かなと思ったが、聞いてみた。
「何言ってるんだよ、夢は叶うんだよ!」
カナリア男が満面の笑みで答えた。
「うるせーーっ!!」
突然大声が響いた。カナリア男の後ろの席の大男だった。
「さっきから黙って聞いてたら、夢とかなんとかぬかしやがって。静かにしろ!」
窮屈に折りたたんだ両足は前の座席につっかえ、窓側にもたれ掛かるようにして四人席をひとりで独占している。
胸の前で両腕を組んで、フードを頭からすっぽりと被り顔を隠すようにしてさっきから寝ていた。
無精ヒゲが伸び放題の口元が見えるだけで、表情はうかがえない。
「うるさくしてごめんよ。悪かった、静かにするよ」
カナリア男は振り向いてすぐに謝った。
「ったくよー」
大男はそれ以上何も言わなかった。
「そっちの席に移っていいかい?」
カナリア男が通路に身を乗り出して、小声でボクに聞いた。
「は、はい。どうぞ」
断る利用もなかったので、ボクは向かいの席を手で示した。
四人席で斜めに向かい合って、ボクは彼の話の続きを聞いた。
二人とも大きな声にならないように注意した。
「確かに周りを気にしてなかったね。ごめんごめん。オイラが注意するべきだった」
「いえ、ボクも」
「君ともう少し話したいから話していい?」
「はい、ボクも聞きたいです」
「そか、ありがとう。良かった」
ふふ、と笑ったその笑顔はどこか人を惹き付ける顔に思えた。
「あのさ、相棒の話をしたろ?」
「はい、雷神さんでしたっけ」
「うん、あいつと別れた後さ、実は長い間歌だけじゃ食べていけなかったんだよ」
「そうなんですか」
「そうしたら相棒が先に売れ始めたんだよね。嬉しかったよ、ああ良かったなあって。でも悔しいというか、複雑な思いも正直あったんだ」
「……」
「食べていくにはお金が必要だろ。あの頃は本当にいろんな仕事をしたよ。朝の魚市場が一番きつかったね。寒くて、重くて、臭くって。でも歌やめたくなかったから、しっかり頑張ったんだ」
自分が苦労していた間に、友達が先に成功したのか。この人、その時は一体どんな気持ちだったんだろう。ボクだったら絶対に羨ましくて、悲しくなるな。
タカスギやマエダやユウタの顔が浮かんだ。
「歌の仕事は全然どこからもお呼びがかからなくてね。それでも歌うことを諦めたくなくて、人のいない川岸や海っぺりに行って一人で歌ってたんだ。ノドを鍛えておきたかったからね。そうしたらある日さ、犬が一匹いたんだよ」
「犬が?野良犬ですか」
「うん、多分ね。首輪してなかったし。白地に茶色のブチ犬さ。
オイラ練習のつもりで歌ってたんだけど、そいつ全然知らん顔でさ。だんだん腹立ってきて、情けなくなってきて。オイラの歌は犬も聞いてくれないって」
犬も聞かないって、そんな……
「そんでね、そいつを歌で振り向かせてやろうと思ったんだよ。おかしいだろ、オイラもどうかしてたんだと思うよ」
歌で犬を振り向かせるって……それは無理でしょ。
「そのブチ犬の心にさ、何かを届けようと思って一生懸命考えながら歌った。二曲三曲と。そしたらさ、そいつがね、オイラの方を見て尻尾を振ったんだよ。そう、言葉なんか通じるわけないよ、たまたまだと思う。でも舌をハーハー出して尻尾を振ったんだよ」
「ホントですか?」
「うん。それで気づいたんだ。それまでのオイラって、ただ歌って自分が気持ち良くなってただけだった。それで満足してた。どうだ上手いだろって。ただの独りよがりだったんだよ」
好きなことをやるんだったら、それでいいんじゃないのかな。
自分が満足してちゃダメなのかな。
「歌を仕事として、お金をもらって歌うんだったらそれだけじゃダメなんだ。聞いてくれる人の心に何かを届けなきゃダメなんだって。そう気づいたんだよ」
心に?何かを届ける?
「そこからだよ、少しずつ歌の仕事が増えていったのは。あの犬のおかげでオイラはちょっとわかった。総ての仕事のゴールは誰かを元気にさせたり、笑顔にすることなんだって」
仕事の、ゴール?
そんな言い方、初めて聞いた。
仕事にはゴールがあるってこと?
ゴールまで行かないとダメってこと?
それが誰かを元気づけたり、笑顔にすること……なの。
「ほら、これ」
ボストンバッグの取っ手に犬のマスコットがぶら下がっていた。
「あの時の気持ちを忘れないように、いつも着けてるんだ。たまたま市場で見つけたんだけど、あの時のブチ犬に似てたから買ったんだよ」
そう言って笑ったカナリア男はいい顔をしていた。
「オイラは歌うことを捨てなかったし、諦めなかった。だから諦めずに追い続ければ夢は叶うって、オイラは言ってるんだよ。オイラが証拠さ」
実体験に基づく話の説得力にボクは言葉を返せないでいた。
「君もいつかコンサートに遊びに来てよ。じゃあね」
しばらくして列車は夜の7番駅に到着し、カナリア男が降りていった。
夢追い人か。
彼が座っていた座席に、黄色い小さな羽毛がひとつ落ちているのを見つけた。
ボクはそれを指先で摘まんでくるくるとさせながら、彼が話してくれた内容を最初から思い出していた。
左の窓から見える青い月はまだ高い位置にあり、右に見えている赤い月は地平線に沈もうとしている。
走り続ける列車の進行方向の空が、ほんの少し明るくなり始めてきた。
ボクはカバンから音楽の教科書を取り出して中ほどを開き、その黄色の羽毛を挟んで、そっと静かにページを閉じた。
列車の振動がガタゴトと足裏から伝わってきている。
次回、列車は朝の国へ
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