夕暮れの国-4 雨にぬれても
この人に聞いてみようと思った。
「昼の8番駅は降りましたか?」
「え?あー、いや」
おじさんは首を横に振った。
「大聖堂の賢者さまって人に出会って……」
ボクはカバンからノートを出して、賢者さまの禅問答のような言葉をどう思うかを、おじさんに聞いてみた。
「どう思います?全然ボクには意味がわからないんですけど」
「何て言われたって?うんうん、まずフアン?フアンは不安だろうな。それから、ショータイム?ショータイム?って言ったの?本当に?で、それを知ることからって?
その後が、雲が風に流されてるか……」
おじさんが目線を上の方にやり、ふふんと鼻を鳴らした。
「そうだったね。あーいや。そうか、それは難問だな。
うん、なんだろうね。面白そうだから、一緒に考えてみようよ」
そう言ってボクの目を真っ直ぐに見て微笑んだ。
「最初に声をかけられた時、君はどんな風だった?」
声をかけられた時、か。
あの時ボクは日陰のベンチを見つけてそこに座った。その隣にたまたま座ってたのが、賢者さまって呼ばれてるオランウータンだった。
で、ベンチに座って、自分が何者かをしばらく考えていた。早く答えないと消されちゃうって焦っていたし。
「ベンチに座って、ずーっと考えごとをしていました。なんかいろんなことを」
「いろんなこと?」
「はい、一番はワカンナのこと。自分は何者かって」
「そか、今も答えが出ていないんだよね」
うん。今も、そう。
「だったらその時の君の顔が、不安そうに見えたんじゃないかな」
「不安そうに?」
「深刻な顔してたんじゃないの?」
それはそうかも知れない。暗い顔をしてたかも。
「で、その次の言葉がショータイムっていうのがつながんないね。
多分それは聞き間違いで、ショウタイ、正体って言ったんじゃないかな?」
「正体?ですか」
「そうさ、不安の正体」
「不安の正体?……賢者さま、それを知ることからだって言いました」
「だろ?じゃあやっぱりそうだよ。不安の正体は何だ?って意味だよ」
不安の正体?
「何となく不安ってのが一番手に追えないし、解決のしようがないんだよね。だって何を不安がってるか自分でわかってないんだもん。何の病気か判らないと治療法が決まらないように、何となくどこかが痛いんですと言っても、お医者さん何も出来ないだろ?」
あ、そうか。
いやでも、その何となく不安というのが実は一番大きいような気がするんだけどな。
「だから自分が何を不安がっているかをはっきりさせないと解決できないんだよ。何となくのまま放置してちゃ、いつまで経っても不安のままだよ。不安な気持ちになったらその正体を見極めよ、そういう意味じゃないかな」
不安の正体を見極める、か。
中学に入ったぐらいから、その何となく不安ってやつが膨らんできた。
正体は何だろう。
自分の将来のことを考え始めたのかな。
「将来が不安です」
「なんで?」
「だって見えないし」
「そんなの誰にも見えないよ」
「え……」
大人でしょ?
「大人になっても見えないんですか?」
「自分の未来や将来なんて見えないさ」
おじさんはきっぱりそう言った。
ショックだった。
大人になったらいろんなことがわかったり、見えたりするんじゃないの。
「まあ簡単に見えても困るしな。未来は自分の力で変えていくもんだし。そうかあ、そうだよな、ふふ」
おじさんはよくわからないことを言って、自分で笑った。
「タカシくん、目指す頂上は決まってるのかい。どの山に登るか」
「頂上?山?」
「自分が何をやりたいかだよ」
それが決まってない。
カナリア男の顔が浮かんだ。
彼は歌の山を目指したってことか。
まず山を決めることから?
「目指す山が決まれば、努力の方向性が見えてくるよね。目指す山がまだ決まってないんだったら、自分の可能性を決めつけずに、まずは目の前のことを一生懸命にやってみる。それもひとつだろうな」
可能性か、ボクにも本当にあるのかな。
目の前のことって言われてもピンとこない。
自分が何者かって探せば見つかるのかな。おじさんみたいに外国にいっぱい行けば見つかるかな。でもそれはもっと先のような気がした。
「ボクもいつか、おじさんみたいに旅にいっぱい行こうと思いました!」
おじさんは微笑んだだけで何も言わなかった。
「で、雲が風に流されるか。これがよくわからないね。わざわざ当たり前の道理を言ったとは思えないし。
その時君はどうしていたんだっけ?うん、ベンチに座って、ふんふん、地面にずっと落書きしてたのか。ふーん、だとしたら、これは僕の推測だけど、その言葉の意味というより、その時の君の様子を見て何か言いたかったんじゃないのかな」
「様子?ですか」
「うん。不安や心配ごとを抱えてる時って、ついついうつ向いたり下を向いちゃうだろ。それじゃ良い考えも浮かばないんだよ。だから無理にでも顔を上げて背筋を伸ばしなさいって、そう言いたかったんじゃないかな」
そう言われれば、確かにあの時ずっと下を向いていたと思う。
「僕もさ、毎朝仕事に行く時はさ、顔上げて胸を張って歩くように心掛けてるよ。肩落としてちゃみっともないだろ。それじゃ運気も良くならないよ。
そういうもんだよ。ふふ、そういうもんだよな」
そういう意味?
顔を上げて?かあ。
その時、出発を知らせる長い汽笛が聞こえた。
「おっと、戻らないとね。続きは戻ってから話そうよ」
おじさんが伝票を持って席を立った。
レストランを出ると弱い雨が降っていた。
夕暮れの空にかかった雨雲は、厚くはなく切れ間が見えていた。多分、通り雨だろう。
「濡れて行くか」
「そうですね」
どのみち傘は持っていなかった。
霧のような雨の中を二人で駅まで歩き出した。
「レン ダプス フォリ オマヘ」
おじさんが知らないメロディを口ずさんだ。英語?
「なんですか、それ」
「え?ああ、雨にぬれても。古い映画の主題歌だよ。さっきピアノで流れてた。雨が降り出したことを知らせたんだろう。粋な選曲だな」
ふーん、よくわからないけど、鼻歌なんか歌ってなんだか嬉しそうだな。
おじさんが足早に前を歩く。
その背中を見て、ボクも遅れまいと足を前に進めた。
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