夕暮れの国-5 落日の終列車

 列車が動き出した。

 窓ガラスに張りついた無数の雨粒が斜めに走っていく。もう雨は上がっていた。


 おじさんとの会話が続いた。

「で、賢者さまが次に言ったのが、なぜ近道をしたかと、ツバメが巣を作っている、それと、真理は二度目に知る、だったね」

「はい、アイス食べたいから買ってきてくれって言われて、なんで近道を選んだって聞かれました」

「ふんふん。それは多分君の行動を見て、何かを説明したかったんじゃないかな。アイスが欲しかった訳ではないよ」


 ボクの行動?

 でも賢者さま、小さな目を見開いて、随分と嬉しそうな顔をして食べていたよ。アイスが食べたかった顔してたけどな。


「君がその道順を選ぶことを見越していたというか。この問い掛けはねえ、僕にも思い当たることがあるんだ」


 見越していた?

 じゃあボクは試されたってこと?

 思い当たるって、なに?


「僕もそうだったけどさ、若い時っていつも正解を早く欲しがったというか、近道ばかりを探していたように思うんだ。遠回りは絶対に避けたいというか。そんな考え方をしてた」


 確かに正解を早く知りたい。

 できるだけムダな努力はしたくない。

 そんなの当たり前じゃないの。


「巣作りって、親鳥は小さな枝や泥を何度も何度も口にくわえて運んでるだろ。そこには近道なんてないよね。少しづつ積み上げていくことでゴールに至る。だからそんな鳥たちから学びなさい。楽ばかりを考えるなよ、労を惜しむなよ。何事も経験だぞ。そういう意味なんじゃないかな」


 うーん、今のボクにはピンと来ない。

 鳥はくちばしでしか物を運べないからでしょ。

 ボクなら道具を使ったり、もっと楽に早く巣作りできる方法を考えるよ。


「アイスを買いに行くのに、違う道順を通った場合を想像してみてよ。遠回りになったとしても、君はそこで美味しいケーキ屋さんを見つけるかも知れない。可愛い女の子とばったり出くわすかも知れない。探していた本を本屋の店先に見つけるかも知れないだろ」


 それはそうかも知れないけど、そうならないことの方が多いよ。

 きっと。多分。


「一見ムダだと思うことが、実は何かを手に入れる機会になるかも知れないってことさ」

「……」

「数え切れない失敗経験が成功につながる。

 だから遠回りすることが一番の近道だって、一流のアスリートも言ってるよ」


 遠回りが近道?そんな矛盾したようなこと本当かな。

 でもそう言えば、アルマジロのお母さんも似たようなこと言ってたか。昔の辛い経験がいま役立っている、何でも考えようだって。

 でもやっぱりボクにはピンとこないや。


「で最後が、真理は二度目に知るか……」

 おじさんはそうつぶやいたきり、黙り込んでしまった。

 やっぱり難しいよね。大人にも全部はわからないか。


 ボクは窓辺にもたれて考えた。

 おじさんがいろいろ話してくれたこと。

 こっちの世界で出会った人たちの言葉。

 オレンジ色に染まった景色が次々に流れていく。


 さっき確か15番の駅で、この車両に乗っていた最後の人が降りた。

 その後、駅を幾つか通過した。

 列車がまだ走っているということは、他の車両にはまだ乗客がいるということだ。

 でももういつ降りてしまうかわからない。

 おじさんは黙り込んで窓の外をずっと眺めている。


 荒れ地を行く一頭のロバが見えた。

 ぽつんと。道に迷ったか、はたまたどこかへ向かっているのか。

 一歩一歩と歩を進めている。

 ただ一頭、どこかを目指している。

 その歩みはとてものろいものに見える。

 それでもただ真っ直ぐにロバは歩みを止めない。


 地平線から顔をのぞかせた夕陽が、ずっとボクを見ている気がした。

 夕陽はボクに何も言わない。

 夕陽は沈まずに、ずっとボクを見ている。

 夕陽は沈まず何も言わず、ただずっとボクを見続けている。

 オレンジ色に染まった景色が流れていく。

 変化のないオレンジ色の景色が延々と続く。

 同じ景色がただただ後ろに流れていく。


 沈まずにいる夕陽が何かを待っているように思えた。

 ボクが答えを出すのを待っているように思えた。



 カチリと小さな心の音がした。



 車掌さんが入って来たのが見えた。

 ボクはおもむろに手を上げて立ち上がった。


「車掌さん!車掌さん!」


 向こうにいた車掌さんが「はいはい」と振り向く。


「ボク、決めました!」


「ああ、そうですか、そうですか。やっと決まりましたか」

 フムフムとうなづきながら車掌さんは手帳を取り出し、ペンを持ってボクの前に立った。

「さてさて」

「次、何番ですか?」

「次は夕暮れの18番駅になります」

「……」

「?」

「えーと、はい。ボクはゼロの駅から乗りました。夕暮れの18番で降ります。そしてボクのワカンナは……」


 車掌さんの顔を正面から見据えて、一呼吸整えた。


「ボクは、〝何者かはまだ決めないことを決めた人〟です!」


「うん?」

 車掌さんがその大きな両目を見開いて一瞬固まった。

「決めないことを決めた人?はて、それはどういう意味でしょう」

 ボクの顔をのぞきこむ。


「自分が何者かは正直まだわかりません。決められません。

 いろんな人のワカンナを聞いて、大人は皆すごいなあと思いました。自分のやりたいことや大切にしたいことをちゃんと持ってて、すごいです。

 ボク、早く何者かを決めなきゃいけないってずっと焦っていました。焦って無理矢理決めようとしていました。

 でもそれだと本当のワカンナじゃない、その場しのぎのワカンナにしちゃいそうな気がしてます。それはイヤなんです。

 ワカンナを決めることが人より遅くたっていいので、人を羨んだり、人と比べたりせず、自分が何者かをしっかりと考えてから決めます。

 だから、今はまだ決めないことを決めました!」

 ボクは思い切って一気に告げたことに、軽く興奮していた。


「なんとまあ、そんなワカンナとは。ハッハッハッハッハア、なるほどふんふん。そんな考え方がありましたか。そんなワカンナは初めてですね。こりゃまたどうも、いやはや。

 うーん……まあいいでしょう、いいでしょう。ホッホッホッホッホ」

 一瞬考え込むように見えた車掌さんの表情が一気に崩れた。


 少々苦し紛れのような気もしたが、それは偽りのない今の率直な気持ちから決めたことだった。


「決められない今の自分をお認めになられたことは大きな成長ですね。自分と向き合い、身の丈を思い知ることは大事なことです。そこから一歩が始まるんですからね」


 確かにこんなに自分と向き合ったのは初めてだ。いや、これまでは自分と向き合うことから逃げていたのかもしれない。

 逃げてた理由はなんでだろ。怖かったのかな。今の自分を知ることが怖かったのかな。


「ほほ、列車に乗り込んで来た時と比べて、随分と顔つきが変わりましたな。ふふふ」

 そう言って車掌さんが笑った。

 横で黙って聞いていたおじさんも優しい笑みを浮かべている。


 何かを決めて前に進むことを知った。

 次の駅で降りれば何が待っているかはわからないけど、とにかくいつまでもずるずるとこのままではダメだ。

 何も変わらないし、何も始まらない。

 だから列車から降りると決めた。自分で決めた。



 列車が夕暮れの18番駅に停車し、ボクはホームに降り立った。

 他に降りた人は誰もいない。

 乗り込む人もいなかった。

 ホームにポツリと立ったボクを正面から夕陽が照らす。



「タカシ!がんばれよ!」


 振り向くと、窓を開けておじさんが大きく手を振ってくれている。その後ろに車掌さんの顔も見える。

 おじさんのメガネが夕陽を受けて白く光った。


 ゆっくりと動き出した列車に向かい、ボクはお辞儀をして目一杯手を振り返した。

 長い長い旅をしてきたような気がする。

 ここまでボクを乗せてきたタイリク横断列車が小さくなっていく。

 どんどんと小さくなっていく。

 

 ボクは見えなくなるまでその姿を目で追っていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る