夕暮れの国-3 夕陽のレストラン

「ここにしようか」


 二人で駅から近い一軒のレストランに入った。

 入口に受付があって、入ってすぐの壁際に古びたピアノが一台置かれてある。

 ボクの今の懐事情じゃ絶対に入れないような店だった。 

 食事時間にしてはまだ時間が早いのか、店内の客はまばらで、好きな席に座っていいと言われた。

 おじさんが見晴らしの良い窓際の席を選んだ。


「何でも好きなもの食べていいよ。どうせろくなものしか食べてなかったんだろ」


 こっちの世界に来てからはお金が尽きないよう、ずっとやせ我慢していたので素直に嬉しい。遠慮せずいただくことにした。

「はい!では、ご馳走になります!」

 メニューを見たが、見たことのない文字が並んでた。

「えっと、じゃカレーライス!」

 全く読めなかったので一番食べたいものを言った。本当に白いご飯にかかったカレーが食べたかった。

「カレーはないよ。こっちには」

 おじさんがウェイターに目配せして一旦下がらせた。


「でも、メニュー何書いてるか全然わかりません」

「僕も読めないよ」

「えっ、じゃあ注文どうするんですか」

「だいたいどこに行ったって同じようなもんだよ」

 メニューを指差しながら、おじさんが説明を始めた。

「まず前菜があって、この辺がメイン、下の方はデザート、こっちはドリンクだな」

 はあ、へー……

「メインは大抵、肉、鳥、魚に決まってるよ。ほらそれっぽいイラストがあるだろ」

 ふんふん、なるほど。幾つか絵が描いてある。

「あとは勘。まあ大ハズレはたまにしかないよ」

「勘ですか」

「適当に僕が注文していいかい」

「はい、お願いします」

 おじさんが手を上げ、ウェイターを呼んだ。


 窓からは海が見えた。

 沈まずにいる夕陽が,水平線からずっと半分顔を出して浮かんでいる。

 空も海も夕陽に赤く染められて、宙を舞っていた一羽のペリカンが海に飛び込んで小魚を捕まえた。

 海風が心地いい。波のない穏やかな海だった。


「ここ高いんじゃないですか」

 店の人に聞こえないよう、ボクは小声でたずねた。

「うーん、そうでもないかな」

「なんでわかるんですか」

「そりゃ、従業員の振る舞いとか、テーブルクロスの素材とか。使ってるグラスや、あとはお客さんの服装なんかだよ」

 へー、そんなところを見てるのか。ボクは改めて店内を見回した。

 大人っていろんなとこ見てるんだな。


 やがて運ばれて来た料理は、肉のステーキと鳥のグリル、炒めた野菜とフライの盛り合わせのようなものだった。

 どれも美味しそうで、こっちに来て初めて食べるまともな食事だった。

 思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。


「肉と鳥どっちがいい?何の肉かどんな鳥かはわからないけど」

「じゃあボク鳥にします」


 外国映画で観たクリスマスの七面鳥のようなものが、とても美味しそうに見えた。

 七面鳥を食べたことはないけど、こんがりと焼きあがり、バターでも塗ったのか表面がテカテカと光っている。食欲がそそられる。


「じゃあ僕は肉をもらうよ。少しずつシェアしようよ」

「シェア?」

「分けあうの」

 おじさんはステーキのちょうど真ん中辺りにナイフを立て、少しずらして切り分けた。

「こっちあげるよ」

 そう言って分けてくれた肉は半分以上あった。

「これはブタかイノシシの類いだな。うん、うまいうまい。この店アタリだ」

「そっちは多分、ワライドリじゃないか?こっちじゃ一番ポピュラーみたいだし」

 一口食べるとチキンのような味だった。肉汁があふれ出し、カリカリに焼けた皮とのコントラストが絶妙だ。


 うん、美味しいっ!


 ボクも切り分けようとすると、

「僕はいいよ。飲んだらあんまり食べないから」

 そう言って首を横に振り、「たくさんお食べ」と笑顔を見せた。

 おじさんはビールも頼んでいた。大きめのグラスに注がれたビールは、父さんが家で飲んでいるものと違って真っ赤な色をしている。

 よく冷えてそうで、おじさんは喉をゴクゴク鳴らしてうまそうに飲んだ。


「さっきみたいに店を決める時って、どうやって決めるんですか?美味しいかどうかわかんないでしょ」

「うん、まあ大体は勘でわかるよ。店構えとか外から見た雰囲気とか。あと地元の人が多く入ってる店に絶対にハズレはないね。安くてうまい」


 ボクは久しぶりの食事らしい食事に夢中になり、途中からは手掴みで骨付き肉を頬張りながらおじさんの話を聞いた。

 そうだ、鳥さんの命にも感謝しなくちゃ。


「テラス席にお客さんが二組いただろう。ヤギの老夫婦と、こっちは人間っぽい家族連れが。みんな普段着だった。だから近所の人たち。多分常連さんかな。それで味は大丈夫だと思ったんだ」

 メガネ男、いや、おじさん。良く観察してるな。


「タカシくん、旅は好きかい?」

 おじさんが唐突に聞いてきた。

「旅?ですか。旅、って言っても家族旅行ぐらいしか……」

 旅って旅行と一緒の意味なのかな。なんかちょっと違う気もする。

「ああ、そうか。その歳だったらまだそうだね」

 おじさんがふっと笑った。

「旅が好きなんですか?」

「うん、そうだね。若い頃に何度か外国へ行ったよ。食事の店選びだって、そんな旅を経験して覚えたんだ。貧乏旅行の身には食事が一番大事だからね」


 おじさんは若い頃の異国の旅の話を次々に聞かせてくれた。

 それはボクに旅への興味を抱かせるに充分な、ワクワクさせる話ばかりだった。


「荒野のど真ん中に立つその一枚岩のてっぺんに登ると、三百六十度の地平線を見渡せたんだよ。あれは地球が丸いってことを想像させた景色だった。体に強い風が吹きつけていたから、まるで地球の自転を体感したような感覚になったんだよ」


「クローズ間際の夜の展望台にエレベーターが着いた。そしたらさ、摩天楼の夜景が突然目の前に広がったんだ。ああいうのを宝石箱をひっくり返したようって言うんだろうな。真っ暗な空間にきらめく無数の光が目に飛び込んできた瞬間、体の中に稲妻が駆け抜けたようだった。その光景に圧倒されて、しばらくその場から動けなかったよ」


「その橋は大海原の真っ只中を真っ直ぐに伸びているんだよ。島と島とをつなぎながら、最南端の地までね。右にはエメラルドグリーンの内湾が、左にはコバルトブルーに広がる大海がどこまでも広がっているんだ。その真ん中を真っ白な橋が延々と伸びてる。あれは多分天国に一番近い風景だったんだろうな」


「乗った時から様子がおかしかったんだよ。助手席にいたもう一人がずっとニヤニヤしてて。それでホテルには着いたが裏口に車を停めて、案の定代金をふっかけてきやがった。夜遅くて周りには人通りがない。こっちもなけなしの金しか持ってなかったから、散々やり取りした挙げ句、最初の言い値からは大分下げさせたけど、それでも高かったよ。いるんだよ、そういうヤツらが」


「でさ、バスがわざわざ戻って来てくれたんだよ。キャンセルが出たからって、僕を乗せるためだけにだよ。あの時は泣いたね。嬉しかったよ。こんな何にもない所で野宿かよって、半ば諦めてたからな。ドライバーのヒゲの親父、カッコよかったなあ」


「旅はいいぞ。どこの国に行っても、いい人もいりゃ悪いヤツもいる。それでも旅に出た方がいい。若い時期にいろんなものに触れて、いろんな経験をした方がいいと思うな」


 ピアノの音が流れてきた。

 ここからは見えないが、誰かが弾き始めたようだ。

 軽快だけど少し憂いを含んだような、初めて聞くメロディだった。


 おじさんは手元のビールを飲み干して、お代わりをまた頼んだ。

 ピアノの音に合わせて鼻歌を歌っている。

 ボクはおじさんの話にどんどんと引き込まれ、ボクよりも多くの経験を積んでいる人に対する興味が、どんどんと膨らんでいった。

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