小説を書いていて「プロデビューしたい」と願わない人がいるでしょうか? それが「絶対に」であれ「あわよくば」であれ、ただの一度も考えたことがないという小説書きはほとんどいないと、私は思います。
本作は、プロ小説家として活躍されている一田さんによる、デビューのための実践論です。多数の作品を投稿するために必要となる速筆法、応募する賞の選び方といったお役立ち情報もありますが、それ以前に驚かされるのは投稿時代の応募数とその戦績。「これだけやる方がデビューできないわけがない」、そう思わされる内容となっています。
一田さんのおっしゃる受賞の「運」とは「確率」です。書いたからといってデビューの扉が開くとは限らないけれど、扉を開けたいなら書くしかない――そんなシンプルな真実が、読むと良く分かります。いま絶好調の方よりも、書いても書いても成果が出なくて諦めの気持ちが出てきている方に、おすすめしたいと思います。
これはロジカルに小説家の道へ近づく方法です。
作者自らが実践し、実績も出しているのでその辺の胡散臭い評論(つまり感想)とは説得力が段違い。今の自分が何をするべきかがわかる、試行錯誤を重ねたとてもエビデンスレベルの高い「論文」です。
間違った事は一つも書かれていません。小説家を目指すのであれば絶対に一読すべき。ちょっと長いのでつまみ食い程度に見たとしても十分為になります。(魅せ方が上手いし一話の文字数も丁度良いのでサクっと全部読めると思いますが)
この作品に目を通しておけば賞に落ちて才能を全否定された気分になった時、本屋の小説コーナーで嫉妬に支配される事がなくなります。
つまりモチベの維持にも繋がる、一粒で二度おいしい読み物です。
小説を書くのが好きな人を減らさない為の内容が詰まっています。全然受賞しないからもう辞めようかな……そう言うあなた、まずはこれを読んでくれ!
※以下、敬称略。
※引用は個人的記憶にて細部はご寛恕願いたい。
※本稿に提示される戦争または軍事行為はそれらの悲惨さ、無残さを踏まえたものであり扇動を意図するものではない。
カクヨムにおける創作論、プロデビュー論として最高級の品質であり文字通り非の打ち所がない。私自身、素晴らしく参考になった。その感謝と感激の意をまずは示したい。
作者の見識は、『完璧』だから素晴らしいのではない。『有意義』だから素晴らしい。特に、落選作品の使い回しについての実践・考察や、コンテスト当落結果そのものの数学的な検証、参考資料としての古典についての言及は白眉である。
その上で、こんな一節を思い出した。
『ああ、 そのことかね。覚悟はしとった。いや、あの暗殺事件とわしは関係ない。だが反総統派に同調しとったのは確かだ。
わしはな、もうヒットラーには愛想を尽かしておったのだ。
あの狂った男はわしが何度祖国の危機に対して忠告しても耳を貸そうとはしなかった。
“黙れロンメル! 余の戦略に修正はありえないのだ! 今に奇跡の新兵器ができるぞ。原子爆弾というものだ。これを使えば一発で戦局が逆転できる!”
わしは絶望した。これは世迷い言だ。総統はもう気が触れているんだ。そう判断する他なかった。
狂った総統が死ぬというのなら甘んじて死のう。滅ぶ祖国に生き長らえても仕方がない。誰だか知らないが電話をありがとう。(手塚治虫、『アドルフに告ぐ』、文藝春秋、『“ ”』の部分はロンメル将軍の回想場面)』
上記は、第二次世界大戦中に実際に起きたヒットラー暗殺未遂事件を元にした場面である。主人公の一人、カウフマン中尉が命令違反を覚悟でロンメル将軍へ逃亡を促す電話を行い、将軍がその電話に応じたものだ。
無論、作者や本作と引用元は一切関係ない。それから私は軍国主義者でも全体主義者でもない。念のため。しかし、少なくともこのままでは『日本』という一つの業界(!)が終焉するというのは私も意見を同じくしている。
哲学者の内田樹は、国民国家なるものがグローバリズムの前に事実上崩壊しつつあると説いた。作家の塩野七生は政治はデリケートなフィクションと喝破した。
ノンフィクションやドキュメントを別として、小説とは基本的にはフィクションである。本作の作者は、フィクションのプロとしての立場からノンフィクションを見据えられる非常に稀有な賢者だといえよう。自由の値打ちと恐ろしさを知り尽くし、追求しているのであるからロンメル将軍のように自殺を強要させられたりもしない。
もう一つ思い出した。第二次世界大戦の戦時遺構で、破壊されたトーチカ(鉄筋コンクリートなどで造った簡単な砦のようなもの)の写真だ。お断りしておくが、同大戦の意義や是非について云々したいのではない。そうではなく、トーチカの破壊のされ方『だけ』を取り上げたい。
そのトーチカは、小銃の弾丸だけで……爆弾や大砲の砲弾は全く使われずに……破壊されたという。本作はまさにその通りの内容であるともいえる。
また、『投稿戦線異状なし』とはいうまでもなく『西部戦線異状なし』を意識したものであろう。映画の背景となる第一次(※『二次』ではない)世界大戦は世界が初めて経験する消耗戦であり総力戦であった。どの国の兵士も、半年もたたずに勝って帰られると思い込んでいた。
本作の作者は、実力と努力に相応しい結果を勝ち取り、処刑も戦死もされずに済んだ。心から敬服する。
読めば必ずや、これは凄いと唸らされます。
まさに、タイトルどおりの戦線であり、あらゆるジャンルのコンテストというコンテストを転戦し続けます。エッセイやハウツーを超えた戦記ともいうべき作品です。
しだいに物語の創作や小説コンテストという小さな枠に留まらず、幸福とは人生とは? という大きなテーマまで突入していきます。そうです、作者様の転戦はまだ続いているのです。
読んでいて、何らかの偉人伝かと錯覚を覚えました。作者様は、あきらかに何らかの偉人ですよ。そこまでの執念、不仰不屈っぷりは尋常ならざる者です。その意味で、すでに物語の主人公に相応しい。
人間は、それぞれ各々が自分の人生の主人公などといいますが……。ここまで立派に主人公出来ているか? そのように問いかけられているようにも思えます。ちなみに、これを書いているボクは出来ていません。為になるというか、そのように己を振り返るきっかけにもなりました。考えさせられます。
ちなみに、作中で紹介される御自身のネット記事や著作も興味深いものです。いまげんざい「小説家デビューの相談受け付けます!」という企画が進行中ですが、よせられた質問にたいする、幅広く活躍されているプロならではの、的確かつ真摯な回答に感嘆の念を覚えました。お礼しないとバチがあたるよ、マジで!
小説を書く人であればだれもが一度は考える新人賞への投稿。しかし、誰もが考えるということは当然ライバルも大量ということ。無数の投稿作の中で埋もれることなく、いかにして頭角を現すか?
ここで普通なら一つの作品に集中してクオリティアップを図るなどと考えそうだが、この作者は全く異質の発想をした。
どうやっても選考には運の要素が絡むし、つまりは確率の問題である。だったら試行回数を増やせばいつかは当たる。つまり「数撃ちゃ当たる」と。
かくして作者による1年と九カ月の投稿戦線が幕を開けた。
ジャンルを問わずあらゆる新人賞に送り続け、その送った作品数はタイトルにもある通り圧巻の96本! ひと月に4本以上という超ハイペースで投稿している計算になる。
ここまでの本数を書くための速筆のメソッド、作品が落選したときのメンタルの保ち方、作品を書くためのアイデア捜しなど、作者がプロデビューに至るまでに行った具体的な執筆方法が紹介されている上に、選考でどのくらいまで進めば編集部から連絡が来るのか? 新人賞に使い回しはダメと言われるが実際はどうなのか? どういった賞に応募すれば作家として生き残りやすいのか? など投稿をする上で気になる疑問への回答も充実している。
現在ではWEB小説から直接デビューするケースも増えているが、やはり受賞デビューというのは魅力的。新人賞に投稿しようと考えている人は必読のエッセイです。
(新作紹介 カクヨム金のたまご/文=柿崎 憲)
非常に面白い観点から投稿と賞について切り込んだ体験談だと思います。
偶然と統計について詳しくなると、些細なことで一喜一憂しなくなる達観した人生哲学を手に入れられるような気がしますが、投稿にも同じことが言えるのです。
完全に余談ですが、Leonard Mlodinawという方の書かれたThe Drunkard’s Walkという偶然性と統計学について述べていた本がありましたが、作者様と非常によく似た考えを統計学の観点から述べておりました。小説、スポーツ、映画、ワインの格付け…どの分野にもある成功と失敗を人間は「必然」だと思い込みがちですが、常に偶然の存在を念頭に入れた方が良く、大切なのは失敗してもめげない努力と継続性という内容でした。
興味がある方は「たまたま 日常に潜む『偶然』を科学する」という邦題でダイヤモンド社から翻訳本が出版されてるので、是非読んでみて下さい。
個人的にはかなり人生に影響を与えた本でした。
(仮にもうすでに作者様やどこかの話の応援コメントが紹介してる本でしたらすみません。)
文庫本を本屋さんで手に取った時、本の上部が茶色く変色している
ような古い版でも定価で売られているのは普通です。その本の価値は
刷られた時といつまでも同等ではありません。値段では表せない価値の
上がるものと下がるもの、それはいつも変動しているのだと思います。
だから出版業界はどれほど低迷しているようでも強気なのだと思って
いました。生鮮食品業界だったら、変色したようなのはすぐ売り場から
撤去されるでしょう。
これを書いた方の出版業界でデビューするという堅い決意には本当に
頭を垂れて敬意を示すより他できることがなく、自分が公募で選ばれ
なかったことにも「つまらなかった」以外に何か理由があるのでは
ないかと思わせて下さいました。いや、つまらなかったんでしょうけど、
書きたいことがそれだったので仕方ありません。
デビューはできなくてもいいです。と言うか、こんな努力は私には
とてもできません。多分決意が甘いんです。
それでも100%で書いていたい。
私にはそれしかできないから、それでいいかなって思いました。
101話まで読ませていただきました。
その中で様々な場面で、そうだったのか、確かに身に覚えがある……と唸るところがありました。
使いまわしや、投稿回数による受賞確率など、計測によるご判断についても納得しました。
まさに「想像するな、計測せよ」の世界だと。
特に後半で、「古典へ目を向けてみよ、そこには著作権が切れた宝がたくさんある」のようなアドバイス、わたしも年間で読む本を古典に少し変えてみようと思い至りました。
なかなか最近アイデアが浮かばず、読むほうに専念しておりますが、何かひらめくものに出会えそうな気がします。^-^
勇気がでました。ありがとうございました!
小説賞への投稿というのは、想像以上の労力を要します。
まず執筆は、頭脳戦であり体力勝負です。
専業ならまだしも、学生なら学校、社会人なら仕事、家庭がある人なら家事と、公私全ての物事と並行して行われなければなりません。
やっと本編が完成しても、度重なる推敲に悩ましい文字数制限、そして便概作成が待っています。気が遠くなるような作業の連続なのです。
使い回しをするにせよ、作者様のように100回近く投稿するのは並大抵のことではありません!
しかしこれ以上に厄介なのは、「落選」するというプロセスを踏まねばならないということです。
やっとの思いで投稿して、焦がれる思いで結果を待っても、賞レース上では恐ろしい程アッサリ落選させられます。しかも第一関門の一次審査すら、全体の10パーセント程度の通過率という狭き門なのです。(これは賞によりますが)
巷には「一次で通らない作品は小説以下」という説が溢れていますから、普通の人がここで落選しようものなら、簡単に心が折れてしまうでしょう。
しかし、この作者様は違いました。
『新人賞受賞は運=確率!』という仮説のもと、度重なる試練にも心挫けることなく、受賞の栄光を掴まれました。
素晴らしいの一言に尽きます。
しかしそれだけでではありません。出版業界や小説家の今後、私達の未来についても警鐘を鳴らす内容も含まれます。
小説家を目指す方、新人賞投稿を躊躇っている方、もはや心が折れてしまい筆を折ろうかと(!?)考えている方に、是非読んでいただきたい作品です。