消耗戦と総力戦

 ※以下、敬称略。
 ※引用は個人的記憶にて細部はご寛恕願いたい。
 ※本稿に提示される戦争または軍事行為はそれらの悲惨さ、無残さを踏まえたものであり扇動を意図するものではない。

 カクヨムにおける創作論、プロデビュー論として最高級の品質であり文字通り非の打ち所がない。私自身、素晴らしく参考になった。その感謝と感激の意をまずは示したい。
 作者の見識は、『完璧』だから素晴らしいのではない。『有意義』だから素晴らしい。特に、落選作品の使い回しについての実践・考察や、コンテスト当落結果そのものの数学的な検証、参考資料としての古典についての言及は白眉である。
 その上で、こんな一節を思い出した。
『ああ、 そのことかね。覚悟はしとった。いや、あの暗殺事件とわしは関係ない。だが反総統派に同調しとったのは確かだ。
 わしはな、もうヒットラーには愛想を尽かしておったのだ。
 あの狂った男はわしが何度祖国の危機に対して忠告しても耳を貸そうとはしなかった。

“黙れロンメル! 余の戦略に修正はありえないのだ! 今に奇跡の新兵器ができるぞ。原子爆弾というものだ。これを使えば一発で戦局が逆転できる!”

 わしは絶望した。これは世迷い言だ。総統はもう気が触れているんだ。そう判断する他なかった。
 狂った総統が死ぬというのなら甘んじて死のう。滅ぶ祖国に生き長らえても仕方がない。誰だか知らないが電話をありがとう。(手塚治虫、『アドルフに告ぐ』、文藝春秋、『“ ”』の部分はロンメル将軍の回想場面)』
 上記は、第二次世界大戦中に実際に起きたヒットラー暗殺未遂事件を元にした場面である。主人公の一人、カウフマン中尉が命令違反を覚悟でロンメル将軍へ逃亡を促す電話を行い、将軍がその電話に応じたものだ。
 無論、作者や本作と引用元は一切関係ない。それから私は軍国主義者でも全体主義者でもない。念のため。しかし、少なくともこのままでは『日本』という一つの業界(!)が終焉するというのは私も意見を同じくしている。
 哲学者の内田樹は、国民国家なるものがグローバリズムの前に事実上崩壊しつつあると説いた。作家の塩野七生は政治はデリケートなフィクションと喝破した。
 ノンフィクションやドキュメントを別として、小説とは基本的にはフィクションである。本作の作者は、フィクションのプロとしての立場からノンフィクションを見据えられる非常に稀有な賢者だといえよう。自由の値打ちと恐ろしさを知り尽くし、追求しているのであるからロンメル将軍のように自殺を強要させられたりもしない。
 もう一つ思い出した。第二次世界大戦の戦時遺構で、破壊されたトーチカ(鉄筋コンクリートなどで造った簡単な砦のようなもの)の写真だ。お断りしておくが、同大戦の意義や是非について云々したいのではない。そうではなく、トーチカの破壊のされ方『だけ』を取り上げたい。
 そのトーチカは、小銃の弾丸だけで……爆弾や大砲の砲弾は全く使われずに……破壊されたという。本作はまさにその通りの内容であるともいえる。
 また、『投稿戦線異状なし』とはいうまでもなく『西部戦線異状なし』を意識したものであろう。映画の背景となる第一次(※『二次』ではない)世界大戦は世界が初めて経験する消耗戦であり総力戦であった。どの国の兵士も、半年もたたずに勝って帰られると思い込んでいた。
 本作の作者は、実力と努力に相応しい結果を勝ち取り、処刑も戦死もされずに済んだ。心から敬服する。

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