夜の国-2 あなたはナニモノ

「あの、しゃ、車掌?さん」


 ガマガエルに話しかけるのは勇気がいったが、男が車掌と呼んだのでそう呼んだ。

 ボクは降りたい。さっきの駅に戻りたい。


「はい、なんでしょう?」

「ボ、ボク乗るつもりないのに乗っちゃって、切符買ってません」


 この人に押されて無理やり乗せられちゃったので、そんなもの買ってない。

 だから無賃乗車じゃない。ボクが悪いんじゃない。

 

「は?」

「切符、ないんです」

「キッ?プ?」

「はい、すいません。気がついたら乗っちゃってて」

「キップって何ですか?」

「え?」

「ハア?」

 ガマガエルが首をかしげた。

「乗るのにいるでしょう?キップ」

「おかしなことを言ってますね。この列車は〝ワカンナ〟を申告すれば、誰だって乗れます」


「ワ?ワカンナ?」


 思わず大きな声を出した。

 ワカンナ、って何?

 言ってる意味がワカンナい。

 申告するって、どういうこと?


「えっ、あなた、まさかワカンナ決めずに乗っちゃったんですか?」

「え?あ、はい。え?決めずにって……え?」

「まずいなー。いやいやそれはまずいなー。まずいです、まずいです。それはまずいです」

 ガマガエルはわざと周りに聞こえるような声で、大げさに頭を抱えるようにして言った。

 車両に乗り合わせた人たちが一斉にボクの方を見た。


 そ、そんなこと言われても……

 周りがざわついている。

 なに、どういうこと?

 ボク、何がまずいの?


「いやー時々いるんですよね。そういう困ったお方」

「はあ?」

「ワカンナ決めずにタイリク横断列車に乗ったらダメでしょう」

 大陸、横断列車?

「子どもでも知ってる決まりですよ」

「大陸って、ここ日本じゃないの?大陸だったら、ユーラシア大陸?アメリカ大陸?それとも……」

「は?またまたおかしなこと言ってますね。ユ、ユラ?アメ?何?何ですかそれ。

 タイリクはタイリク。この世界にあるのはこのタイリクがただひとつ。タイリクには四つの国があって、今出発したのはゼロの駅」


 四つの国?

 ゼロの駅?

 何それ?


 向かいの男が腕を組んで、ボクたちのやり取りを黙って聞いている。


「あなた、おいくつです?」

 ギョロリとした大きな目が、ボクの全身を確かめるように見た。

「と、歳は十、十四です」

「でしょう。十四にもなって自分のワカンナ決めてないって、そんな。早く決めなきゃダメでしょう」

 そんなこと急に言われても。

「ワ、ワ、ワカンナって何ですか?」

「えー、ワカンナがわかんない?って。今まで何してたんですか、本当に。

 ワカンナとはあなたを表すものです」


 自分を表すもの?

 身分とか職業とかそういうこと?

 ボクって、何?

 え?


「言い方を変えましょうか。あなたはナニモノですか?」

 苛立たしそうにガマガエルがボクに顔を近づけた。


「あ、な、た、は、ナ、ニ、モ、ノ?」


 こわっ。


 何者って聞かれても、ボクって何者?

 そもそも何者って何?

 どういうこと?どういう意味?

 あー、全然わかんない。


「ちゅ、中学二年、ヒカリ中学の」

 苦し紛れにそう答えた。

「は?チュウガクって何ですか?」

「ちゅ、中学は中学」

 中学何って、ガマガエルそんなこともわかんないのか。

「もう何言ってるかさっぱりわかりません。他には?」

「他にはって……あ、その、タ、タカシです……」

「はあ?タカシ?それって単なるあなたの名前でしょ?名前なんて自分で決めてないじゃないですか。人に決められたものなんか、そんなの聞いても仕方ありません」


 名前聞いても仕方ないって、何をどう答えればいいの?

 もう意味わかんない。


「やれやれ。困りましたな。こんな方は久々だ、困った、困った」

 ガマガエルがあきれた様子で、「また後で来ます」と首を振りながら隣の車両へ歩いて行った。


「おい、ボウズ」

 ガマガエルを呆然と見送っていたボクに、向かいの男が口を開いた。

「オレは通信屋でい。誰かに代わって言葉を届ける。言葉ってのは人の思いだかんな。

 まあ思いにはいろいろあるだろうな。様々な理由があって人は手紙を書く。届けたい人がいるから手紙を書く。

 ワカンナは自分を表すもの。自分がこうありたいってものを言葉にしたものだ。

 だからオレのワカンナはよ、〝人の思いを届ける男〟なんだよ。

 くー、カッコいいね。どうだい、イキだろ?へへん」

 男は自慢気に両手で襟の合わせを正した。

「今日はよ、夜の1番駅の駅長さんから、この手紙たちを届けんのよ」

 男は手元の年季の入ってそうな皮カバンを軽くポンと叩いた。


 自分のなりたい姿を言葉にしたもの?

 それがワカンナ?


「夜の1番駅って言いました?」

「ああ、そうだよ。ゼロの駅を出ると、まず夜の国に入ってくんだ。夜の国はずーっとずっとずっと夜なんだよ。そん次が朝の国で、昼、夕暮れと国が続く。駅はな1番、2番って続くんだ。何番まであるかって?そんなことは誰も知んないよ。車掌だって知らないだろ。その時々で変わるんだよ。そういうもんなんだよ。こっちでは。

 まあ今日はすいてる方だから、この分だと夜の国は短いかもな」


 駅が幾つあるかわからないって、どういうこと?


「じゃ、ボウズ。そろそろ1番駅に着くからオレは行くわ」

 男は着物の袖をタスキ掛けしたかと思うと、素早く裾をたぐり上げた。

「オレさま、すこぶる足が速いんだぜ。ドアが開いたら速攻ダッシュでい。ヒン」


 男の下半身を見て驚いた。

 茶色の毛並みの見事な馬の脚だった。


 肩に担いだ棒の先に皮カバンをぶら下げて、男が席を立った。

 ボクは呆然とその後ろ姿を見送る。

 ポコポコと蹄の音が車両に響いた。

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