朝の国-4 束の間の喜び

「ほーれみろ。やっぱりヘラジカじゃ。一口でわかる。しかしうまいのお。ええハーブを使うとるわい。うまいうまい。ヘラジカに感謝じゃ」


 動き始めた列車の座席で、大男は片手の肉に食らいつきながら、もう一方の手で使い込まれたリュックの外ポケットをごそごそと開けた。


「おーい、起きとるか。おお、起きとる起きとる」

「ミーミー」と声がした。

 大男はそっと優しく何かをそこから取り出した。

 それは生まれたばかりの茶トラの子猫だった。

 大男の手の平、いや指先にしがみついて元気な声をあげている。

「ほれほれ、これを飲め」

 さっき拾った空き缶にミルクを注いで床に置いた。

 子猫はミャウミャウいいながら元気に飲み始めた。


「昨日の現場はゴミ収集場の清掃での。ゴミを片づけちょったらミーミーと声がする。何かいのと探したら、こいつが紙袋に入れられて捨てられとったんじゃ。ひどいことをする者がおるのお」


 大男はミルクを飲んでいる子猫の頭を、太い人差し指の先で愛おしそうに撫でた。

「ワシの旅のお供にすることにした。かわいいのお。名前を考えてやらんとのう」

 大男が大きな体を丸めるようにして、目を細めながら床の子猫を覗き込んでいる。

 そのサイズの違いがなんとも微笑ましい。

 この人見かけによらず、以外と優しい人なんだなと思った。


「さて、話の続きじゃったな」


 ボクがジャムパンをかじりながら聞いた大男の話の続きは、これまたとても奇想天外な話だった。

 ボクは夢中になって話に聞き入った。



 騎手になることを諦めたらの、何していいかわからんで毎日ぼーっとしておったわ。

 なんかワシだけ取り残されたような気になってのお。村にも居づらくなってしもうた。

 それであてはなかったが一人で街へ出たんじゃ。十八の時じゃった。


 馬のことを忘れたかったんかの。とにかくがむしゃらに働いた。

 港の荷下ろしや石材運び、レンガ積みに農場の収穫作業。何でもやった。


 で、ある日の、街の広場で力自慢大会をやっちょったのよ。大きな石を頭の上まで持ち上げとったわ。

 そんなもんワシにも出来るわいと思うて、飛び入りでやってみたら、これがの、優勝してしもうての。

 まあ賞品は大したことなかったが、見物人に拍手をされたのが嬉しかったわい。

 それで毎週そこに出たんじゃ。もう敵なしじゃ。毎回勝ってやったわい。ボッフォッフォッフォッフォー。


 そのうちにの、ワシの評判が宮殿にまで届いたらしくてのお、ワシは大王さまのお抱え力士になったんじゃ。

 宮殿にはタイリク中の力自慢が集められておったわい。

 そんな連中と月一回コロシアムで開かれる大会で力と技を競ったんじゃ。観衆は数えきれんぐらいおるんぞ。

 ワシは一番になりとうての、体力をつけて体を鍛えることはもちろん、頭を使うてどうやれば勝てるかをよーく考えたわい。


 百人おった力士の中で三ツ星の位をもらったのはワシを含めて三人しかおらん。

「山の三ツ目」と「島の青鬼」、そして「森の一ツ目」のワシじゃ。ワシらはそう呼ばれた。

 三ツ目は北の雪山の一族での、ワシら一族とは遠い親戚関係じゃ。青鬼は出どころがようわからんが、七つの海を支配した海賊の末裔じゃと名乗っちょった。頭に二本の角を持っちょる。

 コロシアムでの力自慢大会の最後は大抵ワシら三人の勝負じゃった。

 あの二人も強うてのお、勝ったり負けたりじゃった。ワシらの勝負で賭けもやっとったからの、観衆は観衆で力が入っとったわ。



 ガタゴトと列車は走り続けている。

 ピンク色の空と朝もやが立ち込めた郊外の景色が、男の後ろの窓に見える。

 時々小さな家や建物がもやの中にぼんやりと現れては流れていく。

 話しを続ける大男のシルエットは、車両の揺れにも微動だにせず、ボクの席からはピンクのスクリーンに映る影絵のように見えていた。



 いっぺんの、ゾウを担ぎ上げることになってのお。立派な牙を持ったオスのゾウじゃったよ。

 フォッフォ、あいつら二人に出来るもんかい。やつらは無理矢理力ずくでやろうとするから、ゾウが暴れて上手くいかんわ。

 ワシはの、まずゾウの目を見て耳元で「すまんのお、悪いがちーとおとなしくしてくれんか、痛いようにはせんから」そう頼んで長い鼻先をなでてやった。

 そんで大きな絨毯を持って来さしての、そこにゾウに乗ってもらい、優しゅう包むようにして一気に担ぎ上げてやったわい。ボッフォフォフォ。

 今まで聞いたことのない地鳴りのような大歓声が上がってのお、コロシアムが足元から揺れちょったわ。

 あれは気持ち良かったぞ。ワシはタイリクいちになったような気分じゃった。

 少年、お前にも見せてやりたかったわい。



 大男は両手を大きく広げたり、ゾウを担ぐ格好をして見せたり、得意気な顔で話し続けた。

 その大観衆のコロシアムの光景が頭の中に浮かんできて、聞いているボクは興奮し、更に話の中に引き込まれていった。



 それでの、ワシの評判は更に上がって、タイリク中から大勢の人たちがコロシアムに押し寄せたんじゃ。ゾウを担ぎ上げた男を一目見ようとの。

 ワシは有頂天じゃった。そんだけ大勢の人たちに注目されたことなんぞ、それまでなかったからのお。


 大王さまにも大層気に入られた。

 宮殿にワシの個人部屋を与えられての、毎日うまいもん、栄養のつくもんを好きなだけ食べさしてもろうたよ。

 その上充分過ぎるほどの報酬までいただいての。ほれ見ろこれ。この前歯四本。

 石柱を持ち上げる時に手が滑っての、折ってしもうたんじゃ。いただいた金貨で全部金歯にしてやったわい。

 純金ぞ。ボッフォフォフォ。


 ワシはこの世に天国があるんかと思うた。 

 村を出て来て本当に良かったと、心底思うたんじゃ。


 しかしのお。


 まだ続きを聞きたいか?

 ほうか、やっぱり聞きたいか。


 では、話そうかい。


 ……


 フー


 そんなワシにとっては夢のような日が続いたんじゃがの、ある時ワシは気づいてしもうたんじゃ。


 何にてか?


 うん、それはのお……



 大男はそこで言葉を止め、床の一点を見つめて何かを思い出しているようだった。


 タオルにくるんだ子猫の背中を優しく撫でながら、大男は長い息を吐き出した。

 ボクはおとぎ話のような話に心を奪われ、その続きを早く聞きたかった。


 窓の外には薄ピンク色の大地と空がずっと続いている。

 子猫は安心しきった寝顔で、タオルの中で小さな寝息をたてていた。

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