第4話
☆☆☆
なにがどうなっているかわからない。
体調が悪そうな大和をその場に残してきてしまったことも気がかりだけれど、どうしてあんなことになったのか理解が追いついていない。
それに『逃げろ』とはどういうことなんだろう。
自分でキスしてきておいて『逃げろ』なんて、意味がわからない。
混乱する頭のまま走って走って駐車場にたどり着いていた。
荒い息を整えて自分の車へ向かう。
従業員の車はもうほとんど残っていなくて、後は幹部クラス以上の車が数台停まっているだけだ。
千明は自分の車の運転席に座ると大きく深呼吸をした。
あれは一体なんだったんだろう。
いつもと違う上司。
銀色の目。
苦しそうな顔。
思い出すと胸のあたりがギュッと締め付けられる。
大和に言われるがまま逃げてきてしまったけれど、本当に良かったんだろうか。
今更ながら不安が押し寄せてくる。
あのまま死んだりとか、しないよね……?
大和の体調が悪かったのは事実だ。
それを放置してきてしまったことが気がかりだった。
せめて誰かに伝えてから逃げるべきだった?
でも、本人は誰にもバラされたくなさそうだったし。
考えれば考えるほど思考はまとまらない。
千明は大きく息を吐き出して車のエンジンをかけた。
そしてバックミラーに映った自分の顔を確認する。
ひどく青ざめていて、唇まで青い。
千明はそんな自分の唇を指先でそっとなでたのだった。
☆☆☆
アパートに戻って一番安心するベッドに潜り込んでも、千明の心臓はまだ高鳴っていた。
何度も自分の唇に指を這わせて確認する。
あのときは突然だったけれど今でも鮮明に思い出すことができる。
大和の柔らかくて温かい唇の感触。
それだけで胸の奥がギューッと締め付けられて、体の芯から熱くなっていく。
「嫌じゃ……なかった」
ポツリと呟いたのが恥ずかしくて、千明は布団を頭までかぶってキツク目を閉じたのだった。
☆☆☆
翌日はかけっぱなしのアラーム音で目を覚ましたが火曜日だ。
普通の会社は出勤日だけれど、千明の勤めているのは観光地だから火曜日が休みになっている。
布団から右手だけを伸ばしてスマホを引きずり込み、アラームを止める。
眠い思考回路は徐々に覚醒していき、そして昨日の出来事を思い出した瞬間千明は飛び起きていた。
「私……」
そのまで言って言葉を切り、真っ赤になった頬を両手で包み込む。
千明だってもう27歳だ。
恋愛経験のひとつやふたつはある。
だけど大学に入学してからは勉強や就職活動、それに保育士の夢を叶えた後の忙しさに忙殺されてすっかりそういうこととは縁が切れていたのだ。
再就職した先でも、まさかこんな展開が待ち受けているなんて思っていなかった。
だって今まで大和のことを可愛い人だと思ったことはあっても、そんな感情になったことはなかった。
それでも、昨日キスをされて嫌じゃなかったことは事実だ。
千明はベッドの上で膝を立てて座り、シーツで顔まで覆った。
恋愛なんて久しぶりすぎてどうすればいいかわからない。
最後に人を好きになったのは、高校生頃だ。
その時は好きな人と両思いになれて交際していたけれど、結局受験で忙しくなって半年ほどで自然消滅してしまった。
そう考えてみれば自分は随分と長いこと恋愛から遠ざかっていたのだと思い知らされる。
それなら、ちょっとくらいそういう経験があってもいいのかなぁ。
「で、でも、菊池さんの気持ちもわからないのに!」
慌てて自分の思考回路をストップさせる。
キスされたからと言って恋愛感情があるとは限らない。
お互いに大人なのだから、その辺のブレーキはちゃんとかけておかないといけないと、思い直す。
「例えば菊池さんには彼女がいて、でもなんとなく私のこともいいなぁと思ってキスをした、とか?」
冷静になるために分析したはずなのに、自分の考えにズンと心が重たくなる。
もしそうだったら嫌だな。
彼女がいるのにキスなんてされなくないよ……。
実際のところはなにもわからないのに落ち込んでしまいそうになってブルブルと頭を振る。
「彼女はいなくて、体調が悪いときに助けてくれた私のことをちょっといいなって思ってくれたのかもしれないし!」
自分でそう思いこむように声を大きくする。
実際、その線が一番濃厚そうだ。
さすがに、なにも感じていない相手とキスをすることはないと思う。
「ってことは脈アリだよね?」
自分で呟いてハッと息を飲む。
脈アリってなに!?
これじゃ私が菊池さんのこと好きみたいじゃん!!
また顔がボッと火を吹いたように熱くなった。
千明はそのままシーツに顔を埋める。
「うぅ……私どうしたらいいんだろう」
今日は休みだからいいけれど、明日からどういう顔をして大和と会えばいいかわからない。
このままじゃ仕事に支障が出てしまうかもしれない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます