第2話
千明たちには直接関係ないと思っていたけれど、こういう細かなところで影響は出ているようだ。
「そんなのこっそり使っちゃえばいいじゃないですか。菊池さんはちょっと真面目すぎなんですよ」
晋也が早くもお弁当の半分を食べ終えて言う。
千明はやっと自作のお弁当がレンジで温まったところだった。
「そう言ってもなぁ。後からバレたら面倒くさいしなぁ」
「ちょっとまっててください」
晋也はそう言うと自分のスマホを突き始めた。
すぐになにかをダウンロードしたようで、スマホ片手に大和へ近づいていく。
「みんなの休暇希望を教えてください」
「これだけど」
大和が差し出した紙を見ながらなにかを打ち込んでいく。
そして「はいできた! これをパソコンに入力していけばいいわけですよね?」と、したり顔だ。
「もうできたのか!?」
大和は目を丸くしている。
上司から言われたことを忠実に行っているのは見習いたいところだけれど、ちょっと融通がきかない部分もある。
そういうところも可愛いなと千明は感じていた。
「これからシフト作りのときは石川に言うことにするな」
「自分でダウンロードしてくださいよ!」
「やだよぉ! 社長とかにバレたときめんどくさいじゃんか!」
「なに子供みたいなこと言ってんっすか!」
ふたりできゃいきゃい騒いでいる様子はまるで男子高校生だ。
千明と梨江は目を見合わせて同時に吹き出した。
「午後からの予約は?」
お弁当を食べ終えて熱いお茶を飲んでいた時、ふと思い出したように梨江が聞いてきた。
千明は《本日の予約》と書かれた紙を確認する。
アイス作り体験は1日4回。
午前2回、午後2回ある。
それ以外の時間に体験施設の掃除や、翌日の準備を行うのだ。
「午後からは幼稚園生15人と、ひと家族だけ」
「まぁた小さい子かぁ」
梨江は不服そうな表情になって残りのドリンクをすべて飲み干した。
「梨江って子供苦手だっけ?」
「苦手っていうか、芝生に出たときに逃走しちゃったりするでしょう? 捕まえるの結構大変なんだよねぇ」
梨江の言葉に千明は頷いた。
アイス体験では芝生の傾斜を利用しているから、施設の外へ出る。
そうするとどうしても嬉しくなって走り回る子供が出てくるのだ。
もちろん、親や引率の先生たちが引き止めに走ってくれるけれど、我々も普段以上に体力を使う。
「梨江なら大丈夫だよ。体力あるんだから」
「簡単に言ってくれちゃって」
恨めしそうな視線をむけてくる梨江に笑ってみせる。
きっと、この中で一番体力があるのは梨江だ。
「千明は子供大好きだよね? ちょっとだけ保育士してたんでしょう?」
「うん」
千明は最後に残ったちくわを口に放り込んでお弁当箱の蓋を閉めた。
ごちそうさまと、手を合わせる。
「ここで見てても子供好きなんだなぁってわかるよ。保育士なんて天職だろうに、どうしてやめたの?」
その質問に胸のあたりがチクリと痛む。
私だって保育士は天職だと思っていた。
保育士になるために勉強をして、資格も取った。
だけど夢と現実は違うものだった。
ただ子供と遊んでいればいいというものではない。
わかっていたはずなのに、考えが甘かったんだ。
そして私は脱落した。
せっかく叶えた夢を自分から手放すことになった。
「おい」
晋也が梨江の肩をつつく。
梨江が「え?」と首をかしげて振り向くと、晋也は顔をしかめて左右に首を振った。
『その話はタブーだ』と、顔だけで知らせている。
「別に、大丈夫だよ」
まだ微かな胸の痛みを感じながらも千明はそう言って笑顔を浮かべたのだった。
☆☆☆
公園の閉園時間は午後5時だった。
普通の公園なら閉園などしないけれど、ここは観光地の公園である。
園内には蛍の光が流れ始めて、なんとなく寂しい雰囲気だ。
そしてその音楽も消えてレジの精算や掃除が終わると千明たちの帰宅時間になる。
遅くても、午後6時には公園を出ることができるのがこの仕事の魅力だった。
幹部クラス以上の上司たちはこの後会議などもあるようだけれど、下っ端の千明には関係ないことだった。
「お先に失礼します」
またパソコンに向かって難しい顔をしている大和へ声をかけて3人並んで体験施設を出る。
千明たちが働いている体験施設は円の中央あたりにあるので、ここから従業員用の駐車場まで歩かないといけない。
広い園だから徒歩10分くらいはかかる。
疲れているときにはこの距離が体にずっしりとくる。
体験施設から出ると外がやけに明るいことに気がついて空を見上げた。
10月の6時はすっかり日が暮れているけれど、夜空には大きな月が出ている。
「わぁ! 今日は満月かぁ」
梨江が子供みたいにはしゃいで両手を空に突き上げる。
まるでそのまま月を掴んで自分の方へ引き寄せてしまいそうだ。
「綺麗だなぁ」
晋也が梨江の隣を歩きながら呟く。
道にはポツポツと街頭が立っているけれど、その役目はあまり果たしていない。
お客さんが完全にいなくなってから従業員が歩くためだけに付けられたものだから、人工的な光は少なかった。
だから余計に月明かりを感じることができた。
「あ、まずい」
千明が忘れ物に気がついたのは駐車場の手前まで来てからだった。
車のキーを出そうとバッグの内ポケットを探ってみても、なにも指先に触れなかったのだ。
「どうしたの?」
梨江が立ち止まって振り返る。
「鍵をどこかに落としてきたみたい」
「大丈夫? 探すの手伝おうか?」
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