第31話
ここの電話は施設同士しか通じていないから、公園名を告げる必要はない。
「そうですか、わかりました」
大和の上司からの電話だったのだろう、電話を切った後大和は軽く首を振った。
「どうしたの?」
「午後からの予約が全部キャンセルになった」
「えぇ!?」
予約まで入れるお客さんたちは体験教室を楽しみにしてくれている。
公園でのメインイベントとして捉えていることも多い。
だからキャンセルされるのは珍しいことだった。
「この雨じゃなぁ……」
「全部キャンセルってことは、午後からどうするんですか?」
「施設内の清掃と、材料の調達かな」
それくらいしかできそうにない。
今日の午後からは小学校低学年の子たちが来る予定だったから、ガッカリしてしまう。
「あ、そうだ。明日もお弁当を準備してきていい?」
「え? でもそれは悪いだろ」
お弁当に箸を伸ばしかけていた大和が顔を向ける。
「1人前も2人前もそれほど変わらないよ。それに、いつもコンビニじゃ栄養が偏っちゃうよ」
「そうか。それならお願いしようかな」
「もちろん、味を確かめてからでいいけどね?」
千明の言葉に大和は卵焼きに箸を伸ばした。
今朝料理を始めた千明には甘い卵焼きが好きだと伝えてある。
口に入れてみるとほんのり甘い味が広がる。
「優しい味だな」
ふっと自然と口元がほころんだ。
「嫌いな味じゃない?」
「全然。むしろ好みの味だ」
「よかったぁ」
ホッと胸をなでおろして自分でも卵焼きを食べてみる。
我ながら上手にできたかもしれない。
「卵焼きなら塩でも砂糖でも、どっちでもいけるしな」
大和の言葉に千明は頬を膨らませた。
せっかく嬉しかった気持ちがしぼんでいってしまいそうになる。
「なんでそんな意地悪言うんですか」
「冗談だってば」
大和はクスクスと声を上げて笑う。
その笑顔を見て千明も嬉しくなる。
ここをやめるなんて、やっぱり考えられないことだよ……。
☆☆☆
それから数日後、すっかり天気は回復して体験教室へ訪れるお客さんの数も元に戻っていた。
午前中には元気一杯の子供たちを相手に駆け回り、ようやく休憩時間になっていた。
「あぁ、疲れたぁ」
声に出しながら女子更衣室へ入ると先に梨江が来ていた。
その手には相変わらず栄養ドリンクが握られている。
「ねぇ、いい加減ちゃんと食べたら?」
梨江はダイエットだと言っているけれど、そんなに太っているようには見えない。
むしろ、今異常に痩せると心配してしまう。
「う~ん、考えとく」
梨江は深く考えていなさそうに答える。
「晋也も心配してるんじゃない?」
そう言うと梨江が動きを止めて顔を赤く染めた。
なにか悪いことでも言ってしまっただろうかと、たじろぐ。
「どうかした?」
「実は昨日……晋也に告白したの」
顔を赤らめて言う梨江に千明はまばたきを繰り返した。
「告白って、え? ふたり付き合ってるんじゃなかったの?」
晋也のアパートに泊まって、そのまま付き合い始めたものとばかり思っていた。
だけど梨江は左右に首を振った。
「付き合ってたと言えばそうなんだけど、ちゃんと口に出してはいなかったんだよね」
そう言われて、あぁ、そういうことかと納得する。
大人同士の恋愛になると時として順序が逆になるときもある。
だからハッキリとした告白はまだだったんだろう。
「それで、晋也はなんて?」
梨江の顔を見ていればわかっているようなものだけれど、一応質問した。
梨江が聞いてほしそうにしていたからだ。
「OKだって」
そう言って梨江はロッカーから大きなお弁当箱を取り出した。
それはどう見ても男性向けの大きさだ。
「もしかして作ってきたの?」
梨江はコクコクと頷く。
さっそく自分と同じことをしているのを見て微笑ましく感じられる。
「だから、明日からは自分の分も作ってくるつもり」
「そうなんだ。なんか嬉しいね、今日はお祝いしなきゃ」
「お祝いしてくれるの?」
首をかしげてくる梨江に千明は頷いた。
どうせ帰ってから予定があるわけでもない。
梨江とつふたりで互いの恋バナをするのも悪くない。
「もちろん。今日は私の家で楽しもう!」
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