第32話

☆☆☆


それから千明と梨江はそれぞれ休憩室と外に別れて休憩を取った。

お互いに邪魔にならないようにと、気を使ってのことだった。

「毎日ありがとう。疲れないか?」


千明からお弁当を受け取りながら大和が申し訳なさそうな顔をする

千明はすぐに左右に首を振った。

「1人前も2人前も同じだって言ったでしょう?」


これくらいのことを気にしてほしくなかった。

役職を持っている大和は遅くまで仕事をしているし、なにかとフォローもしてくれている。

自分にできることは、これくらいだった。


「今日は午後からも予約が入ってるから、忙しい日は無理しなくていいのに」

「無理はしてないから、大丈夫」


元々料理は好きな方だし、自分の分しか作らないのはちょっとさみしい気がしていたのだ。

そこまで説明すると、ようやく大和は納得してくれたみたいだ。


ふたりで同じお弁当をつつきながら時間を過ごす。

こののんびりとした雰囲気が千明は好きだった。



けれど、大和は休憩時間を半分過ぎたあたりでまたパソコンへ向き直ってしまった。

こうなると、千明は1人でぼんやりとニュース番組を見て過ごすことになる。

時折大和へ視線を映すと、難しい顔をして画面を見ていることが多かった。


自分たち下っ端はお客さん相手に体験教室の先生をしていればいいだけだけれど、大和には様々な仕事がかかってきているのだろう。

それはきっと自分たちが質問してもわからないことなので、そっとしておくのだ。


「保育士に戻る話しはちゃんと考えた?」

不意に質問されて振り向くと、大和はパソコン画面を視線を向けたままだった。


「私は、ここでの仕事を気に入ってるから。それに、大和さんと一緒にいられると、やっぱり嬉しいし」

それが今の正直な気持ちだった。


あれから保育士の仕事について考えなくもなかったけれど、やっぱり転職することは考えられなかった。

「そうか。でも、なにかあればすぐに言ってくれ。相談には乗るから」


「はい……」

どうしてそこまで保育士の仕事にこだわるんだろう。

千明は少しだけモヤモヤとした気持ちになって、横目で大和を見つめていたのだった。


☆☆☆


その日は特に問題も起こることなく、スムーズに仕事を終えることができた。

途中で晋也が梨江をデートに誘っている場面に遭遇してちょっと気まずかったけれど、ふたりともいい雰囲気なのが千明としても嬉しかった。


「今度の休みはデート?」

約束通り梨江を連れてアパートへ戻ってきた千明は、ノンアルコールの缶を開けながら聞いた。


プシュッと炭酸の抜ける心地いい音がして、それだけで疲れが取れてしまう。

「まぁね」

梨江が照れ笑いを浮かべ、ノンアルコールの缶を掲げる。


互いにそれを軽く触れ合わせてから「乾杯」と、言って一口飲む。

シュワシュワとした炭酸が喉に刺激的で、くぅと声が漏れた。


アルコールは入っていないけれど、ビールに似せた味と匂いだけで十分酔っ払いそうだ。

テレビでは梨江がチョイスして借りてきたホラー映画が流れている。


大和にしても、梨江にしてもどうしてこうも恐い話しが好きなのだろうと疑問に感じてしまう。

「ホラーって非現実的で、スカッとする話が多くて、ストレス解消になるんだよねぇ」



「そう? ホラーってもやもやした終わり方をするものも多いと思うけど」

千明の言葉に梨江は頷いて「ものによる」と、笑った。


どんどん進んでいくストーリーを横目で見ながら、ふたりの話題は恋愛一色だった。

いつから大和のことが好きだったのか。

いつから晋也といいと感じていたのか。


どっちのほうが、相手のことを好きなのか。

話す話題は尽きることがない。


ふとカーテンを開けて窓の外を見てみると、半分かけた月が見えた。

今日は満月じゃないみたいだ。


大和も安心して過ごしているだろうと思うと、千明まで安堵してしまう。

「今菊池さんのこと考えてるでしょ」


月を見ていた千明の背中をつつく梨江に、「べ、別に」と慌てて返事をする。

「バレバレだよ。遠い目しちゃってさぁ」


「自分だって時間があれば晋也のこと考えちゃってるんじゃないの?」

「えへへ、バレた?」


そう言ってノンアルコールの缶をもう一本開ける梨江。

やっぱり、女同士だと気軽に話ができて楽しい。



今まではあまり職場の人たちとプライベートで一緒をすることはなかったけれど、これからは時々梨江たちと一緒に楽しむことも有りかもしれない。


「今の所なんの悩みのなしって感じ?」

そう聞かれて千明は首をかしげた。

完全になにもないとは言い切れない。


なにせ相手には狼の血が流れているんだし、それは絶対に誰にも言えないことだ。

だけど大和は優しくて傷付けてくるようなこともなかった。


それに、少しくらい傷つけられたとしてもそれは不可抗力だということがもうわかっている。

そんなことで大和から離れるつもりはなかった。


「気がかりなことならあるかも」

ふと思い出すのは、保育士の仕事についてだった。


今まで大和に言われたことを梨江に説明すると、梨江は顎に手を当てて「へぇ」と、考え込んでしまった。

「私は今のままがいいと思ってるんだけど、資格があるからもったいないと思われてるのかも」


「そうかもしれないけど、応援したい気持ちがあるんじゃないかな?」

「応援?」

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