第33話
梨江は頷いておつまみのピーナッツに手を伸ばす。
カリッといい音を立てて噛み砕くと香ばしい香りが千明のところまでただよってきた。
つられてピーナッツに手を伸ばしてしまう。
「だって、保育士になるのは千明の夢だったんでしょう? 夢を叶えるのてそんなに簡単なことじゃないし、続けてほしいって気持ちがあるんじゃない」
「そうなのかな」
確かに子供が好きで、そのために頑張ってきたことは認める。
だけどやめるときだってちゃんと悩んで決めたことだった。
「大好きな夢を嫌いになりたくないんだよね」
小さく息をはいて呟く。
親からのクレームや子供に関係のない問題ばかりに忙殺されて、好きなことが好きじゃなくなるかもしれない。
それは千明にとって恐いことだった。
下手をすれば、大好きな子供のことまで嫌いになってしまうかもしれない。
そんな風になりたくなかった。
「それはわかる。仕事になった途端、なんか違うなぁと思ってやめちゃう人も多いと思う」
梨江は納得してくれたみたいだ。
「だけどさ、体験教室で子供と関わってるときの千明ってやっぱりすごく楽しそうなんだよね」
「そ、そうかな?」
それは少しは自覚していたことだった。
やっぱり子供は好きだから、子供会とかが団体で予約を入れてくれると前日からやる気が出る。
家族連れでも、小さな子どもがいれば自然とそちらへ視線が向いてしまっていた。
「そうだよ。だからさ、その子供好きを伸ばして欲しいとか、生かしてほしいのかもよ?」
少なくても大和は千明のためを思って言ってくれていたのだろうということはわかった。
それなのに自分は話半分に聞いて、どうしてそんなことを言うんだろうと、すねていたかもしれない。
そんな自分を思い出してなんだか情けなくなる。
「もっと、ちゃんと考えたほうがいいのかなぁ」
「まぁ、それは千明次第だけどね。どんな仕事がやりたいのか、私にはわかんないし」
「例えば私が今の仕事を辞めたら、どう思う?」
梨江は視線をテレビに向けたまま「寂しい」と、呟く。
その後視線を千明へ向けるとニッと笑顔を浮かべた。
「だけどそれが選んだ道なら全力で応援する。仕事が変わったからって、関係が終わるわけじゃないし」
仕事が変わっても、関係は終わらない。
梨江の言葉が千明の胸にストンッと落ちてくる。
そうか。
だから大和は保育士の仕事のことをあんなに気にしてくれているんだ。
職場で会えなくても関係は変わることがない。
だから安心してもいいという気持ちが込められていた言葉なのかも。
「ありがとう、ずっと友達でいてね」
「あったり前じゃん!」
梨江は豪快な笑い声を上げたのだった。
翌日少し早めに出勤した千明は事務所の電気がついていることに気がついてそっとドアを開けた。
中からはカタカタとパソコンのキーボードを叩く音が聞こえてきて、大和の背中が見えた。
今どんな仕事をしてるんだろう。
邪魔しちゃ悪いな。
そう思って事務所を出ようとしたとき、足がドアにぶつかって音を立てた。
「なんだ、今日は随分と早いな」
振り向いた大和が千明を見て、それから時計に視線を移した。
通常と比べたら30分も早く来てしまった。
「ご、ごめんなさい。邪魔するつもりじゃなかったんだけど」
慌てて謝って、でも事務所を出るのも変かと思ってそのまま棒立ちになってしまう。
「今、ポスターを作ってたんだ」
黙り込む千明に、おいでと手招きする大和。
パソコン画面を見ると、体験教室のポスターがほとんど出来上がっているところだった。
「わぁ、素敵!」
カラフルな文字色で彩られたポスターは、中央に芝生広場で玉を転がす子どもたちの写真が使われている。
みんな弾けるような笑顔だ。
その笑顔を見ているだけで千明は元気になれる。
「いい感じだろう? 3日間考えてようやくできたんだ」
「これ、園の中に貼るの?」
「あぁ。近隣の店や新聞広告にも入れてもらう予定にしてる」
これなら沢山お客さんが来てくれそうだ。
今からワクワクした気持ちになる。
「こんな才能もあるなんて、すごい」
素直に関心して言うと、大和は照れたように頭をかいた。
「色々なポスターを見ていいとこ取りしてみただけだよ」
そう言いながらもやっぱり嬉しそうだ。
こういう才能があるからこそ、幹部クラスになることができたんだろうと改めて尊敬の念が生まれてくる。
そして自分はそんな人の彼女なのだと思うと、やっぱりくすぐったい気持ちになった。
「本当にすごい。尊敬しちゃう」
「そんなに褒められると照れるな」
大和はまた頭をかいた。
「どうしてこんなに頑張れるんですか?」
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