第26話
その間にも何人もの子供たちが足元に絡みついてきては『遊ぼうよぅ』と声を掛けてくる。
千明は『すぐに戻ってくるからね』と返事をしつつ、教室へ入った。
女の子を小さな椅子に座らせて救急セットを取り出す。
しみないタイプの消毒液を垂らすと、女の子はわずかに身じろぎをした。
この子は普段から我慢強く、おとなしいタイプの子だった。
自分に異変があって声を上げないから、いつも注意深く見ていたつもりだった。
『これでよし。マリーちゃんの絆創膏好きだよね?』
女の子向けアニメの絵が描かれた絆創膏に女の子の頬が赤く染まる。
最後に、ずっと泣くのを我慢していたことをもう1度褒めて、ふたりで園庭へ戻った。
そこからはいつもどおり遊んでいたし、なにも問題はないように見えた。
子供のケガなんて日常的なものだし、大きなキズもできていなかった。
『なんですかこのケガ!』
お迎えの時間が来て女の子の母親が絆創膏を見つけた途端、教室中に響く声で言った。
他の園児の母親と挨拶をしていた千明は慌ててそちらへ駆け寄った。
『今日、園庭でこけてしまったんです。だけどケガは大したことなくて、大丈夫ですので』
説明する千明に母親の視線が突き刺さる。
目を三角にして怒っているのを見て、言葉が続かなくなった。
『どうしてケガをしたときに連絡してこないんですか!?』
『それは、ええっと……』
園で対応できるレベルのことだと説明すればいいのに、母親の圧力に負けて口ごもってしまった。
それは母親への不信感を煽るものとなった。
『ちょっと、園長先生を呼んでくれない!?』
ひときわ大きな声で指示されて他の先生が視線を向ける。
何事かとすぐに駆けつけてくれた園長先生がその場は収めてくれたけれど、『あれくらいのクレームは自分で処理しないとダメよ』と、たしなめられてしまった。
先輩たちもこれくらいのクレームは自分で対応しているし、経験してきている。
いちいち園長先生を呼んでいたのでは時間の無駄なのだ。
『すみませんでした……』
大事にならなくて安心したものの、それから一週間ほどは子どもたちを外で遊ばせることが怖かった。
また同じようにケガをしたらどうしよう。
すぐに親に連絡を入れようか、それとも今まで通り対処しようか。
そうしてまたクレームがきたりしたら……。
そんな不安は敏感な子どもたちならすぐに感じ取ってしまう。
外で遊んでいてもなんだか元気のない子がいたり、千明にピッタリくっついて離れない子が出てき始めてしまった。
『最近外で遊んでも楽しくないって子供が言うんです。先生、その理由を知ってますか?』
それはクレームがあった3日後のことだった。
子供の迎えにきた母親が困り顔で相談してきたのだ。
『え?』
子供は普段から外で遊ぶのが大好きな子で、とくにヤンチャな男の子だった。
だけど、そう言われてみれば最近は園庭で遊んでいてもあまりはしゃいだ様子を見せないかもしれない。
千明は男の子前にかがみ込んで『どうして外で遊ぶのが楽しくないのかな?』と、訊ねてみた。
男の子はジッと千明の顔を見つめて『僕がケガしたら、先生が悲しむだろ!?』と、大人びた発言をしたのだ。
その言葉に千明はハッと息を飲んだ。
『ケガしたら、先生が親に怒られて、先生、元気なくすじゃん!』
この前の出来事を見ていたのだとようやく気がついた。
あの時は自分のことで精一杯で、周りのことが見えていなかった。
子どもたちへのケアを失念していたのだ。
千明は慌てて立ち上がり、母親へ向けて頭を下げた。
『すみません! 私のせいでした!』
そしてこの前のケガの事件について詳細を説明した。
母親は真剣な表情で話を聞き終えると、ニッコリと微笑む。
『そんなことがあったんですね。それは、先生が悪いとは私は思いません。ケガも大したことがなかったんでしょう?』
『はい……』
『それなら対応を間違えたとは思いません。この子も、先生のために気をつけていたんだとわかって、一安心です』
そう言って男の子の頭を撫でる。
優しい声をかけてくれればくれるほど、千明の胸は痛くなった。
子供にまで心配かけて気を使わせて、これじゃ先生と生徒の境界線がわからなくなる。
そんな自分が情けなかった。
『私はこの仕事、むいてないのかもしれません』
その一週間後、千明は園長先生の前でそう呟いた。
『どうして? よく頑張ってるじゃない』
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