第23話

☆☆☆


大和の真剣な気持ちは千明に痛いほど突き刺さった。

自分の部屋でクッションの上に座り、大和からもらったネックレスを眺めながら思う。

これから先ふたりの関係が続いていけば、当然同じような悩みが出てくるはずだ。


そのときになったら、きっと綺麗事ばかりも言っていられない。

だから今日はとある本を購入してきていた。

本屋に行ってもあまり取扱がなくて、なん店舗も探し回った。


「よし、今日はこれを読むぞ」

貴重な休暇だからこそ、貴重な読書の時間に費やすつもりだった。

千明は書店の袋から分厚い図鑑を取り出してテーブルのドンッと置いた。


これを読み終えるだけで1日が終わりそうだったけれど、それでもよかった。

なにせこれは自分にとって絶対に必要な勉強のための本だから。

『狼図鑑』


そのタイトルの本の表紙を優しくなでてから、千明は本を開いたのだった。


☆☆☆


「最近幸せそうな顔してるよねぇ。なにか問題でも起きないわけ?」

つまらなさそうな声でそう言ってきたのは梨江だった。

体験教室の準備をしているところなのだけれど、梨江はさっきから欠伸が止まらないようだ。

最近ずっと平穏な毎日が続いているから、刺激がほしいんだろう。


だけど平穏が続くというのはいいことだった。

「別に、なにもないよ」

千明はそう返して準備をすすめる。


「菊池さんとの関係は?」

「順調順調」

鼻歌交じりに返事をすると梨江がにやけた笑みを浮かべた。


「相変わらず幸せそうねぇ? あ~あ、つまんない」

大あくびをする梨江に晋也は苦笑いを浮かべている。

「文句言ってないでさっさと準備しろよ」


「わかってるって」

答えながらも梨江の準備は一向に進まない。

半分眠っているようなものだから動きも怠慢だった。



「そんなこと言ってる梨江はどうなの?」

「どうって?」

「恋愛」


千明の質問に梨江は目を丸くして、その後プッと吹き出した。

「そんな素敵で面白いことがあったら、私黙ってないから」

プラプラと手を振って答える梨江に確かにと納得する千明。


もし梨江が恋などすれば、毎日すごくうるさそうだ。

「無理無理。こいつ休日にはずっと引きこもってホラー映画見てるから」

晋也が横から言って笑っている。


「そうなんだ?」

「そうだよ。無類のホラー映画好きで、時間があればすぐに見てるんだからさ」

「晋也はどうしてそんなこと知ってるの?」


千明にとっては梨江がホラー映画好きなこと自体が初耳だった。

あまり、そういう話は聞いてこなかった。

「時々一緒に見てるから」


なんでもないように答えたのは梨江だった。

ようやく手を動かし始めた梨江だけれど、会話にはしっかり入ってくる。



「え、そうなの?」

「お互いに予定がない休日とかは、どっちかの家に行ってホラー映画鑑賞してるんだよ」


梨江の言葉に千明は驚いてふたりを交互に見つめる。

それって休日も一緒にいるってことなんだけど、それで仕事仲間以上の関係にはならないんだろうか?


疑問が浮かんでくるけれど、今までそういう関係になっていないのだから、ふたりの間には友情が成立しているんだろう。

「準備できたか?」

そのタイミングで大和が部屋に入ってきて、3人は慌てって準備を終わらせたのだった。


☆☆☆


この日は日曜日で体験教室は盛況だった。

予め予約のあった団体二組に加えて飛び込みで体験したいと行ってきた家族が二組。


人数が多ければ多いほど芝生での玉転がしは騒がしくなる。

千明たちもてんやわんやの中、気がついたら日が暮れていた。

「今日はよく働いたなぁ」


更衣室でエプロンを外しながら梨江が呟く。

千明も体にずっしりとした疲れを感じている。

今日はよく眠れそうだ。


「ねぇ、今日遊びに行ってもいい?」

「え?」

突然の申し出に千明は驚いて梨江を見る。


1年以上ここで働いてきたけれど、互いの家に行ったり休日一緒にでかけたりするような関係ではなかった。

仕事とプライベートは線を引いてきてつもりだった。


「私のオススメのホラー映画、一緒に見ない?」

「ホラー映画かぁ」



正直今日はひとりでのんびりしたかった。

疲れているし、早く寝たいという気持ちもある。


だけど梨江がどんな映画を晋也と一緒に見ているのか興味が湧いた。

「いいよ。私の部屋でいいの?」


「もっちろん!」

梨江は飛び跳ねるのようにして頷いたのだった。


☆☆☆


途中でブルーレイのレンタルショップに寄って梨江のオススメホラー映画を何本か借りて、アパートに戻ってきた。

梨江の車は置き場所がないから、近くの格安パーキングに停めてある。


「おじゃましまぁす」

千明が玄関を開けると、梨江が小声でそろそろと中腰で室内に入ってきた。


「どうぞどうぞ」

促すとようやく背筋を伸ばして「わぁ、綺麗にしてるんだ」と、リビングを見回す。

狭いひとり暮らしの部屋だ。


できるだけ余計なものは置かないようにしている。

梨江に大きな丸いクッションを差し出すと、お尻の下にはしかずに両手で抱えるようにして抱きしめた。

千明は途中で寄り道して購入したコンビニの袋をテーブルに置いた。


買ってきたのはビールとおつまみだ。

梨江が泊まるかどうかわからないから、ノンアルコールにした。


「はい、どうぞ」

「お、気が利くねぇ、ありがとう」

ふたりでノンアルコールビールで乾杯する。

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