第22話
思わず声が大きくなった。
今まで何人もの人に蔑まれてきたのか、大和は平気そうな顔でそんなことを言う。
だけど話を聞く方の千明は全然平気じゃなかった。
そんな痛くて辛い話、できるだけ聞きたくない。
千明はキュッと唇を引き結んで席を立った。
「子供は欲しい。だけどそんな先のことまではわからないよ」
千明は小さな声でそう告げると、ひとりで体験施設を後にしたのだった。
☆☆☆
逃げるように外へ出ると小雨が振ってきていた。
さっきまでは雨の気配はなかったし、天気予報でも雨と伝えていなかったので傘の準備がなかった。
だけど体験教室の中にならお客さんが忘れていった傘が何本か起き傘として常備されている。
一瞬取りに戻ろうかと思ったけれど、どうしても足が向かなかった。
大和の悲しげな表情が脳裏から離れてくれない。
大和の歴代の彼女たちは大和の正体を知らないままに付き合っていたのかもしれない。
満月の夜や大和とそういう関係になったときにようやく正体を知り、逃げていった可能性もある。
もしくは付き合う前にカミングアウトしても、信じてもらえていなかったかもしれない。
そんな経験を何度もしてきたんだろう。
そしてまだ見たこともない自分の子供についてまで考えるようになってしまった。
それは決して楽しい将来の夢なんかじゃなかった。
もしも自分の子供が自分と同じような経験をして苦しんだら?
そんなことばかりに支配されていたかもしれない。
だからあえて、早いタイミングで千明にあんな話をしたのかもしれない。
「ふぅ……」
落ち着いて考えれば大和の気持ちも理解できる。
このまま関係を続けていてもいずれ苦しむことになるかもしれないなら、早い方がいい。
そうこうしている間に雨脚は強くなり、バラバラと地面に叩きつけるようになった。
「やっぱり、傘がいるかも」
真っ暗な空を見上げてそう呟いたときだった。
後ろから足音がして振り向くと大和が大きめの黒い傘を持って近づいてきたところだった。
施設内の電気はすでに消されているから、もう帰る支度が終わったんだろう。
なんとなく無言で並んでその場に立つ。
「さっきはごめん。いきなり変なこと言って」
大和が申し訳なさそうに頭をかいて呟く。
千明は左右に首を振った。
「心配、してくれたんだよね?」
「まぁ、そうかな」
大和は頷く。
「子供なんてみんな大変だよ。保育園で嫌ってほど思い知った」
「そうか」
「だからきっと、血なんて関係ないんだと思う」
その言葉に大和が一瞬空を見上げた。
黒い空は今もまだ泣き続けている。
「子供はみんな無垢で加減知らずな狼みたいなもんだよ」
千明は自分で言って小さく笑った。
狼みたいな子供って、ちょっと可愛いかもしれない。
じゃれついてくる子犬を連想させる。
「だからきっと、私達の子供だけが特別なわけじゃない」
千明はそっと手を伸ばして大和の手を握りしめた。
熱いくらいの体温。
心音まで、こちらに伝わってきそうな気配を感じる。
「そうだな。子供はみんな狼だ。この仕事をしててもわかってたはずなんだけどな」
つい失念してしまう。
と、大和は笑う。
そんな大和に千明も吊られて笑った。
「だけど、大和さんがそこまで考えてるのは意外だった」
「どうして? 俺はもう30で若くない」
それでもまだ30だ。
まだまだ現役で頑張れる年齢だ。
それとも、狼としての年齢を言ったんだろうか。
大和が大きな傘を差したので、ふたりでそれに入って歩き出す。
周囲は薄暗かったけれど、大和と一緒なら暗がりの中を歩いても平気だった。
「私ももう27だよ。でも、もう少しここの仕事は続けたい」
「うん。わかってる」
「子供のことも、ちゃんと考えながら仕事する」
「あぁ」
返事が短くなった大和へ視線を向けると耳まで赤くなっている。
自分がちょっと恥ずかしい質問をしてしまったことに、今更気がついたみたいだ。
「今回のことでわかったことがあるよ」
「わかったこと?」
大和に聞かれて千明がうなづいく。
「大和さんが将来のことまで真剣に考えてること」
「やめてくれよ。恥ずかしい」
「だけど考えてるからわざわざ仕事終わりに呼び止めたんでしょう?」
「まぁ、そうだけど」
まだ照れている大和が可愛くて千明は笑う。
「子供を作ることへの抵抗は、ずっと昔からあったんだ。自分と同じ思いをするかもしれないと思うと、作らないほうがいいんじゃないかって」
やっぱり、そんなことだろうと思っていた。
「子供が狼だったとしても、私はちゃんと可愛がるよ。だって、大和さんとの子供だもん」
どんな子が生まれたとしてもそれが自分たちの子供であるなら恐れる必要はない。
トロトロと歩いているといつの間にか雨は止んでいて、一時的に雨雲が上空を通り過ぎただけだとわかった。
大和が空を見上げて傘を折りたたむ。
そして千明の腰に手を回すと引き寄せた。
「俺の杞憂だったみたいだな」
顔を近づけられて自然と目を閉じると唇が重なり合った。
「千明となら、どこまででも行けそうだ」
キスをしただけでまだ照れて赤くなりながら、大和はそう言ったのだった。
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