第21話
「さぁ、みんなのところに行こうか」
千明はことさら明るい声で言って立ち上がったのだった。
☆☆☆
子どもたちが無事にアイスクリームを平らげた頃、千明のエプロンの裾を掴んで引っ張ってきた子がいた。
振り向くとそれは怪我をして大泣きしていた女の子だ。
後ろにはちゃんと父親もついている。
「お姉さん、これ」
女の子が差し出してきた白い紙を、千明は背を屈めて受け取った。
「これはなに?」
「どうしてもお礼がしたいって言うので、さっき文字を教えたんです」
父親に説明されて千明は紙を開く。
そこにはつたない文字で『とても楽しかったよ。ありがとう』と書かれている。
その文字の下にはアイスクリームの絵と、エプロンをつけた女性の絵が描かれている。
「これってもしかして」
「お姉さんだよ!」
女の子が元気に言う。
その瞬間千明の胸がジンッと熱くなるのを感じた。
芝生でこけてしまってあれほど泣いていた子が、今はこうして笑って手紙をくれている。
それが嬉しくて仕方なくて、泣きそうになる。
そんな様子を少し離れた場所から大和がジッと見つめていたのだった。
その日仕事が終わって梨江たちと一緒に体験施設を出ようとしたとき、千明だけが大和に呼び止められた。
明日は休みだし、梨江と晋也は下手なウインクをして見せながら先に帰っていった。
「話ってなに?」
事務所の机を挟んでふたりきりになったところで、ぎこちなく砕けた言葉を使う。
ついさっきまでみんなと一緒にいて敬語を使っていたから、切り替えが難しかった。
「大した話じゃないんだけど、ちょっと聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
デートの誘いじゃなかったことに内心ガッカリしながらも聞き返す。
すると大和が視線を上で向けてなにか言いにくそうに口をモゴモゴとさせる。
その後意を決したように千明へ視線を戻した。
「子供は、好きか?」
突然の質問に千明は目を丸くし、それから「好きだけど、それがどうかしたの?」と、聞き返した。
ここに入社したときの履歴書に保育士だったことも書いた。
大和は当然それを知っているはずだった。
「そうだよなぁ……」
ふぅと大きく息を吐き出して、そのままうなだれる格好になる。
子供好きなことがなにか悪いことになるのかわからず、千明は慌てて「それが、どうかしたの?」と、重ねて同じ質問をした。
「将来的にはどうしたいと思ってる?」
千明の質問には答えずにそう言う大和に千明はまばたきを繰り返した。
「将来的にって、どういう意味?」
保育士の仕事に戻りたいとか、そういう話だろうかと考える。
けれど大和の質問は別の意味を持っていた。
「その、自分の子供が欲しいか?」
照れ隠しに視線をそらせながらそう聞かれて、千明は一瞬キョトンとしてしまった。
大和には短い沈黙の時間がやけに長く感じられて、逃げ出してしたいたい衝動に駆られた。
「いやごめん。今のは忘れてくれ」
「欲しいと、思ってる」
ふたりの言葉がかぶさった。
大和が口をポカンと開けて千明を見つめる。
千明は耳まで真っ赤にしてうつむいていた。
まさか将来自分の子供がほしいかどうかを質問されるとは思っていなかったけれど、子供好きな千明は当然のように自分の子供がほしいと思っていた。
それが好きな人の子であれば、これほど幸せなことはないと思う。
だけど大和とは付き合い始めたばかりだし、そんなことを考えるのはまだ先のことだと思っていた。
子供たちと触れ合うことが多い仕事だから、大和も感化されたんだろうか。
そう思って顔を上げてみると、大和のたれた目と視線がぶつかった。
普段はクリッとして可愛らしいのに、今はなんだか落ち込んでいるような、誰かに怒られた時のような目つきだ。
「どうかしたの?」
なぜそんな悲しそうな顔をするのか理由がわからなくて訊ねる。
大和はまた空中へ視線を向けた。
「それならやっぱり、俺は相応しくないかもしれない」
ポツリと放たれた言葉に千明は「えっ」と小さく声を漏らして固まってしまう。
「相応しくないってどうして?」
なぜ今こんな話をするんだろう。
明日は休みだし、てっきりデートの誘いだと思っていたのに、なんだろうこの重たい雰囲気は。
なんだか嫌な気持ちが湧き上がってきて千明は唾を飲み込んだ。
その唾と一緒にこの場の雰囲気も飲み込めてしまえばいいのに。
「俺は狼の血を引いてる。もしも子供を望めば、その子にも影響は出ると思う」
そう言われて心臓がドクンッと跳ねた。
そこまでのことはさすがに考えていなかった。
将来的に結婚して子供を授かるかどうかはまだわからないとしても、もしそうなれば狼の血が流れる子供を生むということなんだ。
「そ……そんな未来のこと、まだわからないし」
ドキドキしていることを悟られないようにできるだけ静かに会話を続ける。
だけどさっきから胸が痛くて仕方ない。
まるで自分では大和の花嫁として相応しくないと言われた気分だった。
「そうだな。まだわからない」
大和はそう言って頭をかいた。
「だけどきっと、俺の母親もそう思って父親の子供を生んだんだ。そしたら、俺みたいのが生まれた」
「そんな言い方やめて!」
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