第15話
大和は何度も頷く。
目の色を隠すようにうつむいたままで。
「なにかあったらこっちから連絡するから、早く帰って」
千明はふたりの背中を押して事務所から押し出した。
そしてドアを閉めて鍵をかける。
残されたのは千明と大和のふたりきりだ。
さっきから大和の苦しげなうめき声だけが聞こえてくる。
途端に千明の胸に恐怖心がよぎる。
相手は普通の人間じゃない。
狼男だ。
そんな相手と、これからどうしようというんだろう。
もしかしたら食い殺されてしまうかもしれない。
そう思うととても怖かった。
「大丈夫ですか?」
千明は恐怖心を押し殺して大和へ近づいた。
大和は銀色の鋭い目を千明へ向ける。
「君も、早く帰れ……」
「嫌です。私はここに残ります」
そういう千明に大和は目を見開いた。
じっとりと額に汗を浮かべながら、驚いた表情を向ける。
「君をまた傷つけてしまうかもしれない」
それは最初のキスのことを言っているんだろうか。
それとも、告白を断ったことを言っているんだろうか。
「それでもここにいます。これが、菊池さんの本当の姿なんですよね?」
千明は大和の右手を握りしめた。
指の爪は少し伸びていて鋭利な刃物みたいだ。
それに口から覗く犬歯も長く尖っている。
「この爪や牙で愛する人を傷つけてきた。だから孤独でいることを選んだんですね?」
大和は答えなかった。
ただ自分の内側から溢れ出してしまいそうになる野性的な衝動を我慢することで精一杯だった。
千明は大和の右手を自分の頬に押し当てた。
大和の体温は千明よりもずっと高くて、とても野性的だと感じられた。
「それは優しさです。菊池さんは自分を犠牲にして相手を守ったんです」
誰にも自分の思いを告げず、誰とも添い遂げることなく過ごす日々は孤独で寂しかっただろう。
誰にも本当のことを言えないままに笑顔を見せていたのだと思うと、胸が締め付けられる。
自分が守ってあげたい。
自分が理解者になってそばにいてあげたいと願う。
「私はもう菊池さんの本当の姿を知っています」
握りしめている手はピクリと動く。
少しだけ狼の匂いが鼻をかすめた。
だけど大和は人間のままだ。
狼にも人間にもなりきれずに苦しんでいる。
そんな姿だった。
「お願いです。私には甘えてくれませんか?」
千明の頬に涙が流れた。
普段の優しく、話しやすい大和がこんな過酷運命を背負っているだなんて、知らなくて。
すぐに信じてあげることができなかったことが、不甲斐なくて。
「私、それでも菊池さんのことが好きです……」
その日アパートに戻ってスマホを確認してみると梨江と晋也から沢山のメッセージが届いていた。
どれも大和を心配する内容のものばかりだ。
千明は大丈夫だから安心してほしいという内容の返事をふたりにして、ベッドに突っ伏した。
今日のことを思い出すとまるで夢を見ているようだった。
大和の正体を知った後でもう1度告白した千明に、大和は『付き合ってほしい』と申し出てきた。
もちろん千明はそれを受け入れたのだけれど、満月の夜の大和は自分を制御するだけで精一杯だった。
どうにか千明に支えられながら車へ向かい、休憩を挟みながらようやく帰ってきたところだった。
千明のアパートから大和の家までまた運転するのかと思うとさすがに心配で『上がっていきませんか?』と声をかけたのだけれど、大和は首を縦には振らなかった。
遠慮したのだろう。
満月の夜、交際1日目で相手に部屋に行くなんて、本当に自分が自分でなくなってしまうからと、苦笑いをしていた。
なにはともあれ、明日は満月ではなくなるから大和のあの苦しそうな顔を見なくてもすむはずだった。
「私達、本当に付き合うことになったんだよね?」
ベッドに突っ伏してそう呟くけれど、実感はなかった。
むしろ振られた時のほうがより現実的に記憶に刻み込まれている。
こうしてひとりでベッドに横になっているとだんだん不安になってきて、無意味にスマホを確認してしまう。
大和からの連絡はとくになにも来ていない。
あの様子だから家についてもしばらくは苦しいのだろう。
そんなときにこちらから連絡を取るべきじゃないと思う。
千明はモヤモヤとした気持ちを抱えたまま、ギュッときつく目を閉じて、無理やり眠りについたのだった。
☆☆☆
「それで、昨日はどうなったの?」
翌日、昼休憩中にいつもどおり外で食べていた千明に梨江がぐいぐい迫ってきた。
「うん。大丈夫そうだったよ」
千明の言葉に梨江も晋也も安心したようにため息を吐き出した。
「菊池さんがいないと体験教室の仕事回らないもんなぁ。元気でいてもらわないと困るんだよ」
「だよねぇ。でもなんの病気だったんだろ? 持病とか?」
聞かれて千明は曖昧に頷いた。
持病と言えば似たようなものかもしれない。
満月の夜と、野性的な行動をしているときに発症する病。
決してどんな医者にも治すことのできない病。
「話は変わるけど、今日はやけに菊池さんと一緒にいるよね?」
梨江に指摘されて思わず咳き込んでしまう。
おかずを喉につまらせてしまいそうになり、慌ててお茶で流し込んだ。
「ははっ。わっかりやすいなぁ」
晋也がケラケラと笑い出した。
千明は顔を真赤にして「な、なんのこと?」と、とぼけて見せる。
けれどこのふたりには通用しない。
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