第28話

千明はゴクリと唾を飲み込んで両手でエプロンを握りしめた。

「あれ以来、泊まったりしないのはどうしてなの?」

質問するときにはやっぱり恥ずかしくて大和を直視することはできなかった。


それにとても小さい声だけれど、大和にはちゃんと聞こえていたみたいだ。

「それは……そういうことをしたいってことか?」

真面目に質問されて余計に恥ずかしくなる。


千明は両手で自分の顔を覆い隠して「そこまで言わないでよ」と文句を言う。

すると大和は頭をかいて「ごめん」と、うなだれる。


しばらく静かな空気がふたりの間に漂った。

大和はなにも言わないし、千明も黙って返事を待つ。

やがて口火を切ったのは大和の方だった。


「正直、野性的な行動をすると、その……」

そこまで言って口ごもる。


見ると大和の顔は耳まで真っ赤になっている。

千明は上半身をソファの上に起こして大和を見つめた。

「制御がきかなくなる」



「それは、前も聞いたよ?」

それでも千明たちは1度は関係を持ったのだ。

そのときに傷つけられてなんかいない。


大和もそのときのことを思い出しているのか、左右に首を振った。

「毎回優しくできるとは限らないんだ。気がつけば、牙で傷つけたり、してるかも……」


『牙で傷つける』というなんとなく官能的な言葉に千明は身じろぎをした。

自分の顔まで真っ赤に染まっていくのがわかる。


ふたりして向かいあい、赤面して黙り込んでいる様子はまるで中学生の恋愛みたいだ。

「だけどそんな風に不安になるなら、もう遠慮はしない」


千明がコクリと頷く。

今更遠慮されても困る。


自分はそのせいで仕事でありえないミスをしてしまったんだから。

「それなら、今日……俺の家に来る?」



大和の車に乗ってアパートに帰ったことはあるけれど、今日はそのまま大和の暮らすマンションへ向かう。

車内は途中まで話題のテレビや仕事の話で盛り上がっていたけれど、マンションの駐車場に到着するころにはなんとなく静かな空気が流れていた。


「立派なマンションだね」

見上げないと最上階が見えないくらいの高層マンションは、1階にカフェやレストランが入っている。


中には住居者専用のジムなどもあるみたいだ。

「賃貸契約だから、それほど負担はないんだよ」


大和はそんなことを言うけれど、千明が今暮らしているアパートに比べれば何倍もかかっているに決まっている。

ふたりでエレベーターに乗り込んで8階で下りた。


カードキーをかざして玄関を開けると、広い室内が目に飛び込んでくる。

白を貴重にした部屋のようで、電気をつけるとちょっと眩しいくらいだ。

玄関を入ってすぐにダイキングキッチンがあり、その奥にはリビングがある。


部屋は他にも沢山あるみたいだ。

「すごい、モデルルームみたい」


千明が関心していると大和が「大げさだな」と笑った。

だけど本当に大げさなんかじゃなく、そう感じた。



部屋の中は綺麗に片付いていて、テーブルの上にはフルーツ籠が置かれている。

黒色の冷蔵庫の近くにはワインセラーまである。

どれもこれも千明にとっては無縁なものばかりだ。


「なにか簡単に作るから、その辺に座ってて」

大和がリビングに置かれている革製のソファを顎で示すが千明は一緒に料理をするつもりだった。


こんないい部屋に泊めさせてもらうのだから、なにかお礼をしたかった。

大和が冷蔵庫の中から取り出したのはキャベツとひき肉だった。


「ロールキャベツ? それなら私も作れるけど」

「え、作ってくれるの?」

すっかりお客さんをおもてなしする体勢に入っていた大和が目を丸くした。


「それくらいやっらせてよ」

大和の手から材料を受けとってキッチンへ向かう。

ここも広くて作業がしやすそうだ。


キャベツを一枚一枚ちぎって丁寧に水浴洗いながら、つい周辺に視線を巡らせてしまう。

「そんなにジロジロ見られたら恥ずかしいだろ」


「なにか見られたくないものでもあるの?」

少し意地悪してそう聞いてみると大和は「ない!」と、即答した。

それからふたりでロールキャベツとスープを作って食卓の準備が整った。



大和がフランスパンを切ってくれて、赤ワインを入れてくれる。

赤ワインの芳醇な香りだけで酔ってしまいそうだ。


「それじゃ、いただきます」

互いに手を合わせて食事を始める頃には千明の緊張もすっかり解けていた。


「ネックレスつけてくれてるんだな」

指摘されて千明は自分の首元に振れる。

そこには大和にもらったネックレスが揺れていた。


「うん。ネクッレスなら仕事につけていっても支障がないから」

答えてちょっと恥ずかしくなる。


仕事中もずっと大和のことを考えっぱなしだったと、今日はバレバレだ。

それでも仕方ない。

そのお陰で今ここにいるのだからと、考え直した。


「よく似合ってる」

大和に褒められて照れ笑いを浮かべる。

ロールキャベツもスープも美味しくてふたりはあっという間に平らげてしまった。

「映画でも見ようか」



大和にそう提案されてふたりはリビングのソファへと移動した。

飲みかけの赤ワインと新たに冷蔵庫から出してきたチーズと一緒にホラー映画を鑑賞する。


梨江も大和も、どうしてこうホラー映画好きなんだろう。

それとも自分があまり観てこなかっただけなんだろうか。


そう思いながらゾンビに追いかけられている女性を見つめる。

こんなんじゃなかなかいい雰囲気にならない。


それじゃここに来た意味がないのに……そう思って自分がどこか焦っていることに気がついた。

食事が終わって即ベッドなんてことを期待していたわけじゃないのに、恥ずかしい。


ホラー映画が架橋を迎えたころ、大和の手が千明の手をそっと握りしめた。

「一緒にお風呂に入ろうか」


突然の提案に千明はテレビに視線を向けたまま硬直してしまった。

「嫌なら、いい」

手を引っ込められて慌てて「嫌じゃないよ」と、返事をする。

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