第13話

思い当たるのは大家さんくらいだけれど、家賃は引き落としで支払っているはずだし心当たりはない。

「はぁい?」

突っ立っていては仕事に遅れてしまうので、ひとまず出ることにした。


声をかけて玄関を開けたその瞬間、思わぬ人が立っていて千明は口をポカンと開けてしまった。

しばらく間抜け面になったあと、我に返って「菊池さん、どうしてここにいるんですか?」と、訊ねた。


そこに立っていたのは大和だったのだ。

大和はいつも仕事をするときの服装で、バツの悪そうな表情を浮かべている。

「昨日休んだのが気になて来たんだ。今日は出勤できそうなのか?」


すでに出かける準備ができている千明の格好を見て大和は少し安心したよに笑みを浮かべた。

「あ、はい。今日は出勤します」

突然の大和も来訪に驚きつつもしっかりと返事をする千明。


「それじゃ一緒に行こうか。車で来たんだ」

「え、菊池さんの車で出勤するんですか?」

とまどって聞き返すと大和がなんとも悲しげな目で千明を見つめた。


大きな目は泣いてこそいないものの、今にも泣き出してしまうんじゃないかと思うほど潤んでいる。

歳上なのに可愛らしいその顔に千明の胸がキュンと音を立てる。


私はとっくに振られたんだってば!

自分にそう言い聞かせて無理やり胸キュンを押し殺す。



そして大和の車へと向かった。

路上に止められた白いレクサスに乗り込むと爽やかな芳香剤の香りが鼻孔をくすぐる。


「さすが菊池さん。お金持ってますね」

高級車の乗り心地は抜群だ。

「中古車だよ」


そう言うものの社内だってピカピカで、走行距離はそれほどじゃない。

謙遜しているんだろう。


幹部クラスの社員がどれだけもらっているのか知らないけれど、千明とは雲泥の差であることは明白だった。

やがて大和の運転でレクサスはスムーズに動き出す。


「昨日休んだのは、その……俺のせい、だよな?」

動き出してすぐに大和が言いにくそうに質問してくる。



これを聞くためにわざわざアパートまで来たんだろうか。

そう思ったらやっぱり可愛らしく見えてしまう。

「まぁ、そうですね。見れる顔じゃなかったので、休みました」


素直に肯定すると大和はまた泣き出しそうな顔を千明へ向けた。

どうしてそんなに泣きそうな顔をするんだろう。

振ってきたのもキスしてきたのも、自分なのに。


「……ごめん」

「大丈夫です。今日からはちゃんと出勤するので安心してください」


「そうじゃなくて、その」

なにか言いにくそうに口の中でもごもごと言葉を濁す。

こんなにハッキリしない大和を見るのは初めてだった。


丁度信号機が赤になって車が止まる。

大和はそのタイミングで意を決したように口を開いた。

「大塚さんのことが嫌で断ったわけじゃないんだ。むしろその、前からちょっと気になってたんだ」


「え……?」

突然の告白に千明は呆然としてしまう。

横を見ると大和は耳まで真っ赤になっている。



まるで中学生の告白を見ているようで、とても嘘をついているようには見えなかった。

「それ、本当ですか?」

「じゃないとキスとか、しないから」


『キス』という単語のことろで少し詰まってしまっている。

「じゃあどうして……?」

その質問に関しては更に言いにくそうに口を閉ざしてしまった。


千明のことは前から気になっていた。

だからキスをした。

それなら告白だって受け入れてもらうことができたはずだ。


千明の頭の中はどんどん混乱していく。

自分が振られた理由がわからなくなって、会社を休む必要だってなかったんじゃないかと思えてしまう。

車が再び走り出したとき、大和が大きく息を吐き出した。


「信じられないけど、聞いて欲しいことがある」



「なんでも聞きます」

そうしないとなにがなんだかわからないままだ。

そんなの嫌だった。


モヤモヤした気持ちで仕事に戻れば、きっとまたミスを連発することになる。

「俺は……俺の血には狼の血が混ざってるんだ」

え……?


絶句してなにも言い返せなかった。

真剣な表情で運転する大和の横顔を見ていることしかできない。

「なにそれ、冗談ですか?」


次第に怒りが湧き上がってくる。

自分は狼男だから付き合うことはできない。

だけど君のことが好きだ。


とでも言うつもりだろうか。

あわよくば千明の体だけを目的としているようにも感じ取れる発言だ。


「冗談じゃないんだ。本当のことなんだよ」

運転しながらまた泣いてしまいそうな顔をしている。



でももう騙されない。

誰がそんなこと信じるものか。

千明は強い気持ちで大和を睨んだ。


「私、子供じゃないんです。そんなことで騙されたりしません」

キッパリと言い切ったとき、大和がチラリと千明へ視線を向けた。

「キスした日。満月だったな」


「それがなにか?」

「俺は体調が悪くて君が助けてくれて……」


そう、それでキスされた。

あれさえなければ今みたいなことにはなかっていなかったのに。

思い出すとまだ胸のあたりが切なくうづく。


それが悔しくてそっぽを向いた。

「あの時、俺の目の色が変わっていたことを覚えてるか?」

そう言われて大和の目が銀色に光っていたことを思い出す。

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